昔々(笑)あるところに、Tという社員がいました。
Tは、とにかく、後輩指導が熱心です。
しかも、「丁寧に教える」わけではなく、できていない、と彼が思うところを指摘し、次の行動を考えさせる、という手法がほとんどです。
あるとき、Kという後輩社員が入社しました。
このK、Tが思っている、できていないところを指摘すると、黙ってきき、そして小さな声で「…はい」というものの(決して失礼な態度、という感じでもなく)、一向に治りません。
そしてTはまた指導をします。無理やり呑みにつれ出してまでも。
あるとき、Kは、呑み屋で少し涙をこぼして泣きました。あとは黙るだけ…。Tはどうしていいかわかりませんでした。
少し時間が経過した後、Tにとって、自分の価値観を揺さぶることがありました。
会社にいっても仕事が手につかない状況が1週間くらい続きました。
そんなとき、一緒に仕事をしていたKの仕事ぶりに、心が楽になることがありました。
Tは次第に気づいていきました。
確かにTにとって、Kのできないと思える点は、できていない部分です。
しかし、それはTの嗜好性から見た時の「できていない」ということだと。
そのできていない部分をできるようにすることは、KをKでなくし、Kの良さを奪う部分もあることだと。
だからこそKは、「できていない」という指摘にピンとこず、涙を流すだけだったのだと…。
Tの信じる「できていない」ということ。その「できていない」ことには、主観的価値による判断も含まれるため、客観的にみると実は「できていない、その状態でよい」ということもあるということ。
そして、その「できていない」ということを、相手が理解しようとしても伝わらないようであれば、もうそれでそっとしておかなければいけないこと。
ほんのわずか、フィクションはありますが、ほぼノンフィクションです。
Tは僕。そしてKは、会社の後輩だった妻です(笑)
・・・
今でも会社の中では、口うるさい方だと思います。
しかし、自分が「できていない」と思ったことは「できていない」とハッキリいうべきだ!と強く思い、実行していた頃よりは、時と場合を使い分けるようになったと思います。
できていないことをできていない、と指摘することを「ほんとうの優しさ」と表現する人がいます。
僕自身も、大学時代、バカ、バカと言われて成長し、会社に入ってダメ出しされるたびに成長してきましたので、僕に対しては「できていない」と率直に言うことが「優しさ」だと思います。
しかし、「できていない」と自分が思っていることには、多分に主観も入っていること。
自分とは全く違う性格の人間には、「できていない」と自分が思っていることができるようになることが要求されないこともあること。
それを知った今は、「できていない、と指摘して、相手に考えさせる」という手法一辺倒で後輩指導することはなくなりました。
相手に伝わらない限り、「ほんとうの優しさ」ではないと思うようになったから。
「できていないことは、ハッキリと、できていない、と言う方がいい」という信念はあります。
しかし、その信念を相手に発露する表現手法は、「相手に伝わるように」やり方を変える。
それが、僕の考える、ほんとうの優しさ、です。
2011.12.13 20:56
- カテゴリ :ものの見方・考え方