株式会社ソフトカルチャー社長、 酒井英禎さんのブログの内容を、技術評論社の友人が紹介してくれました。
なかなか面白い内容で、下記のようなタイトルのものが。
「新しい40代」
http://elm200.tumblr.com/post/14704490322/40
ロールモデルは自分でつくんなきゃね、ということに尽きるのだと思いますし、極めて同意です。
このブログを題材にして、いくつか「ロールモデル」について。
◆大人は誰しも、子どもたちの「ロールモデル」となったり、「生き方の例」を与える可能性があることを強く意識せよ!
ブログにはこうあります。
===============
多くの人たちにとって、第一のロールモデルは自分の親だろう。私の父親はごく平凡なサラリーマンだった。働き者だったが、生活は単調そのもの。一日の激務にクタクタになって帰宅するとテレビをつけて漫然と眺めるだけの日々。サラリーマンというライフスタイルに憎悪を募らせるきっかけになったのは父のそんな生活を見たからだった。
===============
上記のとおり、親の生き方はそのまま子どもに影響します。
僕もご多分に漏れず、父に影響されています。
親と言う立場ではない人も、ほんのちょっと、子どもたちと、道ですれ違った言動に、子ども達は左右されています。
横断歩道でお年寄りの手を引いている大人と、お年寄りのにこやかな顔を見ると、「ああ、いいなあ、あんな大人になりたいなあ」と思うものですし、たばこのポイ捨てを近くにされると、「ああいう大人にはなりたくない」と思うもの。
だから、誰だって、ちょっとしたモデルになっているんです。
社会において大切なのは、「輝いている大人」が「残念な大人」をはるかに上回っていることなんだと思います。
すると、どこかで、「輝いている大人」の「飛びぬけて輝いた姿勢」に、子どもは必ず出会う機会ができて、「残念な大人」を見た時、「ああはなりたくない」と思うわけですから。
人は本質的に、幸せを希求しているはずですから、そうなれる、という具体化が心の中で行われた瞬間、なれる方向に向かってしっかり努力できると思うのです。
だから僕自身、辛いことがあっても、自身に内包し、子ども世代には「素敵な大人」であり続けたい。
作り笑いをする、というのではなく、困難なときには、逃げず、甘えず、闘っている自分でいたいということ。
そして、自分を通じて、「素敵な大人」に出会える機会を社会に生みだしたいので、自分の周りを「素敵な大人」だらけにし、信頼できる人どうして手をつなぎ、社会全体に影響させていきたい、と思うのです。
「残念な大人」は社会において、イレギュラー中のイレギュラーなんだよ、と、子どもたちに分かってもらうために。
◆若者は、ロールモデルがなくても、選択・決断できるような意思をもとう!
疲れて帰ってくる父親を見て、酒井氏はこう思ったことをブログに書いています。
===============
私は父のようにはなりたくない。だから、私にはロールモデルが存在しない。40代をこれからどう生きるべきか指針は外部には存在しない。スティーブ・ジョブズがかつて言ったように、「自分の内なる心の声に従って生きる」しかないのだ。
===============
「父のようにはなりたくない」と思った、ということは、きっと「父のようにはならなくていい」ような生き方のヒントをくれた人間に、子どもの時にどこかで出会っているからなんだと思います。
つまり…
戦前を生きた女性たちはきっと、「女性は家庭を守るもの」がデフォルトで、たとえ「家庭で辛そうにしている母親」を見ても、女の子が「そうはなりたくない」と思う機会がほとんどなかったのでは?と思うわけです。
周りの女性がみんな、そうしているわけですから。
だからきっと、著者には「ロールモデル」が存在しなかったんだとは思うものの、「ヒント」は身近に存在したのでしょう(本人自身は気づいていない場合もありますが)。
~後半に続く~
2011.12.23 18:00
- カテゴリ :ものの見方・考え方