Z会ブログトップへ

2017.01.04 21:35

年始年末、ほんの少しだけ(苦笑)自宅の整理をしていたら、本棚から
『自由と規律』(池田潔)
が出てきました。

この本、昨年末に勤務先のICT CONNECT 21にて、「プログラミング教育」の勉強会で、イギリスの教育制度や、「Computing」という教科についていろいろ学んだ際、講師の方から紹介された書籍なんです。

『自由と規律』、購入したのは、大学生時代、(サークル活動を一緒にやっていた)日本女子大学の学園祭にて、古本で10円で売っていて、店員の女子大生が薦めるので(笑)、内容もよくわからず買った記憶があります。
どうやらそのときのことを一瞬忘れていたみたいで、アマゾンで10年前に新品で購入歴あるようですww
※今回出てきた本は、大学生時代に買った本で、扉にしっかり元の所有者名のお名前が…

恐らく以前にこのような経験がなかったら、今回講師から『自由と規律』を紹介されても、私は「読もう」と思えるまで興味を示さなかったと思います。
他にいろいろやることがある中で、「しらないもの」「触れたことがないもの」への行動は、人間どうしても億劫になりますから。

今回は、書棚にある本で、かつ、中途半端にしか読んでいませんでしたので、今回再読しようと思っています。
「講師の方が紹介する前に一度触れていた経験」が、知を得る行動へ自らを向かわせた例ですね。


世の中には、自らの知識や知恵が追いついていないため、自らの興味・関心が喚起されていないものがたくさんあります。
少年少女の頃「なんで勉強しなければいけないの?」と、とくに自ら嫌な教科について思ってしまい、ときには言葉にまでしてしまうのは、「自らの知識や知恵が追いついていないため、自らの興味・関心が喚起されていない」ことも影響していますよね。
だから、知識や知恵が追いついたら、「もっと早く勉強しておけばよかった!」となるわけで…。

とはいえ、知識や知恵がないものに対し、ベクトルを向かわせるのは大変です。
そこで、提案したいのは、「触れておく」ってことであり、教育する立場の側からすれば「触れさせておく」ってことになると思います。


私が立ち上げに携わった塾に「Z会東大個別指導教室プレアデス」があります。
塾の中には、英治出版さんに多大なるご協力を頂戴し、多くのためになるビジネス書が並べられています。
これは「東大の先」を見せることで「社会に役立つ人」を志向するようになる「場づくり」の演出とともに、「触れさせる」ことに拘ったからでもあります。

この塾で育てば、大学に入って再度その本に出会うと、「あ、どこかで聞いたことがある」と思い、本を読む、という次の行動につなげられるだろう…という願いを込めて。

ソーシャルブックマーク:

2016.01.04 12:04

【PR】Z会東大個別指導教室プレアデス過去問個別指導講座


歳をとるにつれて、人を批判する気持ちは薄くなり、自分のできることを出来る限りやろう、そのための時間に使おう、と思うようになってきました。

・時間が有限であることを(歳とともに)意識するようになった。
・批判しても変わらないという経験を何度もした。
・振り返ってみると、批判していた自分が、批判している対象を改善することにコミットしていないことがほとんどだと思うようになった。
・若い人の批判を聞くようになり、その多くはもっともだと思う一方で、批判している方自身が打開の為に動いていない(本人は動いていると思っているが、森の中の木レベルの動きに留まっている)ケースがほとんどと思うようになった。

…など、理由は複合的です。

物事を良くするため、「こと」の批判は価値のあることもありますが(物事を悪化させるときの方が多いとも思いますが)、人の批判は無益と感じるようになりましたね。ほんと。。
ソーシャルブックマーク:

2015.09.26 10:55

教員は多忙だから解消を! VS 教員は定時帰りばかりと思うけど?

これからはICTで豊かな教育を VS ICTに教員がふりまわされてよくない

アクティブラーニング!VS 教師が“教え”なくてどうするんだ!


賛否両論あるものは、どっちの意見も(そこだけみれば)部分的には正しいからこそ存在するわけです。
そして大勢をしめるのは、より「共感」を生んだ方。だから主張者は、共感を生みやすい短めの言葉を使います。
正しさがその後の選択を決めるわけではありません。

未来創造を最も阻害するのは「無邪気で勉強不足でメタ認知に弱い(相対的に)現状肯定者」だと思います。
世論にこのタイプが多いと社会は変わりません。

変わること、変わらないこと、どちらもそれは形に過ぎず、変わるべきときに変えられる賢さと、変えようとする勇気が未来創造には必要です。

若者たちのことを思うからこそ、大人は賢く勇気を持っていたいものです。
ソーシャルブックマーク:

2015.09.23 17:57

お久しぶりのブログになります。
おかげさまで、普段教室運営に携わるZ会東大個別指導教室プレアデスには、受講生が増え続けています。


さて、哲学者であり、教育哲学を説いている、苫野一徳さん。
彼の望む世界観は「自由の相互承認」に満ち溢れた社会を作ることにあります。
そしてそのためには、「教育」がとても大切だと説きます。

俺は自由にやれるんだ!と叫んだところで、社会の中で、自由が手元に届くことはありません。
自由を手に入れるためには、自分の自由を認めてもらうだけの人間関係と、「自由を叫ぶ人間が社会的価値のある人間だ」と認められなければいけません。
すなわち、自由を手に入れるだけの「能力」が必要で、だからこそ「教育」が必要だ、と、苫野さんは語ります。

この考え方、とても共感します。
ちょっと違う文脈で語ります。


「自分の望んだ仕事ができない」と多くの人は思います。
そして自らの所属する、多くは「組織」や「会社」というものに不満をもちます。大なり小なり。
しかしそこで自分を見つめて欲しいんです。
その外部要因がなければ、「自分の望んだ仕事ができる」のか、と。
たとえば会社から「お金いくらでもあるから、あなたの望みどおりにやってください」と言われます。できますか?
そこで「1人じゃ何もできない」と普通気づくと思います。
さらに「どれだけ人を使ってもいい」と言われます。できますか?
「あなたの望み」を体現できるほど、あなた以外の人が、あなたの思っている通りに動きますか?
「想いの共有」云々の前に、自らの指示をそのまま人にやってもらうってことも相当の技術が必要ですよ。

自分の望んだ仕事をするには、自らの力量が最も大切なんです。
たとえばイチロー選手は、自ら望んだ仕事をしていると思いますが、そのために、普通の人なら嫌になってしまうほどの日々鍛錬し、力量を高めているのでしょう。
自らの力量不足より、外部環境のせいにする人は、成長もしませんし、「幸せ」感を蓄えることもないでしょう。

普通の人には、制約条件があるって「ラク」なことなんです。その制約下で考えればよいので。
条件がない完全自由の方が、きっと人は望むほうに動きにくい。
もちろん、その動きにくさを弁えた上で、望みを叶えようとする人は素晴らしい努力家ともいえます。

“望みを叶えるにはその分の力量を伴う”という感度って大切だと思うのです。
「幸せ」と感じる人は、(望み)≦(力量)となっている人のことを指すのでしょう。
だからといって望みを小さくするのではなく、ちょっと高い望みを持ち、ちょっと高い力量を身につける、というバランスで生き続けるのが、最も望んだものが叶えられる人生を送れるのではないでしょうか。
ソーシャルブックマーク:

2015.04.25 11:05

今日の朝、街頭で寄付を募る皆さんを見て、ふと。


かつて…中学生頃まで、は、こういう寄付支援活動には良く出ていました。
「よいことをしたい」と漠然と思っていて、そして、よいことをしている、と思っている自分に酔っていたんだと思います。よくある話ですよね。

大学になり、自分もちょっぴり関係していた団体が、寄付が必要となました。
団体の活動がとてもいいものだったので、思想性において、まず寄付は断られないだろうと思っていた友人に声をかけました。
電話で5分くらい話し、彼はずっと「うん、うん」と繰り返し、「だから今度あったときに寄付金少しよろしくね~」と軽く話しました。
すると彼、「あ、よしとくわ。」と。これも軽い口調で。

「え?」
「だってよくわからないんだもん。」


そして彼は寄付をしませんでした。
僕にとっては、そのときの価値観からすると、考えられず、頭の中に「???」とか「俺、彼に嫌われているのかなあ」まで思っちゃいました。


阪神大震災のときにボランティアに行きました(大学時代)。
震災後すぐではなく、ボランティア熱が冷め始め、本当に人手が必要なときに行ったので、そのこと自体はよかったと思っています。ただ、ボランティアをやっている自分に酔っていたところもゼロではなかったと思います。

社会人の方と一緒に働きました。
「すごいですねー、会社休まれてボランティアなんて。」
「全然すごくないよ、私のわがままですよ。だから有給休暇できているんですよ。会社で働いている人の方がずっと社会に貢献していますよ。」

これまた、頭の中に「???」と浮かぶばかりでした。


その後はっきり分かりました。自分の身の回りや、今向かっていることに何らかの所作を施し、「良く」する行為はすべて社会に貢献しているんだ、と。
寄付を断った彼が、大切にしている人にお金を投じることも社会貢献。
社会人が、組織や会社を通じて成果を出すことも社会貢献なんだ、と。


20代後半から30代前半までは、その反動かもしれませんが、知らない人が寄付を募ったり、ボランティアを呼びかけたりする行為に対し、なんだかなあ、もっと他にやることをやった方がいい(社会貢献になる)んじゃないかなあ、という思いが強かったです。
もちろん、知っている人への寄付や、自分が選んでやるボランティア活動はしていました。
でも、その行為を他人に「やろうよ!」と、こちらからすると強要、他人からすると圧迫感があるレベルまでの言動をしなくなりました。簡単に申し上げれば「勝手に寄付し、勝手にボランティアしている」状態ですね。
だからこそ、街頭で大声で呼びかける行為に、嫌悪感に近いものを感じていました。


そして今は。
自分の身の回りのこと、大切に思っている人たちに専念している自分を否定しないままで、寄付やボランティアを呼びかける人たちも笑顔で見れる自分がいます。
私も、その皆さんも、自分の選んだ行為であって、そのことに自己重要感を持ち、他人にマイナスよりプラスを与えることであれば、それっていいことじゃないかなあ、と。

他人の選択した行動について、とやかく言わない。
苫野一徳さんの仰る「自由の相互承認」って思想性が強くなってきたんですね、私。
※苫野さんの『どのような教育が「よい」教育か』いい本ですよ!


そして私は今日、朝は少しゆっくりして、体を休め、家族との時間を楽しみ、行ってくるねと会社(下記の教室。笑)に向かい、「コーヒー買うくらいだったら寄付するかな」と、100円だけちゃりんと納めたのでした。


──(お知らせ)──
叡智と情熱が集う場、「Z会東大個別指導教室プレアデス
毎日、東大生による熱心な指導が行われています。

進級・進学のこの時期に、「東大生学習診断」。
東大生講師と面談してみませんか?体験授業も開催中!
http://www.zkai.co.jp/juku/todaikobetsu/taiken.html
ソーシャルブックマーク:

2015.04.20 11:18

“「社会起業家になりたい」と言っている学生さんに言いたいこと”
http://rick08.hatenablog.com/entry/NPO_kyokasyo

“社会貢献したい!”と思う気持ち、素敵です。
でも、「気持ちだけではどうにもならない、スキルを磨く必要がある」と知ることも、同時に大切です。
さらに言うなら、”「気持ちだけではどうにもならない、スキルを磨く必要がある」と知る”レベルの気持ちが最低限ないと、社会貢献はできないと思います。
人を助けるにはスキルが必要ですからね。

難しく感じます?
私は全然難しくないと思います。
その人の特長を活かしたスキルで、社会貢献できること、いろいろあると思います。

スキルを磨き、社会貢献することは誰でもできます。
その行為を続ける人生は素敵だと思いますし、その方自身も幸せだとも思います。

私も、NPOとは違った形で社会貢献していくことが幸せにつながっていますし。


Z会東大個別指導教室プレアデス」での教室長業務を通じ「社会を良くしていこう」というメッセージを発したり、そのための仕組みを整えたりすることも、ほんのちょっとしたことではあるかもしれませんが、社会貢献につながると思ってます。

──(お知らせ)──
叡智と情熱が集う場、「Z会東大個別指導教室プレアデス
毎日、東大生による熱心な指導が行われています。

進級・進学のこの時期に、「東大生学習診断」。
東大生講師と面談してみませんか?体験授業も開催中!
http://www.zkai.co.jp/juku/todaikobetsu/taiken.html
ソーシャルブックマーク:

2015.04.14 12:30

こんな記事を目にしました。

【記事】
文系受難の時代が始まっている?
http://blog.tinect.jp/?p=12717

政府の方針、そもそも理系が少ない、理系の方が生涯所得が高い…
ここで取り上げられている事柄は、私自身も様々なところで拝見したことがあります。
(それらがわかりやすくまとまった記事ですね)

ただ、「受難」ともしなるのであれば、その根本は
───────────────────
数学から逃げて受験したことが評価を(今まで以上に)落とす理由になっている
───────────────────
という点にあるのではないか、と思います。

もちろん、筆者の言うように「数学やテクノロジー関連のの教育はもはや「一般教養」と言っても良く、この時代、あらゆる人が避けて通れないもの」という時代背景が、文系低評価に拍車をかけることにつながっているとは思いますが…
これから様々な困難に立ち向かわなければいけない時代、苦手だからといって逃げた姿勢が相手に(今まで以上に)見透かされるようになったんではないかと思います。

数学が苦手だから文系、ということだけで「逃げ」とは思わないんですよ。その分他の教科を一生懸命勉強すれば。
一方、数学が苦手だから文系、という選択をする方には相当数、単に逃げているだけの方がいらっしゃる気もしています。。。

困難を避け続けて大学に合格することはできなくはないですが、その姿勢そのものは人生を幸せにしない場合もあることは、弁えておいた方がよいかと思います。

──(お知らせ)──
叡智と情熱が集う場、「Z会東大個別指導教室プレアデス
毎日、東大生による熱心な指導が行われています。

進級・進学のこの時期に、「東大生学習診断」。
東大生講師と面談してみませんか?体験授業も開催中!
http://www.zkai.co.jp/juku/todaikobetsu/taiken.html
ソーシャルブックマーク:

2015.04.13 02:28

[PR]Z会東大個別指導教室プレアデス 東大生講師と面談してみませんか?
http://www.zkai.co.jp/juku/todaikobetsu/taiken.html

先日、「Z会東大個別指導教室プレアデス」で、こんなリリースを出しました。

───────────────────
【Z会東大個別指導教室プレアデス】高校で教鞭をとられる4名の先生が来校!官民一体となり“社会を良くする”教室づくりに取り組みます。
http://www.news2u.net/releases/134650
───────────────────

記事を引用します。

──(以下引用)─────────────────
先生方がホワイトボートに書かれたメッセージをご紹介します。

▽東大入試には「答え」がありますが、社会の中での生き方には「答え」はありません。あえていうなら、自分で「納得解」を導くしかありません。そのために、「自分の目で見て、自分の頭で考える」ことを大切に。「自主性」より「主体性」を意識してみて下さい。
東大入試はそのための、最高の「トレーニング」だと思います。

▽教員、講師の手中から飛び出すことに快感を。

▽いつまでも自ら発火し、バケツの水に入れても燃え続ける花火のようであって欲しいです。

▽十代後半の今を否定する必要はないね。でも肯定する必要もなしですね。時に黙々と。
──────────────────────────

これ、とってもすごい出来事だと思っています。

先生が「学校で」これらの言葉を発したとき、伝わらないケースってあると思うんですね。
「先生の言葉」という構えの中で生徒が聞くと、耳に入らない場合がありますから。。。

この言葉、メッセージボードに書いてあり、塾に通ってくる受講生が見ると、とっても心に響くと思うんです。
妙な構えが無く、すっと入りますから。。。


塾がこういうことやってもいいと思うんです。
子どもたちの教育に資するのであれば、方法・手段はなんだってよく、ベストなやり方を追求すればいいわけですから。


これからの時代、官・民の垣根を越えて、若者の教育に向かっていくべきだと思います。
ソーシャルブックマーク:

2015.04.12 23:10

[PR]Z会東大個別指導教室プレアデス 東大生講師と面談してみませんか?
http://www.zkai.co.jp/juku/todaikobetsu/taiken.html


勉強することを目的化してはいけません。

■「勉強しなさい」とばかり言う親御さんへ。

勉強しなくても人間的な成長を続けていればいいですよね。
勉強しなくてもテストの成績赤点ほどでなければまあ困ることないんじゃないですかね。
勉強するという行為に着目するのではなく、お子さんが成長しているかどうかに着目しませんか。
すると「勉強する」という行為ではなく別の視点からの指摘につながり、結果的に勉強するお子さんを促せるかもしれませんよ。

■「こんな勉強するのに意味があるの?」とばかり言う若い人へ。

その勉強をする意味のある・なしを理解できるほど、知恵を、社会を、あなたは知っていますか。
知っていると思えば別に勉強しなくてもいいんじゃないですかね。
ただ、あなたの価値観や教養で、社会を俯瞰できるほど、多様な皆さんと関わってきた若者なんてまずいないと思うんですけどね。
「夢を持ってそれに邁進する」という生き方が許容されるのは、社会を知らなくてもそこで「夢」と捉えたものを実現すれば社会貢献できることがフツウだからです。だたその「夢」と捉えたものを実現するには尋常じゃない困難と努力が伴うのが普通ですけどね。
それをするつもりも無く刹那の享楽に甘えている人は、大人から与えられた「こんな勉強」というものの社会での意味をわかっているほどガタイが大きいとは思えないですけどね。

勉強するという行為自体は手段に過ぎないのですよ。
人生の目的って、社会に出て、社会を創る当事者になりながら、自分自身も幸せに生きていくことじゃあないんですか。
その目的を確率的に高く達成する手段として「勉強する」という行為があるのではないんですか。

そんなわけで勉強すると良いのです(笑
ソーシャルブックマーク:

2015.03.20 10:10

多様性の中から様々なことを吸収し、教養の礎を築いたり、精神的に発達したりすることによって、学力、つまり、自ら学んで次につなげる力は向上します。
社会の様々な事柄を知り、次にどうするか、という知恵を生み出す意欲も能力も高くなるのが普通ですから。

しかし「受験」を意図すると、どうして人はすぐ受験「対策」として、試験の形式の対策に「過剰」に走るのだろうか、と思います。

対策の対策では、少なくとも東大レベルはまず合格できません。

抽象的な申し上げ方をしますが、「人間的な成長」って、いわゆる偏差値の高い大学の入試において、プラスに寄与することが、たくさん、たくさん、あるんです。
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
※スパムのためコメント欄は閉じました(すいません)。

カレンダー

<<   2017年05月   >>
  01 02 03 04 05 06
07 08 09 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

月別アーカイブ