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2014.08.31 17:56

8月最後の日曜、どうやら天気も持ちそうだったので、富士サファリパークに行ってきました。
富士サファリパーク1
↑車の中から撮った画像。とても近くて迫力満点、です!

ゴハン時にスマホからfacebookを見ていたら、友人から「ゴミ拾いチャレンジ」に指名されたことに気づきました。

「ゴミ拾いチャレンジ」
「アイスバケツチャレンジ」と同じ流れで、「ゴミ拾いチャレンジ」という動きが知人の間で起きていたことは、風の噂で聞いていました。
元々、三島や修善寺で、高校生が自発的にゴミ拾い活動をする流れを作り、近隣住民を自然に巻き込んでいる、NPOサプライズ代表の飯倉清太さんが提案し始まったもの。もちろんアイスバケツチャレンジの流れに乗ろうとしています(笑)。

アイスバケツチャレンジにはこんな経験・心理状況、そして意見がある僕ですが、このチャレンジは単に、できる範囲でゴミ拾いして、あとはアイスバケツチャレンジと同じ流れでね、くらいのことしか決まってない(と思います笑)。心理的に楽ですよね。
やることも簡単だし、強制感もないし。やる「キッカケ」を、「(知人からの)バトン」という、スムーズな形で回る、そんな気がします。

まあこれも何かのご縁かな、と、サファリパークの中から駐車場まで、ゴミ拾いしました。
特別参加に、小学生の我が娘。ゴミ拾い楽しんでやるんですよね、娘。上述した、三島や修善寺でのゴミ拾い活動に何度か参加した経験からも、「ゴミ拾いを楽しめる」感覚が根付いているんだと思います。

成果はこんな感じです。
ゴミ拾いチャレンジ

写真は自分たちの昼食の際のゴミも入っていますが(笑)、草むらに落ちていたボロボロの紙コップなど娘が見つけて拾って(写真右上)…など、まあ楽しみながら、ちょっぴりいいこと、できました。
やっぱりダントツで多いゴミは吸殻ですね。
ゴミ箱の近くにたまって落ちていて…。吸い殻入れがなく、かといってゴミ箱に捨てれず、の結果でしょうか…。
補)吸殻を見つけた時の娘、活きいきしてますよ。変わった子に育ってお父さんも嬉しい(笑

8月最後の日曜日、寝てないで外に出て、体を動かして、よかったな、そんな気になりました。


ゴミのお話、のついで、というのもなんですが、「ゴミを少しでも社会から少なくしよう!」と、真剣に活動している知人が2名います。
一人が、京都大学助教の浅利美鈴さん。
京都市長との対談記事。テーマは「環境」。
※↑京都新聞のサイトへリンクします。

もう一人、ゼロ・ウェイストアカデミー事務局長の藤井園苗さん。
JICAサイトのインタビュー記事

才女で、そして行動もするお2人。
このブログの皆さんも、2人の活動に注目してほしいと思います。
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飯倉清太
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2014.08.30 18:28

「バランス感覚が良い」とよくいわれます。
一方、「思いこみが激しい」ともよくいわれます。この言葉の裏には「バランス感覚が悪い」僕の像があるんだと思います。

ここ1年の中で、「もう少し、責任感を持ってほしい」と、とある人(まあ、身内とか、そういう存在の人間から、ですね苦笑)から言われたことがあります。
一方、「責任感の塊のような人ですからね、寺西さんは」と、これは数週間前にある知人から言われました。

その人がどんな人に映っているか、とは、人によってこれくらい違うんだという例ですね。
X氏がY氏を見て解釈する時、X氏の経験から生成された価値観が、沢山あるY氏の特徴の中から特定のことに注目し、かつ、その注目した部分をX氏の価値観で解釈してしまいますから。


と、ふっと思い立ってfacebookでこんな言葉をつぶやいてみました。

「俺も隠居して山にこもろうかな。。」

いつもの僕からは余りでなさそうな発言なんですね、この言葉。


すると、友人たちからいろんなコメントが付いて、ほんと、興味深かったです。
順番に紹介しますね。
※まず最初に、コメントを頂戴した皆さんに感謝したい、と思います。僕のことを見つめてくれているから、こそのコメントですからね。


・M1氏「まだ早い。」
→僕のイメージを「(超)前向き」「困難に立ち向かってくれそう」と思われているんだと思います。M氏自身、困難に立ち向かい、前に進み、自分を変えていける素晴らしい方と言うのもあります。

・K氏「2分で飽きて降りてくるのに500ペソ」
T氏「籠もったことにしてtwitterするのに1000インドネシアルピア」
→いい友人を持って幸せです(笑)。「寺西がこんなこというなんて、またいつもの冗談だよね~」という感覚が先にきてますね。かつ、もし冗談じゃなかった場合でも、きっと(寺西が)元気づくんじゃないか、というコメントで、優しさを感じます。しかし2人ともセンスあるなあ。

・G氏「家族はついてこないよ。」
→僕を家族想いのところがある(あってほしい)と見ていて、ご自身もまた家族を大事にされながらお仕事されている方ですね。

・F氏「良いね!\(^o^)/」
→寺西にぶれない軸のようなものをつけてほしいと願い、そういうことも必要だ!というコメントでしょうかね。とても軸がしっかりされている(かつ、優しい)方からのコメントですので。

・M2氏「私も隠居できるならしたいところ…とはいえ、生きる糧が隠居では確保できないので、こうして下界でもがくのであります。」
→僕のコメントを自分に投射することが先に強かった方ですね。言葉自体を素直にジブンゴトにしているところに、誠実なコメント主の像が映ります。

・N氏「おれもって、、、誰にかかってるも?」
→コンテクストを気にされる方ですね。はい、かかっていたのは確かで、ある人の発言を見ての発言でした(笑)


これだけ違うんです。


ある人の像を捉える時に、自らの価値観と言うフィルターがかかっていることは、常に弁えておきたいことです。
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2014.08.29 23:20

友人が

「どんなニュースのコメントも、同じ業界内から見れば的はずれが多いんだろうな、と、とあるニュースを見て、ずれてる解説を見て、そして(立場上)解説できない自分を見ながら思う」

とブログで語っていました。(コメントは趣旨を変えない範囲でかなり変えています)。


これ、ほんとにそうなんですよね。
ニュースの解説などでコメントする人は、たいがい「どまんなか」の人ではなく、「ちょっぴりなか」の人。
知り過ぎている人は、発言することで迷惑がかかる関係者ともつながっているわけですから、なかなか公には発言しにくいものなんです。

「迷惑がかかる関係者」という「関係者」が悪いことをしている、だから隠す、というわけではありません。
たとえば、企業が倒産にいたるまでの経緯など、関係者は語られたくないものでしょう…
その経緯をよくわかっている、つまりは、関係者と親密にしていた「関係者の知人」は、そのことを公に語ることなんてできないでしょう…
…ということ、です。


で、「なか」の人ではない人は、「ちょっぴりなか」の人の見解や、ネットで飛び交っている意見、解釈などを見て、さらに自分も解釈していく。
結果、残念ながら、的外れな推測ばかりになってしまいます。


「なかの人」は、その立場上、語れないのです。
コンテクストをある程度つかんでいる、「なかの人」は。。。


「素人の推測はだいたい外れる」
「“自分は知っている”と思っている第三者の推測はそれ以上に外れる」
「“自分は知っている”と思っている第三者の推測、を信じて、そこからさらに推測した…(以下略)」


ニュースの解説自体は僕も「参考に」はするんですけどね。
ただ、それに流されないように、ということなんだと思います。
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2014.08.28 22:52

本日は、人間ドックのため、会社をお休み、ついでに娘の七五三写真撮影。
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2014.08.27 23:17

まず…直近のブログの来訪者が増えているのは、「今後の国立大学の入学者選抜の改革の方向について(国大協)」の記事の影響だと思われます。
大学入試に関わる動きとしては割と重要と思われますので、教育や入試に関心の高い方は是非ご覧ください。


さて、本日のブログ…の前に、過去のブログ紹介(笑)
動けば、学べる。学ぶ力は「学力」である。」で紹介した、三島南高校のゴミ拾い活動。

今ではとうとう…その活動を、「講演」という形で報告するまでに広がっています。

ゴミ拾い奮闘記 〜JKの視点〜(三島南高校生徒会有志!)
※26日(火)にすでに終了したイベントです。ご了承ください。

自分たちの活動を知ってもらって、少しでも「ゴミ拾い」を楽しくやってくれる人が増えてほしい。
いや、その前に、ゴミ捨てるの、止めようよ! ←これ、ほんとですよ。。。
という趣旨の講演ですが、講演を通じ、自分の考えを整理し、そしてプレゼンする、という力が凄く身に尽きますよね。
実際、講演後の反省会で、とても勉強になった、と、三島南高校の生徒会、女子高生3人衆は語っていました。


冒頭で紹介した「今後の国立大学の入学者選抜の改革の方向について(国大協)」では、5教科の学力は大切!という趣旨で書きました。
一方、他にも、学力=学ぶ力、の身につけ方ってあると思うんです。

今回プレゼンされた皆さん、学ぶ力、飛躍的についたと思いますよ。
そしてその力は、本当に、社会でワクワクしながら道を開く原動力になると思います。


ひとつだけ、このときにプレゼンした女子高生の皆さんに、また会う機会があれば伝えたいこと。
それは、反省会で、「(私たち)負けず嫌いだし失敗もしたくないんだよね!」という発言に対し。

それって凄いいいことだと思うんです。とくに負けず嫌い、がね。
ただ、も少しひねって、「負けず嫌い、だからこそ、失敗を恐れないで経験しよう!」の方がもっといいね。

負けず嫌いな方って失敗もしたくない傾向になる、とは思うんです。
でも、失敗したくない、が強すぎて、避ける傾向になると、成長って止まります。

若いんだから失敗は許されますよね。その身分を大いに利用して、失敗して学び、より上の人間になる、本当の意味での負けず嫌いになってほしいなあ。笑
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2014.08.26 23:36

25日を過ぎてから、になりますが、25日のブログのスペースを利用して、入試改革の記事を書きましたので、よければごらんください。


本気で最近、寝付きが悪いんですよね。。。

今日も寝不足、PCの画面見ていると頭痛がするので、ブログは失礼させて戴き。。。

というブログともいえるのですが(笑
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2014.08.25 16:50

中央教育審議会高大接続特別部会(第18回)にて、国立大学協会が、「今後の国立大学の入学者選抜の改革の方向について」(←国大協のページにリンク)の説明を行いました。
ここで発表された資料、昨年秋ごろから加速度的に進められてきた大学入試改革の流れを少し止める(とでもいいますか)、とても大切な見解が書かれていると感じました。
注)改革一辺倒の流れ…とくに世論やメディアの報道を“いい意味で”止める(ような感じ)、という意味合いで受け止めて戴ければ幸いです。

中教審(とくに高大接続特別部会)で大学入試改革の方向性が示されるわけですが、中教審における審議の方向性を決める際、その見解において重要な位置づけとなる協会・団体がいくつかあり、その一つが今回(部会にて)説明を行った、一般社団法人国立大学協会、です。
資料中に

“ここに今後の国立大学の入学者選抜の改革の方向についての基本的な考え方をとりまとめた。各方面のご理解をいただくとともに、今後の中央教育審議会における審議においても参考とされることを期待するものである。”

と、かなり強い意思表明がされている、そんな気がしました。


2013年秋頃から進められてきた大学入試改革の審議のトーン(注:僕が受け止めている解釈において、であることをご了承ください)とあわせて、下記で説明したいと思います。
なお、資料「今後の国立大学の入学者選抜の改革の方向について」からの引用は“ ”で括っています。


“大学入学者選抜は、本来、各大学がそれぞれのアドミッション・ポリシーに基づいて行うことが基本”

この原理・原則については、中教審、高大接続特別部会でも繰り返し確認されていることですので、ここで国大協が表明したことにより、「大学はアドミッション・ポリシーを明確化するべき」との強い意思表明が(高等教育界隈で)なされた、と捉えて構わないと思います。


“多面的・総合的に評価する入学者選抜への転換は、「達成度テスト(発展レベル)(仮称)」のみならず各大学の個別試験や推薦入試・AO 入試等を通じて、それぞれのアドミッション・ポリシーに基づき、面接、小論文等を含む様々な選抜方法を取り入れることにより実現していくことが有効かつ現実的である。 ”

これまでは、センター試験そのものを「(幾分かは)多面的・総合的に評価する入学者選抜へ転換」するために、「達成度テスト(発展レベル)(仮称)」へ変えていこう、という流れがそれなりに強かったと感じています。
しかし、センター試験を変えなくても、あるいは「達成度テスト(発展レベル)(仮称)」を設けたとしても、その試験を数十万規模の学生が受験し、その評価において多面的・総合的なものを目指せば、運用面は極めて大変になることが予想されます。
早い話、“(5教科の、しかも「知識」偏重な試験ではなく)多面的・総合的に評価する入学者選抜は必要だが、それは「達成度テスト(発展レベル)(仮称)」だけに求めすぎなくてもよいのでは(その方が現実的では)”という表明になると捉えられます。


“一般入試の個別試験における学力検査においては、各大学は従来から記述式・論述式問題の出題を取り入れて、単なる知識だけではなく論理的思考力・判断力・表現力等を評価するように様々な工夫をしてきた。こうした機能は今後とも極めて重要であり、良質な問題を供給し続けるための体制整備が課題である。”

知識偏重の学力試験になってはいけない、記述式・論述式問題は極めて重要である、という、国立大学協会の強い意志が伺えます。

事実、昨年来の大学入試改革の動きの中でも、「(入試における)知識偏重はよくない」という意見が強くにじみでていました。
※ここ、ほんと、高校生の皆さん、そして18歳未満のお子さんがいらっしゃる保護者の方は、しっかりと受け止めてくださいね。知識のみで受かるような試験を無くそうとしているのは間違いないですから。。。

一方、実際の大学入試問題を見ると、大学側も「知識偏重はよくない」とは思いつつ、入試の「運用」の効率性などを(結果的に)重視し、知識偏重の問題の出題が年々増えてきていた、そんな気がしています。
※個人的には、入試結果が開示されるようになった→「点数」が明確に出る(かつ、相手に説明できる)問題の方が無難→知識問題に偏っていった、という流れがあるような気がしてなりません。

この流れを止めよう、「記述式・論述式問題の出題」が担っていた重要な機能を忘れてはいけない、そんな意志を感じました。結果
“一般入試の個別試験における学力検査においては、良質な記述式・論述式問題の出題により、単なる知識ではなく論理的思考力・判断力・表現力等を適切に評価するようにすること”
という表現につながっていくと捉えています。


“共通試験の活用や大学独自の選抜方法を工夫して一定の学力を確保した上で、面接、小論文、調査書、書類審査等を適切に組み合わせた多面的・総合的な評価による選抜(推薦入試・AO 入試など)を行う入学者の割合を拡大すること ”

推薦やAO入試で合格する学生は出来が悪い…
大学経営を安定させるため、入学者確保の方法ではないか…
そんな批判が多い、推薦入試やAO入試なのですが、それはあくまで「運用面」の問題であって、推薦・AOで達成しようとしている入学者選抜機能の向上は、決して批判されるようなものでもないと思っています。
アドミッション・ポリシーを明確にし、一定の学力基準を達成度テストで図ったあとは、たとえば小論文・面接・ディベートの試験で、グローバルな人材かどうかを見極める、そんなことがあってもいいと思うのです。
もちろん、運用面で、かなり大変になることとは思いますが、ノウハウを身につけ、仕組み化し、少しずつ拡大する、そんな方向を国立大学が打ち出したことになります。


“各国立大学が、このような改革を行うためには、共通試験の基礎的・基本的な学力判定機能が維持されることが重要”
“「合教科・科目型」や「総合型」の導入は総合的な思考力・判断力を評価する上で有効と考えられるが、多数の受験者に対し一律に実施される共通試験での評価には困難が想定されるため、十分な専門的検討や試行が必要であること。また、これらを導入するとしても、各学部における学士課程教育の遂行に当たってはコア科目に関する適切な能力を有しているかどうかの判定が欠かせないため、高等学校学習指導要領に基づく5(6)教科(7科目)による基礎的な「教科型」学力判定機能は基本的に維持すること。”


多様性も大事だけど、基本的な5教科7科目といった「教科型」学力の大切さを決して忘れてはならない―
そんな強い宣誓の気がしました。

正直、昨年秋以降の入試改革をめぐる議論や報道で、「教科型学力は大切だ」という論調をほとんど見ませんでした。。。
もちろん、“教科型学力がすべてになるような試験にならないよう、入試を改革したい!”という強い意志が、高大接続特別部会にあったわけですし、そのこと自体はすごく理解できますが、そのことばかりが報道されると、教科型学力が見放されてしまう危惧も(個人的に)感じていたのは事実です。

このタイミングで、教科型学力の大切さに触れられたことは、バランスをとる意味でもよいことではないでしょうか。

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2014.08.24 18:25

前半の続きです。

前半の投稿、実はfacebookで少し前に投稿していたものなのですが
===========
回ってきても無視する、という選択肢。
僕はそうしませんでしたが、無視を認める社会の空気がある方が、僕は好きです。
自分でベストと思う選択肢をとって、そのことを他人がとやかく言わない社会の空気が、ね。。。
===========
に共感してくださった方が多かったようです(ありがとうございます)。

「自分でベストと思う選択肢をとって、そのことを他人がとやかく言わない」という部分をきれいな言葉にまとめると、『どのような教育が「よい」教育か』などで、筆者の苫野一徳さんが語られている

「自由の相互承認」

という考え方にいきつきます。
ヘーゲルや、竹田青嗣氏などの考え方が源流にあり、苫野さんがご自身のブログで「ヘーゲル『哲学史序論』」を紹介する記事の中でこう書かれています。

「自らが自由になりたいのであれば、他者の自由もまた承認すること。そのようなものとして、社会を構想していくこと。自由を求める人間が真に自由になれるための根本条件は、この「自由の相互承認」をおいてほかにない。」

この思想性、そして、これが最も社会の中でルール化するために大切な思想だ、という考え方に大変共感しています。


この考え方は、従来の「仲間」意識として捉えられているものとは異なるんですね。
つまり、“「仲間」だろ!おれたち!”という言葉と口調で語られる「仲間」の持つ意識とは。
ここでいう「仲間」には、半強制的に“発言者の「仲間」感と同じ立ち居振る舞いをしよう(それだと仲間だと承認する)”という意味合いが込められている気がするんです。

僕はこの「仲間」意識、とっても受け付けないタイプです。
たまたま住んでいるところが同じ、たまたま同級生、というだけで、「仲間」として群れる強制感が…。

もちろん、住んでいるところが同じとか、同級生とかいう「つながり」がある人間は、つながりがない人間よりも大切にしたいものです。
しかし、その「つながり」だけで、人間関係の鎖を必要以上に強くしようとする感(とでも申しますか)は違うのではないかというわけで。


上記のような「仲間」意識の大切さは認める部分もあります。
こういう強制があって初めて生まれる、瞬間的な高揚感、連帯感は、凄いものがありますから(地方のお祭りなんかがその典型ですね)。

認めた上で「僕は受け付けない」、それが僕の立場です。
加えて、“認めた上で「僕は受け付けない」とする立場”を認めることが、「仲間」意識の強い人にも大切なことなのではないかと思っています。

旧来の「仲間」意識の強い人、いや、そればかりではなく、「仲間」意識を受け付けない人にもなかなか難しいことなのですが、この二者の関係(相手の立場を認める)がなりたって初めて、「自由の相互承認」というルールが社会に成立し、真の意味で、社会全体が「仲間」となれる、そんな気がします。
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2014.08.23 23:40

長いタイトルになってすいません。すべてを含めたかったものですから…

まずはアイスバケツチャレンジ(←ウィキペディアにリンクします)について、率直な感想と意見を。


アイスバスツチャレンジに様々な意見があるようですが、一番大事なのは

“相手の意見や姿勢を「そういうのもあるよね」と受け止める”

態度だと思います。
というか、意見を述べる上での前提となる態度で、今回の件くらいわかりやすい例はない、という感じでしょうか。

僕は8/18深夜(=8/19早朝)に回ってきて(そもそも存在すら知りませんでした、Y!ニュースなどになるちょっとだけ前です)、数分で決断し、100ドル(11000円)寄付しました。
瞬間的に一番強かった気持ちは、チェーンメールみたいで強烈にヤな感じ、というものでした。
一方、回してくれた友人は大事な友人ですし、難病の認知が広まるのも悪いことじゃないという気持ちも当然あります。

結果、一番優先された気持ちは、回してくれた友人の気持ちに配慮したい、ということと、これ以上回したくない、ということ。
重なると、100ドル寄付という選択肢がすぐでます。


回した友人も、それがベストと思った。
このチャレンジを始めた人も、それがベストと思った。

賛成する人も、それがベストと思った。
反対する人も、それがベストと思った。

寄付する人も、それがベストと思った。
それぞれのベストと思う意見は、すべてが「あり」なんです。

そして。。。
回ってきても無視する、という選択肢。
僕はそうしませんでしたが、無視を認める社会の空気がある方が、僕は好きです。
自分でベストと思う選択肢をとって、そのことを他人がとやかく言わない社会の空気が、ね。。。

後半に続きます。
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2014.08.22 21:30

「寺西ってほんと三島(市)のことが好きだよねえ」のような指摘を受けることがよくあります。
もちろん嫌いじゃないですが(笑)「寺西が、住んでいるところを好きだというオーラ」は、三島じゃなくても出していたと思うんですね。

会社にしろ、出身校にしろ、自分の所属している所は好きになった方がいいじゃない。それだけですよ。

もちろん、無理して好きになろうとするのも違って、いいなあと思う瞬間がある感度をもち、それに気づいたら、自分の中で「好き」という感情を発生させ、ちょっと人前で表現してみる、ほんとそれだけですよ、自分のやってることなんて。

ただ、それだけで、自分の「好き」という感情を強められ、周りの人が対象を好きになってくれるんなら、いいことづくめじゃないですか、ねぇ。

僕が所属しているもの(会社など含む)が好きなように見られているのは、僕自身の「好き」という感情の絶対的なものより、所属への感度の薄さが社会全体にあるからではないでしょうかね。
これは、無条件に対象を愛する人、にも思いますけどね。
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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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