公教育の世界で大変活躍されており、情報発信も積極的にされている、小牧中学校の玉置崇校長先生。
小牧中学校のWebサイト
学校のサイトとしては、情報発信量がハンパじゃありません。
生徒たちが生き生きと、中学校の中で活動していることが、とってもよく伝わってきます。
その影響で、(このブログを書いている日と比較した)「昨日」のページビュー、1,271。
個人でブログをやっている方や、中小企業でサイトを管理されている方なら、この数字がいかにすごいか、お分かりになるのではないでしょうか。
玉置校長は個人のブログでも、仕事日記を書かれています。
三楽の仕事日記
2003年1月4日からほぼ毎日書き続け(10年以上!)、先日、アクセス数が80万件を突破したようです。
ほんとに、ほんとに、凄いことだと思います。
さて、このブログには裏話があるそうです。
なんでも、一度、書くのを止めたとか。県の教育委員会事務局に配属となり、県の教育行政を担う仕事をする以上、いろいろ書くと教育行政に迷惑がかかるかもしれない。。。そう考えられてのこと。
するとそのときの教育長がこう仰ったそうです。
「なぜ仕事日記をやめたのか。書きなさい。
多くの人は県教委は何をやっているのか知らないのだから、そのためにも書けばいい」
心から共感します。「教育」に携わる人間の言葉だからこそ、なおさら。
いわゆる「キャリア教育」という言葉に基づき、職場体験をはじめとして、大人のいろいろな仕事を見ることが、子どもたちのためになる、ってことは、フツーに考えればわかりますよね。
では、大人社会が、そのサポートをしているでしょうか?というと、決してサポートが十分じゃないと思うんです。
その一つが、上記の玉置先生の止めようと思った出来事の中にも見えます。
そう、「所属先にご迷惑をかけてはいけない」という思いから、仕事について表現できなくなってしまうこと。
ではなぜ、「所属先にご迷惑がかかる」と、大人は思ってしまうのでしょうか。
まず、“(所属先の)秘密を守らなければいけないものを、秘密と思わず話してしまうのはまずいから”という理由があります。
所属先がこのリスクを、情報発信以上に捉えるのであれば、書くのを止めなさい、となりますよね。
ただこれは、インターネットのみならずリアルなお付き合いの中でも、個人の言論の中で“秘密を守らなければいけないものを、秘密と思わず話してしまう”リスクをゼロにすることは不可能です。
そして、個人の経験的なものですが、“ネットでは何言うか(言われるか)わからないから怖い(のでネットでは表現しない)”と過剰に思う方の中の方が、リアルで“おいおい、それって、噂話でもいっちゃいけないでしょ”という発言をポロッとする方が、相当数いると感じるんですよね。。。
ネットで何かを表現している方のほうが、「話してはいけないこと」に敏感である、とでも申しますか。
玉置先生が教育委員会に配属になったときの教育長は、玉置先生の過去のブログを見て、「(話してはいけないことの線引きについて)弁えている」と感じ、そして共感し、さらに“多くの人は県教委は何をやっているのか知らない、それを知らせていくのは素晴らしいことだ”と捉え、情報発信のメリットを存分に活用しようとしたんですよね。
加えて、万が一、“あーそれ、話してほしくなかった…”と思えることがあっても、基本的に「弁えている」人であれば大事には至るレベルのものにはなりませんし、指摘する→「ごめん」と謝る、というやりとりがあれば十分なんじゃないでしょうかね。
推測ですが、恐らく、子どもたちに仕事観を植え付けることも大切だ、という強い教育への想いもあったんじゃないでしょうか。
もう1つ。「所属先にご迷惑がかかる」と思ってしまう理由に、“自分の意見が所属先を代表していると思われてはまずいから”というのもあります。
この理由で、所属組織が、組織内の情報発信者にケアする気持ち、とてもよくわかりますよね。
しかしこのケアが「過剰なケア」になってしまうと、社会の中で、仕事の様子が発信される温度が極薄になってしまいます。
仕事そのものが複雑化していたり、地域コミュニティがなくなってしまっているご時世ですから、以前よりもずっとずっと、「働く人の姿、様子、価値観」などを伝えていかなければいけない世の中になっている、にも関わらず。。。
個人的には、多くの組織が、インターネットで表現することについて、いわゆる「炎上」を気にしすぎて、ケアが「過剰」になっているような感を受けます。
でも、その「過剰」感をつくっているのは、組織の方が大元ではないと思うんですよね。
一個人の言動を、所属先の言動とイコールとみなす、一部の「声の大きい、批判することそのものを目的としている批判屋」の存在の影響だと思うんですよね。。。
一個人と所属先はきってもきれないものです。
しかし、一個人は、所属先の全体を代表していません。あくまで所属先の「一部分」です。
逆に、「一部分」ではあって、「無関係」でもありません。
個人は所属先の「一部分」という考え方を、表現の受け手が持ち、そして表現する方も自覚していけば、社会にどんどん、良質な、仕事や仕事観に関わる表現は増えると思います。
子どもたちのためにも、仕事に関することを様々な手段で個人が表現できる、そんな社会の方がいいと思いませんか。
そして、ありがたいことに、僕はブログを通じて表現することが許されているので(笑)より多くの方が表現できるよう、表現します。
2013.12.06 23:40
- カテゴリ :教育のこと