今年に入って一番共感した書籍。
「教育」の常識・非常識―公教育と私教育をめぐって (安彦忠彦/早稲田教育叢書)
文章をつまみぐい的に紹介していきます。
※引用文は“ ”で括ることにします。
■はじめに
“近年、「教育」は政治家が取り上げる大きなテーマの1つです。でも、一般的には「教育」と言う言葉を聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。現在の日本では、大部分の人が「学校教育」のことしか思い浮かべないのではないでしょうか。しかし、「教育」=「学校教育」と言い切ってよいでしょうか。それでは、昔から「家庭教育」とか「社会教育」、最近では「生涯教育」という言葉があることを、どう考えたらよいのでしょうか。”
「日本のためには、教育が一番大事だ」
TVや新聞のちょっとした論、有名人のセミナーなどで、僕の耳にはよく入ってくる言葉です。
しかし僕は、この発言と、その発言をするときの雰囲気が嫌いなんです。
発言者に当事者意識がないことがほとんどですから。
教育って誰でも、何かしら、関わっていると思うんです。
子どもがいる人は、家庭教育。
いなくても、地域教育、社員教育。
自分が関わっている人の中で、経験不足の人間に対し施す教育が、必ずあります。
一人ひとりが、自分にできる教育をしていくだけで、随分と世の中はよくなるはずです。
しかしどうも、「日本のためには、教育が一番大事だ」と発言する方の背中からは、「一人ひとりが、自分にできる教育をしていこう!」という姿勢が見えてきません、残念ながら。
きっと、学校教育をイメージしているのでしょう。
そして教育=学校教育、という等式が強くイメージされる「教育」という表現の使い方を、僕はどうかと思うわけです。
“ここでは、あらためて、「教育」というものには「公教育」と「私教育」のい二つがあることを強調したいと思います。この場合、「私教育」とは「私立学校の教育」の意味ではなく、「日常生活の中で人々が自分の考えで、自分の子どもや周囲の人々を教育すること」を意味し、そして、その重要性を十分理解して、そいの再生を図らねばならないことを強調したいのです。”
私教育の再生なくして教育全体の再生は為し得ない、これが筆者の強い主張です。
ほぼ、公教育といえる仕事に従事されている(=大学教授)安彦氏が、「覚悟を持って」自分とは立場の違う私教育についての再生を求める、そこに強い、当事者意識を感じるのが本書です。
“「公教育」とは、「国や地方自治体が責任を持ち、法令に従って行っている教育」であり、決して自由勝手に行っているものではないのです。”
信念を持つのは素晴らしいことですが、「公教育」の使命やルールを曲げてまで信念を表出する先生がときにいますが、どうかと思います。
一方、我が子がかわいいという気持ちはよくわかりますが、周りの人に「自子主義」と見られるまで、自分の子どもの利益を求め公教育に要望する保護者もまたもちろん、どうかと思います。
“子どもに問題があるとすれば、直接か間接かを問わず、関係するすべての大人に責任があると思う。”
京都市立堀川高校校長(当時)の荒瀬克己先生の言葉です。
強く共感し、こう捉える大人がほとんどの社会になれば、多くの教育問題は解決すると思います。
2012.08.20 23:00
- カテゴリ :教育のこと