昨日のブログの続きです。
3.技術としての「褒める」が不要になる。
身近な人に「すごい!」と感じ、声を発する行為と、よくある「褒めて伸ばす」という行為は、その本質が真逆だと思っています。
「すごい!」と感じるのは、自分と異質であるところか、同質だけれども自分には到底到達できないレベルに到達していることに対して、なのですが、「褒める」点を探す、長所を見つける、という行為をしているときの自分は、自分と同質(=自分の価値観の中で「素敵」と思っていること)で、かつ、自分が到達可能なレベルの行為に対して、じゃないですかね?
例えば、リーダーシップ型の上司は、部下の「リーダーシップ」につながる行為を褒めるでしょうが、「マネジメント」につながる行為は褒めにくい。
マネジメント型の上司は、部下の「マネジメント」につながる行為を褒めるでしょうが、「リーダーシップ」につながる行為は褒めにくい。
巧遅より拙速を好む人は、他人のスピードある行為を褒め、ノロノロしているところをどうしても責めがち。
拙速より巧遅を好む人は、他人のキッチリしている行為を褒め、素早く判断した結果としての「やっちまった」失敗を責めがち。
じゃありませんか?
「褒めて伸ばす」ことも必要な時はもちろんあります。
しかし、「褒めて伸ばす」技術ばかり追いかける人は、結局のところ、自分の分身(かつ、自分よりレベルの低い人間)を作ろうとしているだけで、その人から自分自身が良い影響をもらい、お互いに刺激し合う…ということにはまずならないと思います。
自分の持っていないところに対し認める「すごい!」。
これを同僚や部下に純粋に感じると、上司だって学び、成長できる点はたくさんありますし、その言葉を相手になげかけると、本当の意味で「褒めて伸ばす」が狙っている結果に近づくような気がします。
4.自分の存在理由を客観視できるようになる
身近な人に「すごい!」と感じない人は、性格として、か、それとも状態として、かわかりませんが、「内輪受け」の環境に自分自身を置いている人なんだと思います。
つまりは同質の中から抜け出せていない人なんだと。
同質な環境の中だけで生きていると、何かのキッカケで異質な環境にほりこまれたときに、対応がつかずパニックになります。
同質な環境の中で異質を評論家的に分析していた場合はもっと厄介で、異質にほりこまれると「こんなはずじゃなかった」という思いがメンタル面を壊すキッカケになります。
同質な環境の中での自己評価は、決して客観的なものにはなり得ません。結果、成長につながりません。
身近な人に「すごい!」と感じ、異質についても学ぼう、評価しよう、としていると、いつの間にかそのベクトルが自分自身にも向き、「自分の異質かつ良いところは何か?」と無意識に捉えようとする自分が出来上がります。
この点、つまり、他人と交流してもらえたり、社会の中で認められている自分の根幹~「存在理由(レゾンデートル)」~を客観視できるようになることで、外部環境にどんな変化があっても自分を失わず、幸せ感を保てるようになります。
同質の中で戯れ、「自分って○○だよね」と勝手に自分の長所を思いこんでいる状態とは全く違います。
5.子育てに良い
子どもって、純粋にすごい!と思います。
自分が忘れていた数日前のことをしっかり覚えていたり。
約束を必死に守ろうとするけなげさだったり。
純粋に「なぜ?」を想ったり。
その一つ一つに、想ったまま「すごいな!」と言えるようになると…
あとは皆さんのご想像にお任せします。
是非、身近な人を「すごい!」と言えるようになり、成長と幸福感を手に入れましょう!
2011.08.28 23:50
- カテゴリ :教育のこと