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2013.10.02 13:09


※事前告知可能とのことでしたので、お知らせします。



ブログで反転授業のことを書かせていただいたわけですが、これは

・僕自身が「家庭で予習」「学校は復習」という感じで学習を進めていた経験(つまりは「それと何が違うんだろう…」という率直な疑問)

・反転授業は、私淑している西川純先生の『学び合い』の思想性と合うのではないか

・教育界では1年ほど前から少しずつ話題になっているワードで、今回バズワード化した
 


などなど、とくに今回、朝日新聞に取り上げられ、話題になったことを一つのキッカケとして、考えとかをまとめてみたい、という、ある意味自分のために書きました。
※まあ、ブログは、正直「自分のため」に書いているんですけどね、いつも。その意識がないと続かない!笑

この記事、いろいろな方に読んでいただけてまして…(ありがたいことです)
今日、(
少し編集されて)リセマムさんに掲載していただきました。
※タイトルは先方がつけました。


http://resemom.jp/article/2013/10/02/15418.html



そして…週末、TOKYOFMさんの目にとまったようで、打診があって、、これまた今日、19時頃からのラジオに出てくることになっていまして。

http://www.tfm.co.jp/timeline/index.php?itemid=71065

僕が樋渡市長をはじめ、武雄市のいろんな方にお世話になっていることを全く知らずに、「反転授業」についての教育論としてお話して欲しい、と依頼が届いたこと、なんて、またご縁って面白いなあ、と思う次第です。



あくまで教育論として「反転授業」に注目し、僕の考えを伝えます。考えというより解説に近い立場かもしれません。
でも実は解説だけだと田原真人さんの反転授業の研究
が最も詳しく、バランスよく、わかりやすくて、僕なんかの出る幕ないんですが、彼はお忙しいということで…
彼と親交がある身として(ネット上だけですが。笑)、彼の考え方も租借しながら、発言の文脈に埋め込めれば、と思っています。



是非聞ける方はナマで僕のうろたえぶりを聞いてください(笑
本日、19時、
TOKYOFM、です!
ホンネ:「家庭学習はZ会の小学生コース!」と大声で叫びたい…ww
※後日ポッドキャストでも聞けるようです、それも怖い…

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2013.09.27 15:36

中編の続きです。
 
3.教師が「教え込む人」から、「子どもとともに考え、話し合う人」へという、役割の変化にどこまでついていけるかだ。(以上、引用)
 
これは「教師ができるかどうか」の問題ですよね。
「教師はできないでしょ、だから反転授業はよくない」という心配の声は、心配すること自体はわかるものの、反転授業の善し悪しの本質とは離れます。
(これを言い出すと、そもそも教員養成の話から触れ出さないといけませんし…)
きっと現実は、「できる先生もいるでしょうし、なかなか実施が困難な先生もいる」という状態でしょう。
その状態を鑑みて「やる」と決めるかどうかは、「やる」ことが
・地域的に
・時代の趨勢的に
求められているかどうか、ということだと思います。
 
前者、つまり、「“武雄市”でやる」ことの是非については、武雄市の中での優先順位付けだと思いますので、言及は避けます。
地域のことは地域で考えた方が問題解決につながる、ということ、僕が現在住んでいる三島市や、訪問させていただいた上勝町などの事例から育まれた、僕自身の考え方ですので。
 
後者…時代の趨勢的に、「授業(方法)の転換」は、「求められている」と感じています。
ありきたりな表現になってしまいますが、「問題解決力」が必要な時代になっていますから。
 
・答えのない問題に「最適解」あるいは「(多くの人が)納得する解」を見つけ出す力
・それらの解を実行する力
・それらの解にたどりつくまでのディーベト力や交渉力
・そもそも問題を見つける力
・問題を自らの能力や立つ位置にあてはめ、「課題」とする力
 
などは、恐らく従来型の授業形態よりも、朝日新聞が述べた「子どもとともに考え、話し合う」授業形態の方が身につく部分が大きいのではないでしょうか。
 
確かに慣れていない先生の負担は大変なことだと思います…
ですが、「子どもたちのためならやっていこう!」という先生方も大勢いると思うんです。
その証拠が、上越教育大学、西川純教授の提唱する『学び合い』に集う先生方が増えているという事実。
 
学び合い』はあくまで「学び合おう!」という「考え方」です。そしてその本質にある思想性は、「一人も見捨てない」。おちこぼれを出さない、ということなんですね。
そしてその考え方を具現化した形態として、「子どもとともに考え、話し合う」授業がとられることが一般的で、その方法論を採用している先生方が、グループをつくるとこんなにいらっしゃるんです
 
反転授業を実施し、そのことにより空いた、これまでの「授業」という空間と時間を使い、学び合い』の考え方を元にした授業を展開すると、落ちこぼれは防げることが期待できますし、それこそ中編で述べた、学力下位層や家庭学習力の弱い層のカバーもできるのではないでしょうか。
加えて、わからない子に教えてあげる、という行為を通じて、「(理解力の面で)できる子」にも、上記の「問題解決力」が身につくことが期待できます。これは、僕自身の実体験をあわせても、強くそう思います。
 
僕自身が受けた教育過程を振り返りながら、すごーく率直な気持ちを申し上げれば
「授業の中で先生の教えることだけを聞いていてもつまらなかったな…だって予習で“知っている”ことが多かったから…。おおっ!授業時間が、“先生の話を聞く”以外の時間に使えるなんて、授業が楽しくなる!」
とは思います。
これはかなりの主観ですけどね(笑)。ただ、教育論を語るときには、その人の受けた教育が色濃く反映せざるを得ないので、押し付け的に教育論を語る方は、もう少し「そういうもんなんだ」という姿勢で話して欲しいな、と思いますけどね(余談でした)。
 
 
以上より、運用次第ではかなりの成果も期待できるのが、反転授業という形態と捉えています。
なお、小学生、中学生、そして高校生や大学生…どのステージで導入すると(現在の授業より)効果があがるか、などの細部の議論になると、アクティブラーニングなどの別の要素も加味できるため、ここでは「武雄市の記事を見て、思ったことをつらつらと、全般的に」という立場でブログを書かせていただいていることを断っておきます。
 
 
もちろん、賛否両論はあると思いますし、僕自身も「導入するか否か」を問われると、「いつ」「どこで」「どのように」導入するか、慎重に考えると思います。
 
ただ
・懸念点が多い、だから反対だ
・これまでに身につけられなかった力が身につくことが期待できる、だから賛成だ
という二項対立になっても、好ましい結果が生まれないと思いますので、賛否のどちらにせよ
   「懸念点を解決すれば、良い結果が期待できる。
    だから、懸念点を解決できるかどうかが“(実施の)決断”のポイントであり
    決断した以上は、懸念点を解決して行くことに軸足を移していこう」
という姿勢が、(反転授業に限らず)教育を巡る様々な論争には必要なんじゃないかな、と感じます。
 


追1)反転授業そのものについては、記事冒頭(前編)で取り上げた、田原真人さんの「反転授業の研究」が、実践も含められていて、僕の記事よりずっと詳しいですので、是非すべての記事をご覧になることをオススメ致します。
追2)盟友の塾長、中村五十一さんの塾での事例です。

 
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2013.09.26 23:40

前編の続きです。
 
Facebook上で俊英館の小池幸司さんが指摘した3点を順番にあげます。
…といってもこの3点、武雄市の反転授業の朝日新聞の記事にて掲げられていた3点を「記事抜粋」として断った上で紹介していたのでした(苦笑)。
ただ、小池氏、そして僕自身も、「課題だ」とだけ指摘するのではなく、これらの「課題」を克服すれば、反転授業は大変効果的になる可能性を秘めた(学習の)仕組みではないだろうか、かつ、(10年、20年前、とかではなく)「いま」やってみるとより効果的ではないだろうか、という見方は一致しています。その視点において改めて、朝日新聞の記事から引用してご紹介します。
 
 
1.子どもがどこまで意欲を持って予習に取り組むかだ。教材の魅力を高めることがカギを握る。(以上、引用)
 
前編でも述べましたが、僕自身の学習スタイルが予習型だったわけですが、全ての子どもがやれていたかというと、決してそうではありません。
皆さんの経験上もお分かりかと思うのですが、予習に取り組んでいる子ども・生徒は「できる子」に分類される人たちなんです。
だから、反転授業の導入を疑問視する人の声では
・できない子はそのやり方についていけないのでは?
・学力格差が余計広がるのでは?
などがよく聞こえてきますし、その懸念はおっしゃるとおりだと思います。僕自身の経験上もよーくわかります(笑)。
 
一方、「いま」の方が、子どもたちが意欲を持ちやすい環境が整いつつあります。
それが「タブレット教材」というツールなんだと思います。
主体性を育むタブレット授業~千葉県立袖ヶ浦高等学校~でも述べましたが、タブレットそのものが生徒の主体性を育むことに寄与する側面があると感じるんです。
 
もちろん、タブレットそのものは触媒に過ぎませんが、僕の小中高時代よりも、予習に取り組む意欲に寄与する「道具」が追加されたことは、課題解決に近くなったと捉えることができます。
 
 
2.低学年ほど、大人が映像を見るよう促す必要があり、保護者の協力が欠かせないことだ。家庭環境の厳しい子どもには、放課後に学習の場を設けるなどの工夫が要る。(以上、引用)
 
ここでも、疑問視する声の中で
・保護者のしつけや、学習の関与度の差がさらなる学力格差を生み、学校のクラスでの授業がより難しくなるのでは?
という声が聞こえてきますね、これもその通りの部分はあるかと思います。だからこそ朝日新聞のコメントでも「家庭環境の厳しい子どもには、放課後に学習の場を設けるなどの工夫が要る。」とあるんですよね。
 
一方、反転授業…云々は別にして、「家庭学習への保護者の協力が、いまの社会的温度感のままで良いか?」という問題があります。
もちろん「いまのまま良い」という意見もあるでしょうが、僕は「もうちょっと、保護者が家庭学習を支援しませんか?ちょっとした協力を低学年からしておくことで、将来の学力形成に大きく寄与しますよ」という意見です。
やや古いデータですが、平成17年の家庭学習時間のデータ(文科省資料)を見ても、学力の高低と家庭学習時間には相関がありますし(まあ、アタリマエですよね…)、僕が注目したいのは、その相関が、小学生→高校生になるにつれて著しくなる、という点。
小学校低学年のうちから、単に「(家庭学習を)やっている」だけではなく、「(家庭学習を)進んでやっている」という状態を形成することで、学習が習慣となり、将来に渡り、学力形成に寄与する家庭学習に取り組める人間になることが期待できるのではないだろうか、と。そしてこれはとても大切なことなんではないだろうか、と。
 
保護者の協力、といっても、なんでもかんでも関与する、ということではないですよね。これについては、保護者の「家庭学習支援力」のモデル(ベネッセ)がとてもキレイに表現しています。
余談ですが、勤務先のZ会の小学生コース、とくに1年生・2年生のコースは、保護者が協力する「シカケ」をつくり、自然な形で支援するシーンを創ることで、学力形成に大きく寄与させようとしています。
 
話を反転授業に戻します。「学力形成に、家庭学習における保護者の協力は大切だ」の立場に立てば、「タブレット教材」ができることによって
・子どもが進んで勉強するようになり、わからないところで保護者に「進んで」声をかけたくなる心理醸成が期待できる
・そのシーンの繰り返しで、自然に保護者が家庭学習の支援をするようになっている状態が形成できると期待できる
 
 
という部分が、以前よりは増すと思うんです。
 
 
後編に続きます。
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2013.09.25 23:20

9月24日、朝日新聞朝刊にドーンと掲載され、「教育」カテゴリの話題の中でバズワード化した「反転授業」。
 
家で動画見て予習、「反転授業」試行へ 佐賀・武雄市
 
反転授業、という言葉自体は、去年くらい、からでしょうか、僕の耳にもよく入ってくるようになった言葉で、物理の講師をされている田原真人さんも、今年1月から、「反転授業の研究」というブログを綴られていますし、様々な実践もされています。
 
 
 
今回の武雄市の取り組みについては、田原さんがツイッターで述べた
 
反転授業に対しては、賛否いろいろありますが、僕の姿勢は、まずは、「やっている人の話を聞く」そして、「試しにやってみる」。そうすると、想像もしなかったことが次々と出てくる。”
※引用元は https://twitter.com/m_tahara/status/382768608763719680
 
と同感で、「実際に(試験的に)やってみる」ってこと、大事なんじゃないかなあ、と、素直に思います。
 
 
 
教育手法は様々あり、従来のティーチング型の教授法では、想像力や問題解決力を磨けない、などという欠点の指摘をされる方もいらっしゃるわけですから、これまで培われなかった力を培うことにチャレンジすることは素晴らしいことだと思うんですよね。
E-Learningの可能性を追求され続けてきた田原さんも、ツイッターで
 
 
 
 
予備校講師として14年間、授業を磨きに磨いてきて、一方で、ネット予備校でE-Learningの可能性を9年間追求してきて、それらの経験を踏まえた上で思う。「反転授業」には大きな可能性がある。
※引用元は https://twitter.com/m_tahara/status/382768608763719680
 
 
と述べられていますし。
 
 
さておき、反転授業そのものについて。
繰り返しになりますが、教育手法は様々なものがあって良く、生徒に一番「その先生なら」響く手法を選択すればいい、というのが、僕の基本的な姿勢なので、反転授業という教育手法が「在る」こと自体は肯定的に受け止めています。
 
一方、初めて「反転授業」という言葉を見て、意味を知った時に
「そんなに新しい教育手法かな?」
 
 
と思ったのも確かです(だから、ちょっと今年に入っての「反転授業」という言葉の扱いは、バブルってる感じがします)。
なぜかは簡単で、僕自身の小中高校時代の学習スタイルが、自宅で予習をして、学校は自分の理解が正しかったかどうかを確かめる場だったからなんです。
「普通に予習をして、学校で授業を受けるのと何が違うの?」
これが以前より持っている、「反転授業」についてのイメージです。
 
ただ、僕自身、勉強が好きで運動嫌いの、モテないヤサ男という、いわゆるいやーな子供だったため(苦笑)、僕のやり方が万人に通用するとは思えません。
また、僕のやり方で進めた時、僕自身は、授業そのものに不満を感じるときもありました。
 
そんな自分自身の経験と重ね合わせると…
「反転授業」という言葉が「いま」取り上げられ、そして試行されることには、「いま」という時代にマッチし、僕の時代よりも効果が見込める(そしてその効果が時代から要請されている)部分も大きいのではないかな、と思うところがあります。
 
その理由は3点に集約できるかな~と思っていたら、iPadの活用で先駆的な、俊英館の小池幸司さんが、Facebook上で「3つの課題」としてあげていたことと完全に重なりましたので、小池さんのFacebookの投稿を引用しながら、「いま」反転授業を行うことの課題と意義を述べたいと思います。
 
中編に続きます。
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プロフィール

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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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