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2014.05.04 12:50

1つ前のブログ

素晴らしい実践者を知らずして、「教師」と括って批判してはいけない。
(↑クリック!)

をFacebookでも共有させていただいたのですが、北海道教育大学の元学長、村山紀昭さんよりコメントを頂戴しました。
70歳を越えていらっしゃるのに、インターネットでの活動・発言に熱心で、素晴らしいと心から感じている教育者のお一人です。あ、インターネットの活動・発言にいつも勉強させられているのは、無藤隆さんに対しても、ですね。

さておき、コメントを下記に引用させて頂きます。きっと、何かの参考になると思いますので。
※お手数ですが、1つ前のブログ「素晴らしい実践者を知らずして、「教師」と括って批判してはいけない。」(←クリック!)をご覧戴いてから、読み進めてください。
(このブログにコメント欄をつけていないのは、スパムがとっても多くて管理しきれないからです…すいません)

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(以下、村山紀昭さんのご意見です。)
当事者意識のない安易な教師批判や公教育批判が困ったものであるのはその通りですが、挙げられているような優れた実践家を知りその教育書を読んだからといって、そうした偏見が払拭されるかといえばそうはならない気がします。日本独特のこうした実践家の著書は、おもに教師に対して向けられていて、どうしてもある分野のスキルなどの披瀝がメインになっているからです。おそらく教育論を語りたがる評論家や学者は、こうした本を読んでもあまり影響を受けないでしょうね。大村はまさんとかになるともうちょっと拡がるかもしれませんが。

安易な公教育批判などぼくも本当に何とかしなければという思いが強いのですが、さてどうしたらいいか。まずは、教育政策の大元についてがっちりとした安定的な論の流れを系統立って打ち出していかなければと思います。たえず揺れているぶれているとい世間の印象がよくありません。その責任はまずは文科省にあるでしょう。

もう一つ、新しい意欲的な実践とか、実践家の優れた実践書だけでなく、ふつうの学校のふつうの授業や教育の実際をもう少し広く知らせていく努力が必要かと。メディアや評論家、また一部の学者も、新しいもの、海外で評判になっているものに弱い。まあこれは世の常ですが。とくに義務教育は日常の世界です。その実際と良さがもう少し伝わればといつも学校を訪ねるたびに思いますね。

(僕からの返信です。)

村山 紀昭さん、いろいろコメントありがとうございます。
「教育論を語りたがる評論家や学者」については、仰る通りだと思いますが、そのカテゴリの皆さんってすでに個ができちゃっていて、外野から何を伝えても変わらないとも思うんですよね、少なくとも僕の立場では、そこにコミットしても生産性は低いと(苦笑)

僕が「安易に教師批判しちゃいけない」と伝えたいのは、漠然と教育に対してかかわりを持っていて、何かに影響され、漠然と批判的になっている、一般の方々、なんです。僕自身、「ビジネス書」カテゴリの書籍を割と読むんですが、そこに親和性が高い、つまり、フツーにビジネス頑張っていきたい、ってビジネスマンには、教師がいろいろ工夫しているってことがわかると、結構ビジネスを進める上で前向きにしてくれるんです。誰しも義務教育を通過してきて、「へえ!あの授業にはそんな工夫がされていたんだ!」みたいに、自分のこととして思い返すことができる部分が、いろいろありますので(もっとも僕が教育にコミットしている人間なので、余計強い、というところもありますが…)

>ふつうの学校のふつうの授業や教育の実際をもう少し広く知らせていく努力が必要かと。
これについては全く同感で、「愛される学校づくり研究会」のメンバー(玉置崇さん主宰です)と触れ合うたびに、ああ、学校広報って大事だな、って思うんですよね。そして、学校広報の世界を知ると、ほぼそれが地域広報とならざるを得ず、それはそれでとっても大切なんですが、なかなかそれらのよい取り組みを全国に知らせることって難しいことを痛感します。全国に自分の学校の日常を広げるんだ!に傾斜している管理職は、地域を見ない傾向がありますし、ほんと難しいですよね。

僕はMind your own business.に掛けて、Mind my own business.って思いがとっても強いので、僕にしかできないこと、それは小さなことであってもいい、自分にしかできないことってどこだろう、といつも考えます。
その一つが、教育実践家のことを「ビジネスマン」に伝えることでもあるかなと。ささやかな努力、です(苦笑)
いろいろ中途半端に終わっていることもありますが、ブログだけはなんとか、マメに書いていきたいな、と。
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2013.12.09 17:40

11月29日(金)、中央教育審議会(中教審)高大接続特別部会(第九回)に伺いました。
11月8日に行われた第八回に続いての傍聴。
※配布された資料はこちら

昨今の「大学入試改革」周りの報道では、「人物本位」や「面接重視」などの“わかりやすい言葉”が過剰に流れており、受け手の受け止め方の温度感を狂わせると感じています。
実はこれ、高大接続特別部会の委員の皆さんも同じ心配をしており、今回の部会でも「報道が過熱」「伝わっている言葉が一方的で心配」などの声がチラホラと発言の中でもあったくらいなんです。

真実を知りたい。
委員の伝えたいことを直接聞きたい。
温度感を弁えたい。
そしてできれば、できる限り議論の温度感を正確に、多くの方にお届けしたい―
そんな気持ちが、僕を傍聴へと駆り立てています。


さて、今回行われた部会。配布資料にもある通り、今回の2時間に渡る議論の議題は

A.多面的・総合的に評価・判定する大学入学者選抜への転換
B.大学の人材育成機能強化・高等学校教育と大学教育の連携強化

の2点でした。
一方、実際の議論では、Aに1時間15分程度の時間が割かれ、Bについては、文科省側からの説明の後、意見が1つ2つ出たのみで部会終了という雰囲気になった(結局その後、発言者が現れて、その発言を起点に議論が進められました)ところからも、より「多面的・総合的に評価・判定する大学入学者選抜」に対して、制度論を十分に議論しなければいけない、という意気込みが伝わってきます。

そして、議論の内容に入る前に、見ておきたいのは、今回配布された資料1-1
教育再生実行会議第四次答申(pdf)をうけ、今回の論点として文科省側がまとめた7つの項目が掲載されています。
第四次答申の内容は実質、この資料に集約された、といっても、言い過ぎではない気がします。わかりやすくポイントがまとまっていますので、実際の議論を進めやすいですから…。


以上、前置きさせて戴いた上で、今回の会議の報告です。
注)傍聴メモを元に、なるべく正確に伝えようとは思いますが、どうしても僕の解釈が入ってしまう部分がありますことを、予めご了承いただければ、と存じます。


1.「学力は大切」という認識は一切崩していない。

配布された資料をパラパラ拝見しながら、文科省の方からの説明を伺ったあと、濱名篤委員が切りだしました。

「全部読み合わせてみると、大きくは違わない」
「報道は感情的で違う」


大きくは違わない、というのは、教育再生実行会議第四次答申、高大接続特別部会の資料、そして委員全体が受け止めているこれからの向かう方向が「大きく違わない」ということと捉えました。
この方向性につきましては、ブログ「大学入試は変わるのか?~教育再生実行会議第四次提言を受けた中教審~」を参考にして頂ければ、と存じます。

加えて、報道のされ方が、面接などの手法に傾斜されていることを気にされていました。
丁寧な選抜、という表現(資料1-1の項目2)の中には、論文なども含められているはずですよね?と。

これに対し、平野大学入試室長や、田中高等教育政策室長はこう答えました。

「丁寧な選抜、という中での例示に過ぎず、同じ性質のものを二度やるのは止めてほしい、というメッセージである。」
「同時に、“学力水準の達成度の判定を行う”と(提言には)含められており、学力は大事だということもメッセージしている。」


「暗記型学力に偏らない、ということでよいか」(濱名)「よい」(平野)というやり取りも行われました。

端的に申し上げれば、用語や解法を暗記するだけで解けるような選抜試験の比重を下げる、ということに尽きると思います。
と、なりますと、面接を代表とした、報道で流れている「人物本位」という言葉でイメージされるような選抜の仕方だけではなく、「論文」や「記述の多い教科試験」なども当然含まれます。

部会の委員は、「学力は大切」という認識を崩していない、ここはまず押さえておきたいポイントです。
蛇足ですが、「報道だけ見ると、高校生が(入試に合格するためには)インターンシップやボランティアやればいいんだね、と安易に受け止められる、それはよくないこと。」と発言された委員もいらっしゃいました。


2.実質無試験化している大学の入試には「達成度テスト(基礎レベル)」を、知識偏重の大学の入試には「丁寧な選抜」を。


議論の最後の方で、金子元久委員が仰ったことを元に、ポイントとして表現してみました。
皆さんも、報道を見ただけで脊髄反射で感じたことを元に、自分の意見を持つ際に、一度整理してほしい重要な点です。

面接に傾斜した報道に「今でも推薦やAOは面接中心で、結果、学力が不足している生徒を合格させている、それなのに面接重視?」という意見を持たれる方もいらっしゃると思います。
これについては「いや、そういう人を合格させないために、達成度テスト(基礎レベル)を受けさせようとしている。」ということになります。
一方、「5教科の知識偏重の大学入試では、より高いレベルを目指すことのできる人物を選抜しているとは思えない。」という意見に対しては、「いや、それはわかっているので、「丁寧な選抜」(上述)を。」ということになります。

ブログ「大学入試は変わるのか?~教育再生実行会議第四次提言を受けた中教審~」において、「高校教育、大学教育がどうあるべきか、それがあって初めて大学入試のあるべき姿を考える」という順序だ、ということを書きましたが、まさにこの流れであって、

高校教育の(学力の)質の保証→達成度テスト(基礎レベル)の受験
大学教育の質の転換→丁寧な選抜での受験

という流れですね。
この2つを一緒にし、乱暴にまとめた、大学入試改革の報道とそれに対する意見は、余り意味を為さないといえます。

安西祐一郎部会長の言葉を2つ補足しておきます。

「各大学がアドミッションポリシーを明確に定めた時、それに伴って大学入試も多様化するはず、と文脈おける“多様な選抜”という意味である。」
「これまでは、大学それぞれの(選抜するという)責任を、一点刻みと言う試験に押し付けていなかったか。」


深く受け止めたい言葉ですね。


3.教育目標は“「主体的な学び」ができる人材の育成”に違いない!

今回の議論を受け確信しました。
高校教育、大学教育がどうあるべきか、を考える前に打ち立てなければいけない「これからの日本社会にどんな人材を育成することが必要か」という部分、キーワードは「主体的な学び」なんだ、と。

安西部会長が議論中に口にしました。

「いままでのような受け身の教育ではだめ。」

と。
また、安西氏の最近のブログでも、「主体性」に言及されていますね。

他、いろいろ、発言を挙げていきます。

安西部会長:「基本は高校で学ぶことが大学への入学だけに直結するわけではないことをおさえておく」
田中室長:「能動的な姿勢の涵養」
小林委員:「(大学教育は)アウトカム(の評価)に変わってきている」
安西委員長:「JMOOCも話題になっているが、受講する学生の主体性がないと、受け身で映像を見ているだけになる。」

今の教育課程において、十分に涵養できていないという共通認識があるもの。
グローバルな時代になり、今まで以上に求められてきているもの。
企業が求めているもの。
JMOOCのようなICTの発達により、利用すれば能力はかなり高まるが、利用者の前提条件となるもの。

すべて「主体的な学び」という言葉に集約できる、と感じました。


上記2.で挙げた点も、「主体的な学び」を求めている、ということにつながると思います。
話を分かりやすくするために、恐縮ですが、少し乱暴な言い方を使って説明しますと…

「今、どこの大学も受かりやすくなっているから、推薦かAOで余裕だよ~。教科の勉強なんてしないもんね~」と思っている高校生には、「いやいや、高校のカリキュラムをしっかり学んでいることも試しますよ」と、「達成度テスト(基礎レベル)」という制度を導入することで、「学び」へと誘導する。
「とことん暗記して、あとは受験テクニックを覚えてしまえば、難関大学合格できる!」と思っている高校生には、「いやいや、暗記やテクニックだけでは、難関大学はまず合格できませんよ。」と、多様な選抜(論文、記述中心の学力試験、面接など)も併用し、「学び」へと誘導する。

高校生自らの、何らかの「主体性」がない限り、合格は遠くなる、そんな入試を目指していることが窺えます。

下村文科大臣は「大学進学率を、現在の52%程度から、OECD平均並に、あと10%程度に引き上げたい」と仰ったようです。
この発言を引用した文科省の方の発言を受けて、安西部会長がこう仰いました。

「推測でものを申してはいけないかもしれないが、大学進学率を上げた方がいいんでは、という声は、大学教育の質をしっかりしている、という前提で、大学レベルの人を増やさないといけない、ということ。」

大学の質を充実させ、かつ、大学、つまり、高等教育機関であり、日本における最高学府レベルの人を増やす、そんな覚悟を感じました。


他、高校のカリキュラムの問題や、SATやACTを引き合いに出すときの留意点なども議論されましたが、やや専門的になりますので、本ブログでは取り上げません。
上記をしっかりと(考え方や流れを含めて)理解できていれば、おおよそ、現在の大学入試改革について捉えられていると思われます。


最後に。
「主体的な学び」の涵養、という方向性、大いに賛成です。

そのために、こと、大学入試周りを考えるのであれば…

高校の教師は、「教える」だけではいけない教育の技術をより磨く必要があるでしょう。

大学教育では、反転授業、アクティブラーニングを始めとした様々な手法、そして、その手法を発揮できる「場」の創造がより必要になるでしょう。
アドミッションポリシーの明確化も必要です。そして、論文や記述式の大学入試に耐えうるだけの「大学自らの知的普遍性」に確信を持たなければいけません。
2次試験廃止!?~大学入試で問う力とはでも引用した、北海道教育大学元学長の村山紀昭氏のツイッターでの発言を再度引用します。

「大学入試改革論議に関して、一点刻みの学力か面接での人物重視かが議論されているが、問題は、今の共通テストで高校教育が縛られていて、思考力や創造力の教育が削がれているとことにある。で、ポイントは大学がフランスのような徹底した記述式の問題で選抜をする構えを取るかどうかではないか。」
引用元:https://twitter.com/muranori7/status/388918974894710784

「教育再生実行会議の大学入試論議の先行きは不透明でそう期待していないが、小中高大の教育の有り様を根本から変えるのには大学入試の根本改革が必須なのは事実だと思う。そのポイントは、一定の主題に関してとことん思考力を試す論述試験ではないか。これをやれば少なくとも高校教育は根本から変わる。」
引用元:https://twitter.com/muranori7/status/388922807335129088

「論述方式の入試の客観性の可能性と必要性こそ議論されるべきではないか。日本の教育では、長年こうした論述試験の客観性が軽視されてきた。そろそろそこに踏み込むべきでないか。客観性を、単に点数上の公平性のレベルで論じていては埒があかないと思う。大学人は自らの知的普遍性に確信を持つべきだ。」
引用元:https://twitter.com/muranori7/status/388921835099660288


そして、高校教育、大学教育に関わっている人だけではありません。
大人である我々一人一人全員が「主体的」になることで、若い世代の「主体的な学び」を後押ししなければいけない、と、強く思います。


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「主体的な学び」を「通信教育」という形でずっと支援しているZ会。
サイトZ会の徹底した添削指導でここまで書けるようになるをご覧ください!

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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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