12月から就活解禁のためか、最近、就活についてのニュースが増えてきたような気がします。
そして、就活ニュースが増えると、決まって出てくる「企業が社会人に求める能力とは?」ネタ。
このところ毎年のように…そしてほとんど「一番」にランクするのが
「コミュニケーション能力」
ですね。
しかし、「コミュニケーション能力」が大切!と言われて、コミュニケーション能力がその時点でない人が、“そうか!だったら~しよう!”という考えや行動は、本質を捉えていない場合が多い気がします。
たとえば…
・人付き合いが苦手なので、いろいろな異業種交流会に出かける。
・ついついホンネが出てしまうので、建前でその場をしのぐやり方を身につける。
・会議の場での発言に慣れるため、ディベート形式の場に多く参加する。
・積極性を身につけるために、自ら挨拶を元気にしようとする(笑)
・コミュニケーションに関するノウハウ本をたくさん読んでしまう(苦笑)
・Facebook で多くの「友達」関係の人をつくる。
などでしょうか。
どれも「間違い」とまではいいませんが、それだけでは企業が求めている「コミュニケーション能力」が本質的に身につくとは思えません。
これらのやり方は、潜在能力としてはコミュニケーション能力は持っているけれども、顕在化していない人が、顕在化させるための手法であって、そもそも身についていない人が「企業が納得するレベル」にまで昇華させられるとは思えないのです。
コミュニケーション能力とは?を僕なりに定義すると
1.相手の心を理解しよう、という心を持ち合わせていること
2.相手の求めていることを言動で表現できる技術を持ち合わせていること
3.1・2を両方身につけていることです。そして、1×2の能力数値が高い人が「コミュニケーション能力の高い人」です。
まるっとまとめると
「相手のことを考え、相手の求めに応じたアウトプットができること」なんですけどね。
冒頭に挙げた行動は、すべてが自分主体で考えていますから、コミュニケーション能力の本質をついていない、と思えるわけです。
今年はFacebookが流行りですし、就活にもFacebook!のようなニュースがかなり取り上げられていますので、先日、Facebookを通じて起きた出来事を紹介しながら、コミュニケーションについて考える題材を提供することにします。
つい先日、橘川幸夫さんとFacebookで友達になりました。
僕にとっては超が何個もつくくらい嬉しいことでした。
※橘川幸夫さんの連載中の執筆記事とプロフィール
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20111013/223172/彼には一度お会いしたことがありました。
…といっても、彼が所長をつとめる
デジタルメディア研究所の勉強会で、名刺交換に押しかけ、名刺交換しがてらちょろっと話した程度です。
「それまで会いたかった人に会えました。名刺交換をしました。ではそれで、相手は「友達」と思ってくれるでしょうか?」
答えは明らかですよね。
しかし実際には、これくらいのレベルでFacebookで友達申請してしまっているケースが多く見られます。
Facebookは、友達かそうでないかによって、相手に開示する情報が異なります。
「友達のみに、自分のメールアドレスなどを公開する」など行い、自分の(いろいろ変わる)個人情報の告知代わりに使っている人も沢山います。
そういうことまで想定して、友達申請すべきなんです。
ましてや、友達承認されなかったときに「なんだーあの人、冷たいなー」なんて感じる人は論外です(実際には「コミュニケーション能力がない」人に多く見られる感想ですけど)。
僕は、橘川さんのfacebook登録を発見した時に、まず、「フィード購読」させていただき、彼の発する言葉をチェックしながら、「同感!」と思えることについては「いいね!」を押したり、コメントしたりすることから、
「相手を知り、そして相手にも、僕のことを分かってもらえる」ようにし始めました。
数回コメントするうちに、「あーどこかで会ったことのある寺西だな」程度には分かってもらえたようです。
この「相手に友達(仲間)と思ってもらえるような努力」をしないで、一方的に“自分のことを知ってくれ!”光線を相手に投げる人もまた、コミュニケーション能力がない人です。
相手=企業、と置き換えると、就活においてはわかりやすいと思います。
企業は、その人が「○○コンクールで優勝しました!」とか「○○の代表をやっていました!」を知りたいわけではないんです。その活動が「企業の仲間として一緒に働くことに価値があるか」を見たいわけで。そのためには、「企業の心を動かすにはどうしたらいいか」という、相手の立場に立った心の動きが必要ですよね。
派手な自己アピールも必要な場合がありますが、その行為自体が重要なわけではないんです。
地味であっても、相手の認知と興味関心の醸成ができればいいわけで。
僕が橘川さんに「そうですよね!」などのコメントをしたように。
あるとき、とても腑に落ちることを書かれていましたので、同感と言う感想とともに、少し長めのコメントをさせていただきました。
すると、そのコメントを見た人(=橘川さんの発言をよくチェックされている方)が僕に共感したらしく(後で知ったのですが)、いきなり僕に友達申請。
肩書は「東京大学○○学部」とありますが、僕へのメッセージがありません。
こういう人も多いんです。
・自分が共感している、という気持ちだけで「相手に分かってもらえている」と思っている
・自分の肩書があれば怪しい人じゃないと思ってもらえる
って方。
Facebookの使い方がわからないからそうなったんじゃないの?という問題ではなく、こういう方はホンキでこう思っているようで…(苦笑)
あなたの脳内や心の動きは、相手にとって無価値です。
肩書はもっと無価値です。
脳内や心の動きを「相手に分かってもらえるように、相手の共感を生むような形で表現し」、そして場合によってはそれに「肩書」が加わることで初めて、「あ、仲間になれそうな人だな」と思えるわけで…ちょっと脱線しましたが、そのコメントに橘川さんが共感してくださったようで、なんと!橘川さんの方から僕に友達申請が。嬉しくてすぐ承認しました(笑)。
きっと橘川さんからすると、「きっと寺西は僕と友達になりたがっていると思う」って温度がわかったんだと思います。彼も、コミュニケーションをとても大切にする方ですから。
Facebookの話はここでオシマイです。
つまりは
「あなたが相手の立場だったら、あなたが〝相手にしてほしい”と今思っている言動をとるだろうか?」と徹底的に想定し、そのための言動をとれることこそが、コミュニケーション能力、ってことですよね。
もちろん、前提として、「その言動をしている自分がとても楽しく心地がよい」状態であることは必要ですよ。
就活の場合で言うならば、その言動をしている自分が楽しいと思えない企業には行かない方がいいです。
どれだけ大企業であっても、運よく入社できたとしても、入社後不幸になるだけですから。
このブログのタイトルは「和顔愛語 先意承問」(わげんあいご せんいじょうもん)です。
とくに「先意承問」と言う言葉、僕がとても大切にしている言葉なんですが、これは「先んじて(相手の)意図を承ってから、(相手に)問いただせ」ということで…
つまりは相手の気持ちを慮り、かつ、相手に分かるように言動せよ、という、コミュニケーション能力の本質を突いた言葉だと思っています。
駄)名著ですが、コミュニケーション能力を身につけるには、『
人を動かす』(デール カーネギー)を読むと早いんではないかな、と思うことが多いです。