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2016.02.03 18:42

このブログのタイトルは「和顔愛語 先意承問」です。
「わげんあいご せんいじょうもん」と読みます。

「和顔愛語」の方は説明は不要ですよね。
やわらかな顔、優しい言葉で接しましょう、ということです。

「先意承問」の意味、私はとても気に入っています。

「先方の意図(意思)を承ってから問いただしなさい」


たとえばゴハンが目の前にある。お米も作った人がいる。その人のことを思いながら食事をすると、お米の先に関わっている多くの方に感謝の念が湧く…
というのが本来の意味のようです。

加えて私は、2つの意味合いでこの言葉が好きです。

1つは、自分に出来ないことをやってくれる人の価値を認めることにつながること。
私の中では、この態が「多様性の受容」につながります。

もう1つは、「相手を承り、問いを発する」という行為は、相手に応じて自らの出す手段を変える「知恵」が必要なことを教えてくれるからです。
優しい気持ちだけでは「相手に応じた適切な問い」は出せません。
そこには相手のことを真剣に思うからこそ、自らには知恵が必要だという、問題解決力が優しさにつながる文脈があると思っています。

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2012.07.31 11:42

Facebook上で、いろいろなアドバイスを頂いている、佐賀県の小学校の先生がいらっしゃいます。
その方向けにこんなメッセージを書きました。

=====
Webの世界では著名な、河野武さんって方がいます。
http://smashmedia.jp/
彼の座右の銘が、「ぼくはぼくとぼくの好きな人のためにがんばる 」です。この言葉、読めば読むほど好きになっていく言葉で、人間ってこれができれば十分過ぎるほど十分じゃないかな、と思っているんです。
自分のため、自分の好きな人のために全力を。これって、その人から見て「関係性」や「(好き、という)感情」が強い人を大事にするって言葉なのかな、と。そして決して、それまで関係のある人のみを大事にする、という、いわゆる「内輪受け」を意味する言葉でもありません。

いくら自分が、自分の思う、素晴らしいことをやっていて、そして、相手にコミットしてほしくても、相手を「その気」にさせないといけないですよね。
そして、「その気」にさせるのは、相手のことを見ていますよ、慮っていますよ、という態度だと思うんですよね。
=====

このメッセージに、ありがたいことに、先生が共感を覚えてくださったようで、彼の投稿欄で紹介されていました。
ただ、このメッセージに至るまで、彼といろいろやり取りした複線もあり、経緯を知らないと唐突感のあるメッセージかもしれません。

そこで、ついで、というのもなんですが…
僕がこの言葉を好いている理由をブログに書きたいと思います。
加えて、失礼ながら、その先生に送るメッセージとして書かせていただきます。
注1)ブログに書くのは、そういう前提の中でも、読者の皆さんに参考になるところがありましたら…という気持ちからです。
注2)河野さん自身が解釈されている上記言葉の解釈とは異なるかもしれません。あくまで、僕の解釈です。

・・・

人は何のために、何を目標として、あるいは、なぜ生きるのか、と問われたら、答えは決まっています。
「幸せ」のため、ですよね。
僕の考え方・思想性、および行動の起点は、すべてここです。

誰の助けも不要、一人で、あるいは家族だけで、衣食住を含めた生活基盤まで全部まかなえる…
極端に言えば、服や靴も自分で作れて、食材も自給自足して、自給自足のための土地も自分だけで持っていて、公共財の利用を一切断って、市民権を得ないで…その状態で「幸せ」であれば、別に構わないと思います。
しかし、貨幣が流通する社会を待たずとも、原始から、物々交換による人との関わり~つまり「社会」は生まれているわけですから、現実的には、社会との関わりなくして人は幸せになれない、と言い切ることができます。

社会と関わる以上、社会を動かす対象物…具体的には「人」になるわけですが、他者である「人」に対して満足を与え、その代わりに自分が満足を得る、これが幸せを得るための基本であると考えます。
もちろん、人に満足を与えずに、人から満足をもらえる状態を作れば、それも「別に構わない」となるわけですが、そんな状態が許されるのは、現実的には「子ども」~しかも、「子ども」は今後、社会を動かす動力になるという共通認識がある社会下において~だけかと思います。

ドラッカーも語ってます。「まともな社会なくして、まともな個人はありえない」と。
自分の存在理由、自己実現、云々、個に落とし込んだ「自分の豊かさ」を考える側面のように見える思考においても、結局、社会の存在を切り離すことはできない、ということを端的に語った言葉だと思います。

…となると、人は何を目標にして生きるか、の答えは、“「幸せ」のため。ただし、社会の存在という制約条件下において。”というのが、僕が現時点で得ている、最も近い解になります。
そして、社会の存在をそれほどケアしなくても「幸せ」をつかめる状態を作ったのであれば、それはそれで構わないのですが、一部の超スーパーな人間(例としてわかりやすいのは、イチローのような人)以外の、我々のような一般人、凡人は、社会という制約条件を負荷に感じない、つまりは、「社会と共に歩んでいる」感を自分の中で形成しない限り、「幸せ」は得られないと思います。
換言すれば、社会の中で受け入れられる自分を作らなければいけません。

じゃ、自らの幸せを鑑みつつ、他者にどうすれば受け入れられるか、となると、「他者の幸せ」と「自分の幸せ」をすりあわせていくことが必要になります。
他者(Aさん)の中で「自分が存在することで他者(Aさん)が幸せになる」という心を醸成しないといけないわけです。
これが、他者視点の心理で見たときの「ぼくはぼくとぼくの好きな人のためにがんばる 」という言葉であり、その気持ちの中に入っていかないと(=関係性を構築しないと)、めぐりめぐって、自分の幸せ、あるいは、それを具体に落とし込んだ「達成したいと思う事柄」を達成できませんよ、という、僕なりの解釈です。

自分視点で見たときも、結局は「ぼくはぼくとぼくの好きな人のためにがんばる 」のが、幸せになるメンタリティだと思います。
語りだすとこれ以上に長くなるので省略しますが、全くそれまで関係のない人に対して支援する行為(寄付行為から、道端のお年寄りに手を差し伸べる行為すべて)も、自らのちょっとした幸福感を得るためという感情まで全て含めて「自分のため」というものに含まれると捉えると、究極的には「自分の幸せ」のために行っている、という結論に行きつき、むしろ、現象として「多くの支援をしている」と思われている人ほど、「ぼくはぼくとぼくの好きな人のためにがんばる 」というメンタリティを強烈にもって行為を行っているのではないかな、と思います。

ちょろっとだけ脱線的に、かつ、ちょっと言葉は悪くなりますが、何か甚大な災害が起きたときにのみ支援行為を起こそうとする人と、普段から「ぼくはぼくとぼくの好きな人のためにがんばる 」を考え方として、態として持っている人が、社会の中でどちらが社会の中で幸福感を増すベクトルに動かしているか、というと、後者だと思うんです。(生きるのは)“「幸せ」のため。ただし、社会の存在という制約条件下において。”ということを強烈に捉えていますから。
#もちろん、甚大災害のときに支援する行為を否定するものでもございません。

閑話休題。これが“彼の座右の銘が、「ぼくはぼくとぼくの好きな人のためにがんばる 」です。この言葉、読めば読むほど好きになっていく言葉で、人間ってこれができれば十分過ぎるほど十分じゃないかな”と語った理由になります。
小学生くらいの子どもに態を植えつけたいのであれば、言葉として、「父ちゃん母ちゃん、友達を幸せにできるような人間になれば、それだけで自分も幸せになるから、そのためにがんばんな」で十分だと思うんです。途上国の人に思いを馳せよう、その人たちに支援を、という言葉を小学生くらいの歳で投げかけるより、よっぽど。


じゃ、がんばる、って、具体的には何をすれば、ぼくと、ぼくの好きな人に満足感を与えられるか?という答えが、僕の座右の銘であり、ブログのタイトルにもしている「和顔愛語 先意承問」という言葉につまっています。

自分が幸せになるために、社会から支援を受けたときは、無表情無関心、あるいは怒っていても、当然ですが、他者の幸せに寄り添うことはできませんよね。だから「ありがとう」という。優しい心をもち、優しい態度で接する、それが「和顔愛語」という言葉で表される態であり、教育視点では「情」の教育にあたることだと捉えています。

また、心だけでは人は助けられません。人を助ける技量を身につけなければいけません。それが「先意承問」~相手(「先」方)の「意」思を「承」って「問」いかけを発せられる~という言葉で表される態であり、教育視点では「知」の教育にあたることだと捉えています。


発展した現代においては、問題解決も複雑に絡み合うことが増えているため、昔以上に「知」が必要です。
Z会にいる自分の存在理由でもありますが、本当の意味での「学力」を自分の中で形成しないと、自らの幸せはつかめないと強烈に思っています。だって他者を支援できませんから。
安彦忠彦先生も仰っていますが、公教育の存在も、「学力形成」が主であるべきなのです(Z会は、学校という場だけではどうしても身につけられない高度なレベルでの問題解決力を育成するための存在というのが僕の解釈です)。

そしてもちろん、「情」も必要です。アタリマエですが、自分に情がないと、他者からの情を引き出せませんから。
そして公教育は、学校でしか身につかない「人格形成」を副の目的としてあるもの。
一方で副の目的に過ぎず、人格形成は、家庭教育、そして地域教育。三位一体が必要条件であり、現代ではそれに加え、「地域」という場の存在が、地域を飛び出した「場」や、インターネットでつながることまで含めた、広義の「場」の中での教育が、人格形成において大切だと思っています。

一番の教育問題を語るとしたならば、家庭教育と地域教育が機能していない現象が増え、結果として学校教育に必要以上の人格教育を求める現象を誘発し、結果として三位一体で形成される人格よりも低レベルの人格しか形成されない上に、学力形成(not 「受験に合格するための」学力形成)が御座なりになっている点です。

蛇足ですが、Z会で働く僕の顔は、上記のとおり、公教育ではどうしてもできない学力形成に寄与することに邁進する顔であり、これはこれで社会の一部分を創っている行為と思っています。
一方で、教育人としての僕の顔は、家庭教育と地域教育が機能していない現象を直視し、「ぼくとぼくの好きな人のために」機能不全の解消に邁進するという時間の使い方をしています。
妻の協力もあり、今のところ「ぼくとぼくの好きな人」に大きな教育問題は発生していませんが、今後、PTAなどを初めとした「公教育と家庭教育の接続点」がおかしなことになりそうだったら、間違いなく割って入ります。
個人的な活動として、自治体を通じて行う教育も芽も出てきました。
こうして24時間、「ぼくはぼくとぼくの好きな人のためにがんばる 」ことを単純にやっているだけなのです。
“「幸せ」のため。ただし、社会の存在という制約条件下において。”
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2011.12.31 23:20

ブログのタイトルにも使っている「和顔愛語 先意承問」という言葉は、僕が最も大切にしている言葉です。そして年末年始頃に、(ほぼ)必ず記事にしたためることにしています。
初出は多分これです。
http://d.hatena.ne.jp/zkai/20061227/1167278444

上記ブログ中にも触れていますが、改めて意味を。

出典は仏教経典の「大無量寿経」。文字通り訳せば、「にこやかな顔、優しい言葉で、相手の気持ちを察し、先んじてその人の期待に応えましょう」というもの。人間は一人だけで生きているわけではなく、多くの人たちのお世話になって生きているわけで、そう考えると、どんな人に対しても笑顔で接したくなるでしょう、という、人間としての悟りの境地を簡単に述べた言葉です。

当時(僕が20代前半の頃)ダイキン工業の副会長だった井上義國氏により、日本経済新聞夕刊の「あすへの話題」のコーナーで紹介されていました。
ちなみに当時、ダイキン工業の企業規模は今ほど大きくなかったのですが、その後「エアコンのダイキン」となり、社員を大切にしつつチャレンジ精神溢れる企業として日経ビジネスにも取り上げられるほど大企業になりました。井上氏の精神が活きていたのかもしれません。

とくに僕が大切にしているのは、「先意承問」の部分です。
受信力、想像力という、コミュニケーションにおいて最も大事な2つの力が盛り込まれており、人にお世話になると同時に自らが人の役に立つためには、「心」だけではなく「知恵」と「行動」が必要なんだ、ということを明確に4文字で表した言葉だからです。


2011年を振り返り、2012年をスタートするにあたり…
今回は、この言葉を想い浮かべながら

2012年は“それぞれの立場でできる「社会価値創造」を”

をお伝えしたく、記事をしたためたいと存じます。


年末、こんなブログがweb上を駆け巡りました。

大阪市職員です。

マスコミが流している大阪市職員の様々な不祥事や高給そのものは「事実」ではあります。
しかし、一つ一つの事実が、大阪市職員の総体に適用できるという保証はありませんし、ましてや個別においては、まじめに薄給で働いている大阪市職員も多いかもしれません。単にマスメディアに取り上げられないだけで(そんなニュースを見ても視聴率とれませんからね。苦笑)。

上記のブログも、真実(の総体)を語っているかどうかは、わかりません。
しかし、マスメディアで報道される事実もまた、真実(の総体)を語っているともいえないのです。

それなのに、どうして、こんなに簡単に、そして見るに堪えない、誹謗中傷もどきのコメントがつくのか…
ほんとに悲しいです。


もう1つ。僕の友人の話をします。
彼は厚生労働省勤務の官僚です。
新人の時の仕事は、平日9時から17時半まで、延々と年金問題のクレーム電話に対処する仕事。
世の中の「仕組み」を変えようとする仕事は、17時半以降じゃないとできませんでした。
当然深夜3時4時の激務で、病院送りになった人もいたそうです。

クレーム電話に出る仕事なんて誰か他の人に任せればいいじゃない、という声もあるかもしれませんが…
そこでちょっと間違ったことを言った瞬間に、またメディアに叩かれるという構造。
だから、すべてのことを把握した人…結局高級官僚クラスが電話に出るしかない状況だったそうです。

この記事をご覧頂いている方には、このことは事実かどうかは定かではないかと思います。
でも、僕の友人が僕に、呑みの席で、こんなネタで嘘を言うわけはありませんから、僕にとっては100%事実ですし、僕を知っている皆さんにとっても、このことは「推定、100%事実」として受け止めてくれると思います。


この2つのことがらに共通すること。
それは、「単なる文句」を言う人が、社会から価値創造に費やす時間を奪っているということです。
「単なる文句」を言う人自身が、費用対効果の悪い国の仕組みや政策を生んでしまっているということです。


文句を言いたくなるような対象の言動が先にあるのかもしれません。
また、適切な批判であれば一向に構わないと思います。

しかし…大阪市職員のブログに述べられた状況や、友人が受けていたクレーム電話のように、自らの気持ちの「はけ口」として「単なる文句」を他人に浴びせる行為そのものは、社会の価値をかなりマイナスに導くものであることは間違いありません。

これらの行為の存在を極小化し、それぞれの人が、それぞれのおかれた立場で、出来る限り「先意承問」の態度とをとることが、今の日本社会を成長させる、一番の方法だと思うのです。


震災後。
ボランティアに行った友人知人の数。
恐らく数え上げると100名はくだらないと思います。

一生を東北の復興にささげる、と、それまでの仕事を捨て新たな道を歩み始めた人間もいます。
「行動しないと始まらない、さあ、一緒に!」と声をかけられたこともありました。
彼らが世の中に生みだしている価値は最大級でしょうし、ほんとにすばらしいことだと思います。


一方…僕はボランティアに行っていません。ましてや仕事も捨てられません。
でも、卑下するつもりもありません。

自分の置かれた立場で最大限のことを行使し、為してはいけないことを決して為さず。
為してはいけないことを決して為してはいけない、という人たちで社会の雰囲気を創っていくことに少しでも与していけば、日本社会という枠組みを通じて、被災地に貢献できる、そう思っているからです。

娘の父親として、社会に価値を生み出せる娘に育てること。
妻に幸せな一生を作り上げること。
近所のお世話になっている人たちと常に笑顔で触れ合えること。
Z会の一社員として、お客さんに、会社に、社員に、社会に、価値を届けること。
ネットで知り合った心ある皆さんの気持ちや行動に少しでも影響できるメッセージを与えること。。。


自分の立場でも、「先意承問」の姿勢で、やることはいくつも、いくつも、あります。
もちろん、自分と違う立場で、自分のできないことをしている人には、心からの敬意を表しながら。



誰でもできませんか?こんなこと。
みんなができるようになれば、未来はどんどん、創れると思いませんか?


誰かのせいにするより。誰かをひがむより。
少しでも社会に価値を生み出すことを考え、実行しませんか。

そして、その方が、自分自身、幸福になれると思いませんか。


2012年、一つでも多くのものを、社会に生み出せる人間を目指しませんか。
それぞれの立場で「和顔愛語 先意承問」の姿勢を発揮できること、いくつもあるはずです。
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2010.12.29 12:27

タイトル、正確な言葉としては「和顔愛語 先意承問」です。念のため(笑)


ブログのタイトルにも使っている「和顔愛語 先意承問」という言葉は、僕が最も大切にしている言葉です。そして年末に、(ほぼ)必ず記事にしたためることにしています。
初出は多分これです。
http://d.hatena.ne.jp/zkai/20061227/1167278444

上記ブログ中にも触れていますが、改めて意味を。

出典は仏教経典の「大無量寿経」。文字通り訳せば、「にこやかな顔、優しい言葉で、相手の気持ちを察し、先んじてその人の期待に応えましょう」というもの。人間は一人だけで生きているわけではなく、多くの人たちのお世話になって生きているわけで、そう考えると、どんな人に対しても笑顔で接したくなるでしょう、という、人間としての悟りの境地を簡単に述べた言葉です。

当時ダイキン工業の副会長だった井上義國氏により、日本経済新聞夕刊の「あすへの話題」のコーナーで紹介されていました。
ちなみに当時、ダイキン工業の企業規模は今ほど大きくなかったのですが、その後「エアコンのダイキン」となり、社員を大切にしつつチャレンジ精神溢れる企業として日経ビジネスにも取り上げられるほど大企業になりました。井上氏の精神が活きていたのかもしれません。


今年、この言葉を思い返すにあたり、一人の人、および私事で恐縮ですが、一つの出来事を紹介したいと思います。


まずは出来事から。
昨日(28日)、弊社のメールサーバーがダウンして(泣)、システム課はおおわらわでした。
午前からダウンし、完全復旧したのは20時。
そのお知らせがイントラネットにあがったとき、僕はシステム的な「問い合わせ」の際に使うことになっている「ヘルプデスク」から、こんなメッセージを投げました。

「年末にメール担当者の方は大変だったと思います、おつかれさまでした!
問い合わせではありませんが、大変だったことが容易に想像つきますので(苦笑)
こういう連絡にこのメールは使っちゃいけないのかもしれませんが、年末なので一言「おつかれっ」と言いたくて書きました!
※返信結構です。」


僕なりの「先意承問」です。するとシステム課の担当者からこう返ってきました。

「こんな涙を誘うメールには思わず返信してしまいますのでご容赦ください。
たびたびの遅延騒ぎで本当に申し訳ない限りです。
機器もソフトももうヨレヨレで、なんとか新環境構築までがんばってくれと思っているのですが、そういう時を狙って神は試練を与えるのですね。
暖かいお言葉ありがとうございました。」


ちょっとした「先意承問」で、お互いの関係がよくなる。そのことは仕事の生産性に直結しますよね。
僕のようにwebに携わることが多い人間であればなおさら、システム課の方の労働効率が(結果として)向上することは、自らの仕事の生産性をあげることにつながります。システム担当あってのweb担ですから。


しかし、こんな自分の行為など些細なこと。


紹介したい方。絵本作家で、グリーフケアにも力を入れられている入江杏さん。
最近新たにメディアにもいろいろ記事が掲載されていた世田谷一家殺害事件、被害者のお姉さまにあたり、本ブログでも何度か取り上げている方です。

なんで今回取り上げたいと思ったか。それは、自らが被害者遺族であり、辛い立場に立たされながら…いや、辛い立場に立たされた「からこそ」が彼女の想いでしょうが…「先意承問」が最も必要とされる、「グリーフケア」に携わっているからです。

グリーフケアとは、両親や恋人、愛する伴侶といった身近な人の死から立ち直ることができなくなった人をケアしようという活動のこと(Yahoo辞書より)。
犯罪の被害者の遺族になった、その気持ち…



ちょっと思いに耽ってみてください。



その立場に立たされ、かつ、だからこそ「グリーフケア」には自ら取り組まなければいけないんだ、と想った勇気、覚悟、真摯で誠実さ、そして行動。
「先意承問」の気持ちがなければ決してできないことです。

入江さんには何度かお会いしたことがあるのですが、悲壮感は微塵も感じられません。
事件の風化を阻止するために、先日(10日)マイクを取った息子さん(日経新聞夕刊12月27日の記事より)も、笑顔が素敵な方です。

生きていることの素晴らしさを全身で表現されている、ほんとうに素晴らしいお二人なんです。



以上、2つのことを書かせていただきました。
そしてタイトルには「先意承問」を先にもってきました。

僕が「にこっ」となれるのは、先方の意図を(先んじて)承り問いただした行為が相手にも喜ばれたときに出る笑顔だからです。
そしてそのときに発する言葉が「柔らかい言葉」だからです。

表面的な笑顔、ではなくて。おべんちゃらでもなくて。


今年1年、「ソーシャルメディアのうまく活用している人」として、ありがたいことにメディアにかなり取り上げられましたし、メールや電話でのお問い合わせ・取材もいろいろ受けました。
でも、僕は、「特別な上手いやり方」なんて知りません。ほんとうに。

「先意承問 和顔愛語」を貫いているだけです。

これからソーシャルの時代になる、といわれています。
であればこの言葉、多くの人にかみ締めていただきたいと思っています。
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プロフィール

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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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