友人の教師のネット上での投稿で、野中信行さんのブログのタイトルに目が行きました。
教職員が元気になることが第一の課題である!
http://nonobu.way-nifty.com/blog/2014/04/post-e407.html
野中さんは以前、Z会についても書いてくださったので(感謝)、以前のブログを調べるために、ブログ検索で「Z会」と調べてみると、こんな内容のものが。
「学校教育の終わり」ということ~内田樹ブログに関して~
http://nonobu.way-nifty.com/blog/2013/05/post-d838.html
あれ?こんなところでもZ会に言及してくださってたっけ、と眺めてみたら、このような文章が。
“私の友人でZ会の寺西さんは”
友人、と書かれたことに、光栄かつ、とっても嬉しい気持ちになりました。
公教育の教師で、学級経営の勉強をされている方なら誰しもしっている野中信行さんに、友人と呼びかけられた。。。
親しくさせていただいてはいますし、僕も「友人感覚」で接してはいたのですが、「友人」、と呼ばれると、改めて、ほんと、ありがたく思います。
この「友人」という言葉。使い方が人によって大きく違うと感じています。
ビジネスの取引先の中に「友人」という関係性はできない、と思われている方、「友人」という呼称は、学生時代の仲間やオフのサークル活動の中からしか生まれないと思っている方…など。
あと、世代が違いすぎる「友人」という感覚がわからない人も。
僕は、志、いや、そこまで大きくなくても、考え方の「感度」が同じであれば、みんな「友人」と言います。
野中さんは僕にとって、大切な友人(畏友)。お会いしたのはまだ2回しかないのですが、友人、なんです。
あの人のためだったらひとはだ脱げる、そう思える人は、誰でも「友人」なんじゃないですかね。
逆に、たまたまそのとき、その場で、長い間一緒にいた、というだけで、「友人」とは言えないとも思いますしね。僕は。
2014.04.12 23:00
- カテゴリ :素敵な方