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2012.01.10 23:40

企業人で、自らの考えている「べき論」=自分の主観という閉じた世界の中での「理念」=が否定されたときに

・企業に愚痴を言う(「うちの企業は社会貢献が目的じゃなかったのか!」パターン)
・他の人に愚痴を言う(「管理職がいくらいってもわかってくれない」パターン)

などとなる人は、たいがい、使い物になりません。


人間の理念を突き詰めると、ほとんどの人が「誰かのために役立つ人物(および企業)であるべき」とか、「(法律に違反する、という意味で)悪いことをしてはいけない」とかに行き着くはずです。
そんなん「アタリマエ」ですよね。

じゃ、「アタリマエ」のことを盾にして、自ら行使したいと思っているすべての企業活動が正当化されるでしょうか?
…そんなわけないですよね。
「自分の提案は法律違反ではない!だからやらないのはおかしい!」
…おいおい、って、誰しも思うでしょう。


自分の提案が企業の中で通らない場合、理念(=誰しも共通に思っている「人間はかくあるべき」という思い)を根拠にして愚痴を言ったり文句をいったりする(ましてや陰で言う/わかる人にだけ言う)人は、誤解を恐れずに言えば、「バカ」です。
組織の抱えている課題を、組織を通じて解決する手法を生み出せない言い訳を、別のところに求めているだけですから。

組織の課題を認識していて、動かない組織を歯がゆく思うだけの「理念が高い人」であれば、問題ないんですよ。
ましてや、地道に、自分のできる範囲で課題解決行動を「具体的に」(つまり、組織の論理に従い、組織で求められる結果と整合性を保ちながら)起こしている人は、賞賛すらされます。

上述の「バカ」は、知恵が足りない、という自己認識が全くない上、他に責任転嫁している点で「バカ」なのです(知恵が足りない、という状況だけで、僕は「バカ」といいません)。

組織の周りの人を動かせていない、ということは、自らに説得力がない、知恵がないから、なんですよね。そのようにかけらも思わない人は、「バカ」ということなんです。

理念は、結果を残した人が吐くから、とても説得力があるんです。
結果を残していない人が吐いても、周りは何も感動しません。


お世話になっている人の一人に、石川淳哉さんがいます。
彼は今、自らの会社を経営しつつ、プレイヤーは現場にほとんど譲り、被災地復興に一生懸命…そんな言葉では語れないくらいコミットしています。

彼は結果を残した人です(多くの社員を抱える会社の社長ですからね)。
そんな彼に、「僕は目の前にいる人を幸せにしたいんです」というようなことを口にしたら「それは具体的にどういうこと?」と返されました。
そのあと「で、具体的に?」「で、その案は?」「で、何のために?」…と矢継ぎ早に質問が続きます。
…すると、最後にまた、「僕は目の前にいる人を幸せにしたいんです」ということに戻るんですよね。

僕は言いました。
「あれ、最初に戻っちゃいましたね…すみません、まだまだ想いが足りないってことなんですよね…」

すると彼は言いました。
「いや、誰でもそうなります。突き詰めた理念は抽象的になりますから。」


彼は僕が放った「具体案」や「具体的な役割」を実際に行動に転化し、しっかり結果に残している、だから同じ理念を口にしても、説得力があるんです。
間の過程がない人が、最後の理念を口にしても…ましてや他者を責めるのは、ただの使えない人なんです。

表面で残る言葉は同じであっても。
ソーシャルブックマーク:

2011.08.22 02:30

こちらのブログの続編です。
今回はソーシャルメディアを「運用する側(企業や団体)」「使用する当人」「閲覧者」すべて、持っておいてほしい姿勢や心構えであるものの、まだソーシャルメディアを取り巻く環境の中で醸成されていない事柄について述べてみたいと思います。


ソーシャルメディアに何らかの恩恵を受けている者すべて、「ありがたや」の気持ちを持つべし。


「まんべくん」ツイッターを使用されていた方は、長万部町に大変愛着を持ち、「まんべくん」を心から愛しており、長万部町をもっともっと良い街に・有名にするために、自らの考えるアイディアを、「まんべくん」ツイッター活用(広報活動)にて具現化されていたんだと思います。
しかし、どれだけ長万部町やまんべくんの「ファン」であっても、当人の発する言葉がすべて、長万部町やまんべくんの広報活動にプラスの影響を及ぼす、とは限りません。

芸能人やスポーツ選手が、その人本人にとってとっても辛い事件を起こした時、ファンの中でも「こんなときだからこそ応援しよう」という発言と、「こんなときだからそっとしておこう」という発言に分かれますよね。
…「ファンだから」といって、ファンの言動が、ファンの対象である人・物・事柄を支援するとは限りませんし、逆に、ファンがよかれと思ってやったことが、ファンの対象である人・物・事柄を不幸にすることもあることは、この例でお分かりではないでしょうか。

「まんべくん」ツイッターでの発言を、かなり昔のものまで遡ってみました。
「まんべくん」を使って長万部町のPRをしたい!という気持ちは十分に伝わってきました。
一方で、“「まんべくん」のツイッターを使わせていただいているんだ、ありがたいことだな”という気持ちは、残念ながら伝わってきませんでした。

「自分は長万部町をなんとかしたいと思っているんだ」という主観が、「その気持ちと言動は、客観的に見ても評価されるべきことなんだ」という主観に重なると、「「まんべくん」を使わせていただいているって、なんてありがたいことなんだ」という気持ちが薄れ、いつのまにか「まんべくん」=「自分の意志」という等式が自らの中に成り立ってしまい、表現の暴走が始まってしまいます。
ファンであるからこそ、この暴走にブレーキをかけるよう、常に意識しなければいけないことなんですけど…

今回、一発レッドカード(=ツイッター閉鎖)になりましたが…「ありがたや」の気持ちが感じられる言葉を発し、長万部町側に気持ちが伝わっていたら、一発レッドカードではなく、イエローカードですんだかもしれません。


とはいえ、運用者側~今回の件で言えば長万部町側~も、ソーシャルメディアを用いたPR活動に貢献している使用者に対し「使わせて“あげている”」という上から目線の意識を持っていると、運用者側のソーシャルメディアを有効に活用する使用者はまずあらわれません。
注)今回の件において長万部町側がどんな意識だったかはわかりません。

「仕事」「業務」として、社員(職員)が公式のツイッターやブログを使っている場合も全く同じですよね。“仕事なんだからしっかりやれよ、企業(団体)に恥かかせるなよ”という意識をプンプン匂わせ社員(職員)に使用させたところで、“どーせ仕事だから”と割り切ったり、あるいは“問題発言をしてしまうとヤバいから”と不安がったりして、ソーシャルメディアを活性化させるために最も大切なことの1つと思われる「人間らしい体温」が伝わってこない発言ばかりになること、間違いないでしょう。

企業(団体)を愛してくれている社員(職員)が、その気持ちを全面に発揮しPR活動を続け、企業(団体)のファンを増やしてくれている、こんなにありがたいことはない―

運用者側が持つべき気持ちですね。


さらに「閲覧者」にも、「ありがたや」の気持ちを持ってほしいと思います。

今回の「まんべくん」発言について、「こんな発言していいの?」と疑問を持ったり、「この発言、ヤバくないですか…?」程度の発言を率直に「まんべくん」ツイッターに寄せる程度であれば構わないと思います。
しかし、当事者~たとえば、長万部町在住者など~ではなければ、「こんな発言していいのか!」と一方的に、かつ直接的に責め非難するのは、非常に好ましくないと思います。法的に許されない発言、あるいは社会の99%の人間が「道義的に許されない」と推定できる発言、などではない限り…。

ソーシャルメディア上のほとんどの発言は、主観であり、感想です。
主観や感想には、賛成意見もあれば、反対意見もあります。
やっかいなことに、反対意見は、「その主観や感想に対し湧き起こる感情として、そういう(否定的な)感情が起きる“人もいる”ことは容易に推定できる」という、絶対優位の意見が多くなりがちで、反論のしようがないことが大半。
「そう感じる人もいる、しかし、そう感じない人もいる」としか返しようがない意見が多く、かつ、「そう感じる人もいる」ことが正しさをもって受け止められがちなのが、「主観」や「感想」に対する反対意見です。

そのテの反対意見~責め非難する方が絶対優位に立てる意見~がソーシャルメディア上に跋扈すると、誰もソーシャルメディアを通じて主観や感想を述べる気なんて起きなくなります。
すると、反対意見を述べた「閲覧者(非難するときのみ表現者)」がそれまで活用していたソーシャルメディアは、ソーシャルメディアではなくなってしまいます(意見を述べる対象である「主観」や「感想」がネット上からなくなる、ということです)。

ソーシャルメディアの閲覧者も、「ソーシャルメディアでいろいろな意見を見れてありがたい」の気持ちを持つべきであり、もし、この気持ちがある人ばかりでソーシャルメディアが創られていれば、自らが当事者ではないものに対しての発言に、見るに堪えない非難・中傷の嵐が起きることなんてないと思いますし、「一発レッドカード」ではなく「イエローカード」とし、その後立て直し、より面白い(有用な)発言につながるソーシャルメディア(今回で言えば「まんべくん」ツイッターそのもの)を残すことにつながると思うんです。


ソーシャルメディアに関与するすべての者は、「ありがたや」の気持ちを。


これがソーシャルメディアに向き合う社会が持つべき姿勢であり、だからこそ「ソーシャル」メディアともいえます。
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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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