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2012.12.25 20:06

一つ前の記事「中学入学前にしつけておくこと」を読んだ友人の先生から、「それ、違うんじゃね?」という反論を頂戴しました。
僕のFacebookウォール上で展開されたやり取りを、このブログで紹介します。
ちなみに、下記で登場するH先生は、福島県郡山市の小学校教諭、坂内智之先生。
もっと!とんたんの学び合い帳」筆者です。

==(以下、ウォールより)==

H先生:ん~、これを言い始めると、小学校は「入学する前に躾けて欲しいこと」になるし、幼稚園では「入園する前までに躾けて欲しいこと」になります。高校でも「高校入学前までに」になりますよね。
裏返すとそれを中学校で育てていくシステムがないということです。育てられない小学校の先生も同じようなことをよく言いますね。


寺西:H先生、先生の立場であれば、そう思うことに共感します。僕もH先生のように思おうとすると思いますから。

一方、「脊髄反射」の言葉ってホンネだと思うんですよね。今回集まった先生は優秀な方が多いので、責任転嫁ではなく、反射的に思っていることがこれである、って事実を知る、ってだけでも、有意義だと思うんです。

仕組み論と個別の人材教育論は分けて考えなきゃいけないと思っています。仕組みでカバーできることを教育論だけにいきがちな教師も一定数存在することは認めつつも。


T氏(一般の方):中学校の先生が小学生の保護者に話す機会がない、というようなミスマッチは、見落としやすい意外な落とし穴として結構ありがちですね。せいぜい卒業直前に、1回ある程度だと思います。

地域社会がしっかりしてると、保護者とは世代は違っても同じ地域に住んでる中学生の先生が、小学生の保護者に話しをしたりする機会もあります。昔はこういう面もあって、地域の教育力、家庭の教育力がうまく機能してたのでは。

地域社会そのものが世代ごとに「核家族化」する傾向はありますね。


N先生:う~ん、読みましたが、ちょっと疑問がありです。

1 提出物を提出できるように…=先生に言われたことを素直に守る
先生の言っていることがもっともなことであり、生徒たちがなるほどと思えば、それに逆らうことはない。そうじゃないことが多いから素直に従えないのでは? と思うことがしばし。

2 思いやりの心
学校での生徒間の思いやりは、子どもたちの中で育むものだと思う。だけど、そこに大人が常に介入する小学校時代で、果たして思いやりの心を育てる場があるのか? 言葉としては間違っていないけど、どう育てるかを小学校でも考えないといけない。家庭だけの問題ではない。

3 「はい!」という気持ち
説明が少ないので、内容がわかりませんが、まさかイエスマンを大量生産しようとしているわけではないでしょうね。あの年代は「はい!」の前に「なぜ!」だと思います。それを言わせないのが今の教育。だから「なぜ!」を考えられない、考えようともせずに、そのまま答えを求める、出された答えをうのみにする生徒が増えているのではないかと危惧しています。

4 嘘をつかないでほしい
それは無理というもの。人間は嘘をつく。人を傷つけない嘘はつく。自分を守る嘘もつく。それが人間だと私は思っています。嘘をつかれた裏切られたと思う教員の気持ちもわかりますが、なぜその生徒が嘘をつかなくてはいけなかったのか、そこが問題だと思います。

以上、読み方が浅かったら叱ってください(笑)。学校だけでなく、我が家にも中二と高一年代がいますので、親の立場も含めても、ちょっと違和感ありましたので、一応、コメントしてみました。昨日、「明日の…」にちゃんと時間とお金を使って、かつ、懇親会にも行ってみたかったです。行かずに言っちゃいけないところもあるかもしれないですが。はい。


寺西:N先生、ありがとうございます。

上記H先生へのコメントにもあるとおり、学校の先生は、先生の立場で、自分に厳しく見ればいいと思うのですよね。
一方、保護者の立場の方は、この記事見て「あーそうなんだ、そこは家庭(あるいは知人の保護者同士)でしっかりしていかないとね」と思えばよいかと思っています。


少なくとも事実として、こういう言葉が反射的に出てきたことは確かですし、それは責任転嫁ではないと思うんです。
その気持ちに先生は甘えちゃいけないですが、「甘えちゃいけない」と保護者がおしつけるのもまた違う、そんな感じです。

みんなが自分の立場で受け止めて、自分のできることをやるようになればいい、ってのが僕の(本記事の)意図です。


N先生:え~、保護者の立場で考えても、小学校の低学年か高学年前までは、これでOKだと思いますが、小学校高学年以降の子どもにこれはどうかと? 基本は自分でしっかりと考えて責任をとって行動しなさい。先生の意見は参考意見、自分で考え、最後の決断と責任は自分でとる覚悟をしないさい。だと思います。あと何よりも大事なことは、他人に迷惑をかけない。もし誤って、自分の想定が及ばずに迷惑をかけたら、素直に謝りなさい。そして二度と同じ失敗をしないように考えなさい。でも失敗を恐れずに、チャレンジしなさい。社会的に大きなご迷惑をおかけしたら、あなたが罰を受けるとともに、親も頭を下げて謝り、親も罰を受けます。その覚悟はあります。ということだと思うんですが…。世間的にずれてるかなぁ~? あ、一人の親として教えてほしいです。はい。


寺西:それこそ脊髄反射、でのコメントすが、N先生のように考えている親は、相当レベル高い親だと思いますし、そういう親はほっといても自分で子どもたちへの解決策も見つける、自分の考え方を構築できる、と思うのです(要するに、僕の意見など不要ということです)。
そのレベルから(表現は悪いですが)最低の親、との間の浮遊的保護者に対しては、N先生のようなコメントを「ネットで」「僕の立場で」「一見さんが」述べてもピンとこない(自分の視野に記事として入ってこない)ような気がします。
リアルの付き合いがあれば別の表現かもしれませんが。

僕は何よりも、無関心層(キッカケがあれば振り向く層)に届くことを第一に考えて記事かいてます。
だから今回は「先生の口から発せられた事実」を元に構成を考えて、「僕自身の教育的考え」より(無意識のうちに)優先して書いているところはあります。

僕の私見はさておき、少なくとも、明日の教室に来ている中学の先生4名がこのように話した、という事実があることは、受け止めるべきとは思います。


N先生:レベルは不明ですが、寺西さんの言うことは理解できます。高校年代の子をもつ親御さんたちとの接点はたくさんありますので、数年前を振り返ってもらっての情報を、機会を図って得てみたいと思います。こちらも寺西さんの観点で考えてみます。ありがとうございました。


寺西:N先生こそご丁寧にありがとうございました。
N先生やH先生のような先生(という職を生業にしている方)に、忌憚のない意見を頂戴できる今の自分は、ほんと、恵まれていると思います。

==(引用終了)==


最後のコメントにもありますが…
ともすれば「受験産業」と見られ、所属企業がそれというだけで先生から相手されないときもある(苦笑)僕からすると、率直に「これちょっと、疑問に思う」「違和感を感じる」という反論をぶつけてくれる先生に恵まれていること、本当に嬉しく思っています。


ネット上で反論をぶつけてこられる方の中には、「自分の方が勝っている」ことを見せつけるのを主目的として、論をふっかけてくる方がいらっしゃいます。
こういう方の論のやり取りでは、次のような特徴を感じます。


・相手の論を「極論」を持って攻める。
→たとえば、昨日のブログの中での「嘘をつかないでほしい」という希望に対しては「えっ、じゃあ、いじめられている友人が逃げ込んできたときに、追いかけてきた、いじめている子に対して、ほんとの居場所をいいますか?あなたは。」なんて論を出してくるんですね。
…いや、そういうことを指していってるわけじゃないでしょ、「嘘をつかないでほしい」と発言した先生は…と思うわけで。

相手の言葉が正しくない「反例」を示せば、相手の言葉は間違っている。
そんな、数学の論理と証明のような正しさを、相手に執拗に、部分的に追求する姿勢は、社会での最善解を求めようとする活動の中では、それこそ「間違い」です。


・大筋ではなく「言葉の使い方」を責める。
昨日のブログの中で「思いやりの心」という言葉“だけ”に突っかかってきて、「そこは“思いやりの心”という言葉は適切じゃなく、だって~」と論を展開するケース。
もちろん、言葉の使い方が余りにも違う場合は、指摘し正すことは良いとは思うのですが、筋とは関係ないところの言葉で「自身の解釈」が「表現された解釈」とは異なる(そして世の中は「自身の解釈」の方で絶対正しい)、といって責めるのは…


・過去の発言などを持ち出して「前と言っていることが違う」と責めるケースも。
→TPOに応じて、過去の発言と180度異なる発言をすることなんて、人間フツーにあります。
また、人間は、成長するに伴い考え方が変わる生き物。「前といっていることが(内容的にも)違う」ことなんてままありますし、人間をそのように見た方が、人間の成長を認める(つまり、相手を尊重する)態度だと思うんですけどね。


・相手が「そうですね」というまで止めることがない。
→だって目的が「勝つこと」ですから(苦笑)


「自分の方が勝っている」ことを見せつけるのを主目的とした方の反論は、やり取りされている一局面においてのみ、絶対的に正しい場合がよくあります。それを狙っての反論ですから。
ただ、そこで、何も生まれません…相手の「ヤな気持ち」と自分の「勝ち誇った気持ち」を除いては。

そんな反論って、ヤですよねえ…。
そして、相手の論や姿勢を(本質的に)変えることなんてないですよね…。


そもそも、いい年した大人の論や姿勢が、ちょっとネット上で反論を受けて変わる、なんてこと、ないと思うんです。態度変容させよう!という姿勢自体が、おこがましいと思います。

僕も、上記のような、N先生やH先生の意見を受けても、自分が昨日書いたブログでの論は曲がりませんもん。正直。
でも、N先生やH先生のように、「寺西さん、それはちょっと僕は疑問に思うよ」という反論を、相手に率直に伝えるだけ(そこで勝つことを目的としていない)、の方からの反論は、相手(今回は僕)の論を曲げられなくても、論が過度に尖ったり、一方向に突き進んだりする(それこそ「極論」を論じるようになる)のを防いでくれ、お互い「理解しあえる」領域となる適正な温度まで、論を導いてくれるんです。

そして、上記のように、ネット上では言い合いしているように見えても(苦笑)、僕の中で「あっ、そう捉える人もいるんだ」という心が芽生え、1つ価値観を吸収することで、受容性の高い考えや表現ができる自分を作ってくれるんです。やり取りを通じて、無意識のうちに。


上記引用文の最後に書いた

「N先生やH先生のような先生(という職を生業にしている方)に、忌憚のない意見を頂戴できる今の自分は、ほんと、恵まれていると思います。」

というのは、心からのホンネで…
反論してくれる真の友、大事にしたいものですね。
決して「勝つ、という気分を味わいたい」ために反論する方じゃなくて(苦笑)。
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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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