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2014.07.30 20:45

人よりはものをとっておかない方だと思います。
未練なくポイポイ捨てる口。
今年のはじめに実家に帰ったときも、学生時代までの思い出の品をポイポイ捨ててきました。

今という時間と未来の方が大事と思う傾向が強いんですね。
学生時代までは僕一人の身でしたが、結婚し、子供が生まれると、そっちとの思い出に、脳も含めた容量を最大化しておきたいなと。
人生のステージが変わるたびに、過去への執着があっというまになくなる気がします。

もちろん、捨てられないものもあります。
10年以上経って、それでもまだ残しておきたいと思うものが宝物かもしれませんね。

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2014.07.28 23:20

先週末、娘の通っている小学校で、「学校に泊まろう!!」という企画がありました。

いや、企画がありました、というのは正確じゃないですね、企画しました、と言う感じ。
僕も、ほんのちょっぴりだけ協力させて戴いている、小学生のお父さんでつくる「おやじの会」主催で。
参加した子どもの数、170名以上!そんなみなさんを、おやじ有志、25名程度で、1泊2日の面倒を見る感じ。

なかなか、子どもの写真は公開しづらいので、普段は余り見れない、こんな写真を。
深夜0時の小学校です。
夜の小学校
※夜警していまして。そんなこんなで、ほとんどのおやじは、余り寝ていないと思います。


普段、教育を仕事にしていますが、ナマの、しかも勉強するモードではない子どもたちって、ぜーーーーーんぜん、違うのがわかります。
日常を預かり、そして学力をつけてくれる、学校の先生って、ほんと、凄いし、ありがたいなあ、と、ほんとに思いました。
先生ができない部分を手助けするための教材づくりへより向かう気持ちもついたきがします。
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2014.07.26 11:30

僕が初めてブログを書いたのは、2004年7月26日。
なんと!このブログの日付表示の日で、丸10周年なんですね。

これからも、ゆるく、ときには熱く!?書き続けていきたいと思います。
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2014.07.25 23:08

マーケティングの師匠でもあり、一生の親友でもあり、一緒に話して心地よい気持ちを何度も味あわせて戴いている、シャープマインドの松尾順代表
先日、Facebookで、こんなことを書かれていました。

(以下、引用)
人生、うまく行かないことのほうが多いけれど、それでも幸せに生きたいと願うとしたら、それは「幸せに生きたい」という意思の力によってのみ可能になる。

すなわち、「幸せ」とは、「(幸せに)なる」ものではなく、「(幸せで)いる」ことであり、手に入れるものではなく、「(幸せで)いる」ことを選択するかどうかにかかっている。

そして、最近になってようやくわかったのは、「幸せに生きる=幸せである」ための最善の方法は、自分自身がまず、身近な人たちを幸せにするということ。言葉によって、あるいは行動によって。
(引用終了)

幸せに生きたいと願うとしたら、「幸せに生きたい」という意思の力によってのみ可能

うん、すごく共感です。

「幸せ」というのは、あくまで個人で感じる感情的なものです。
個人の感情を「良い」方向に導くのは、意思の力、なんですよね。


仕事も同じです。
楽しい仕事を見つける、のもいいですが、それより大切なのは、仕事を楽しくしていくこと。

家庭も同じです。
明るい家庭を祈る、のもいいですが、それより大切なのは、明るい家庭を築くこと。

対人関係も同じです。
素敵な人に巡り合いたい、気持ちもわかりますが、それより大切なのは、素敵な人と巡り合えるよう自分を磨くこと。


幸せ、に始まり、楽しい、明るい、素敵…
そんな感情をつくるのは、ひとえに、自らの意思の力、なんですよね。
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2014.07.24 22:50

読む、聞く力「低い」 国語力検定結果受けZ会、西伊豆町教委と対策検討

弱点分析の上、全体の底上げに貢献できれば、と思います。
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2014.07.23 23:55

無料で体験!Z会の「てんさく」!

小学生コースでは、添削指導を無料で体験できるキャンペーン「夏のおためしてんさく」を実施中。

ご家庭で確かな学力が養えるZ会小学生コース。
質の高い教材とお子さま一人ひとりに合わせた丁寧な添削指導が教科書+αの学力を育みます。今ならすべての学力の土台となる国語の教材を無料で体験できます。

「学校以外の勉強もさせてみたいけど、なかなかきっかけがない」という方や「他社の通信教育を受講していて、ちょっと不満がある」という方には、とくにオススメです!

~お客様の声~

一つひとつに丁寧な解説がついていてよかったです。あと、てんさく先生の字がキレイ!
(3年生のお子さまの保護者のかた)

正解したところにも丁寧な解説があって、とても勉強になると思いました。
(4年生のお子さまの保護者のかた)

非常に丁寧に添削してくださり、びっくりしました。本人は「なぜ間違えたかわかった!納得した!」と言っており、また「絵がうまいね」と先生の挿絵にも興味津々でした。
(4年生のお子さまの保護者のかた)

子どもにわかりやすいようにコメントがあり、他社の通信教育より添削内容がよかったので子どもも入会を希望するようになりました。
(5年生のお子さまの保護者のかた)

一問一問に対する説明が子どもにわかりやすく、喜んでいました。「塾に行くよりもいい」というのが子どもの最初の感想でした。
(6年生のお子さまの保護者のかた)

無料で体験!Z会の「てんさく」!

締切は7月31日ですよー。ご用意しているおためしてんさくの問題がなくなると終了ですよー
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2014.07.22 18:20

考え方が近い人の言葉は、共感することで精神の安定を得ます。

考え方が遠い人の言葉は、受け入れにくさと向き合えれば成長につながり、ときには自らの大きな変容につながります。

様々なタイプの人間と日頃から交流することが大切ですね。

「いやーすごく肌があうねー」という人とも。
「そこは考え方が違うね、よし呑もう♪」という人とも。
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2014.07.21 13:14

幸せな人が絶対にしない6つのこと
↑サイト「カラパイア」にリンクします。
また原文はこちら

とても共感しました。
僕自身が、幸せ感を増大する過程で、まさに「できるようになったこと」「しないようになったこと」がまとめられていて。

挙げられている6つを、僕のコメントと共にご紹介します。


1. 他人に干渉する

田舎育ちなので、元々他人への干渉傾向が強かったんですが、自分が「よかれ」と思って彼女(当時)にしてあげたことが「余計なお世話(も甚だしい)」だった(そしてフラれた笑)、という経験をし、加えて同じ頃に、河野武さんが語られる「ぼくはぼくとぼくの好きな人のためにがんばる」という言葉に出会い、その生き方にチェンジしたこと(それこそ、価値観も態度も「一変」する出来事でした)で、明らかに幸せ感は増大しています。

サイトから引用します。

「自分の幸せと大きな目標を大切にして、日々それに打ち込むこと。ひとりで歩み、それを楽しむことを恐れないこと。なにも知らない他人の否定的な言葉や、人のドラマチックな出来事を気にして、力を尽くすのをおろそかにしないで。自分にとって、心から正しいと信じることをやり続けること。有意義なことに集中して、動じなければ、なにもあなたを揺るがすことはできないのだから。」

まずは自分自身の課題の解決を。そして次に、家族の、身の回りの。そして仕事の。
そして、これらを通じて得た能力などは、できる範囲で他人に還元していけばいい。
そう思っています。正確にいえば、そう思うようになりました。

もっとも、家族あるいは会社などは「身内」としなきゃいけないときもありますから、これらに身内感を感じたときにはちょっかいをかけるので、きっと受ける方からは「ウザイ」と思われていると思いますが(笑


2. 他人による自分の評価を気にして、自分にレッテルを貼る

「誰かがあなたのことをなにか言う。それが真実であろうがなかろうが、そんなことは問題ではない。いずれにしても、他人があなたについてあれこれ言うことは、あなたの問題ではない。そんなことを言う彼らのほうに問題がある。」(「 」内、引用)

いやあ、そういわれましても、気にしちゃうのが実際のところ。
過度に気にする→普通に気にする→ちょっぴり気にする→人よりは随分気にしなくなった、という変遷を経ている僕でも、気にすることがゼロにはなりませんので。

ただ、気にしなくなるコツはありまして。
一つは、気にする自分を「しょうがない」と受け止めること。
もう一つは、自分とタイプが違う、けれども信頼している人をできるだけたくさん回りにおき、彼らの評価を受け止めること。そして、それでいいんだ(自分を知らない外野の声は気にしなくていいんだ)と思うこと。
これだけで随分、幸せ感が増します。


3. 幸せを他人や外的要因に頼る

「期待値が「ゼロ」まで下がれば自分に今あるものに間違いなく感謝の念が湧く」(スティーブン・ホーキング)

幸せ感を増大させることとして、この言葉に集約されていると思います。

他人に対し「こうしてほしいな」って気持ちは僕だってゼロにはなりませんが、その気持ちにおんぶすることはほぼまったくしないですね。しないようになりました、がより正確です。
自分の人脈が「人」から「人脈」(=人が脈打つ)ようになったのは、そういう心もちをしだしてからだと思います。

欲望と能力の差が、不幸を感じる源泉なんですよね。
他人や外部要因への欲望を下げると、自ずと不幸感が解消されていくのではないでしょうか。


4. 恨みつらみに執着する

根に持つことは正直ありますが(苦笑)、それを相手に表現することを継続的に行う、ってことはないなあ。あくまでそう自覚している、って感じですが。

中学時代、僕にいたずら、悪ふざけ(悪く言えば、肉体的ないじめに近いこと)をしていた同級生とも、今ではすっかり「友人」と呼べるようになっていますし。
高校時代にガリ勉扱いしていた同級生とも友人ですし。
大学時代、きっと男性として(笑)どうよ、と思っていただろう女性陣とも仲いいですし。

だって人は成長するんですもん。お互いに。
過去のある時点の能力・人格をそのまんまひっぱるわけないです。
そのときのことに固執する考え方が成長を阻害し、結果不幸になり、固執しない人が成長を続け、結果幸せになる。そういうことなんだろうな、と思います。


5. ネガティブな環境でぐずぐずくすぶっている

僕は次の3つのどれかをとるかなあ、ネガティブな環境があったら。

・逃げる
・変える
・助けを求める(笑)

信頼している人たちと一緒に作っているにも関わらず、ネガティブな環境になることってときにはあります。そういうときは、「変える」ことをできる限り試みます。
関係性がない人たちに、ネガティブな環境を作られそうになったら、その場からさっさと逃げます(上記1で述べた価値観に基づきます)。ひきづりこまれたら助けを求めます。てな具合です。


6. 真実と向き合わない

高校時代までは、ほんと、真実と向き合わない人間だったと思います。

得意な将棋で負けそうになると「今日は腹痛で調子が悪い」と言い訳していた小学時代。
絶対負けそうにない人間にテストで1教科でも負けると「あいつカンニングした」と先生に告げ口していた中学時代(注:カンニング自体は本当だったんですが苦笑)。
Z会の東大模試の数学で2点!をとり、Z会が難しすぎる、こんな問題でるわけないよ、と責任転嫁していた高校時代。
いわゆる「悪いプライド」で塗り固められた人間だったと思います。

大学に入り、信頼している先輩から、バカとか無能とか散々言われ、勉強し強くなり、認められることで、「バカをさらけだして指摘を受けることで自分の成長を続ける」ことの快感!?を覚えました。

「嘘だらけの人生はいとも簡単に崩壊する。真実にちゃんと向き合わないと、夜ごと真実にうなされながら、毎日嘘をつき続けるはめになる。不誠実なままあちこち逃げ回っていても、真実からは決して逃れることはできないのだ。」(「 」内は引用)

小学、中学、そして高校時代、確かにうなされていました(苦笑
真実と向き合うこと、ごまかさないこと、そういう姿勢になるだけで、幸せな人生、作れますね、確かに。


1~6、かつてはほんとによくしていました。でもしなくなった、そして幸せ感が増した。
本記事は、そういう人間からのメッセージと捉えていただければ幸いです。
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2014.07.20 18:41

不本意な内定より留年…「卒業せず」10万人超
↑ヨミウリオンラインにリンクします。

同じ経験をしました(苦笑)。しかも2回も。はい、4年生を3回やったんです。。。

同じことをした人間として申し上げると、留年期間中、他の人の倍程度、自分磨きをしなければ、次年度も希望の内定をとれないと思います。
「今年は運が悪かった」「面接官に変に思われた」「スタートを早くすればいけるんじゃないか」「一回経験した人間の方が、初めて就活する人間より有利なはず」…などという想いが強いようであれば、次年度は結果がより悪くなるんではないでしょうかね。

僕は2年連続、同じ企業に不合格をもらいました。
1年目は最終選考までいき、2年目の方が状況的に緩かったのに、2年目は1次選考で落ちました。

今振り返ると、留年した1年目は、明らかに「頑張って」いません。
その1年間でたまたま、今後の人生につながる大きな経験はできましたが、1年かけてやることでもなかった、そんな経験です。
そのときは「留年してよかった、こんな経験できたんだもん」と思っていましたが、1年というタイムスパンがあれば誰でも何かしらの経験をするわけで、その経験に甘えた自分でいると、結果希望はかなえられない、ってことなんだと思います。

留年した1年間でしなければいけないことは、、志望する企業に認められなかった理由を分析し、自らの足りないところを補う活動をするのが王道ですよね。
このとき注意しなければいけないのは、「分析する」自分も「志望する企業に認められなかった自分」の状態で分析しているわけですから、フツーに分析すれば「甘い」分析に終わってしまう、ということです。
能力が「ちょっと」足りない、と思ったところは、実際には「かなり」足りない。「かなり」足りない、と思ったところは「絶対的に」足りない、と認識し、それまでの倍程度は頑張らないと。。。

僕は恥ずかしながら、頑張り方がそれまでと同じでした。だから前年度より差が開く結果に終わったんだと思っています。

もうひとつ、留年時にできることがあります。
それは、欲望の質を変えるということです。
自分がいくら「行きたい」と思っても、相手が「(自社に)ふさわしくない」と思えば、入れません。これは能力の高低ではなく、「あわない」だけなんです。

そう思うと、恋愛と一緒です(苦笑)。
相手に振り向いてもらえなければ、振り向いてもらえるように頑張る。これが前者。諦めて別のお相手を探す、これが後者。
諦めるのも相当程度キツイ体験をするでしょうが、それを乗り越える1年と言う猶予なんですよね。


ちなみに僕は、留年2年目で最終的に落ち着いた今の企業で、とにかくやれることはやる!とやっていくうちに、仕事も楽しくなり、やれることも増えてきて、好循環に。
就職先を多くの人に知らせた時、「あわない」という声は一人もありませんでした。留年する前に志望していた企業では、何人かから「あわないんじゃねーの?」という声があがっていたんですが。

つまりはそういうことなんだと思います。どんな結果になろうと、最後に選んだ道を「きっとこれがご縁なんだ」と受け入れ、その道で一生懸命頑張るのが、後で振り返って「(この企業で)よかったなあ」と心底思えることにつながると思います。

恋愛もそうですよね、それまでお付き合いした人がいて、別れた人がいて…
それでも、最後に選んだ人をパートナーとして、一緒に家庭を築いていこうとする、すると、幸せがどんどん、舞い込んでくるわけで。


こういうブログを書いているうちに、まだまだ仕事も、家庭も、頑張れることあるな、と思えるようになってきました。やるぞー!笑
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2014.07.19 17:00

基本的に、自分が関わっていない事柄について、(とくに、「表現」までして)批判するのは好きじゃない性格なのですが…
それても、批判する方がよい、という状況もあるかと思います。

「これがある、だから批判してよい」というわけでもないのですが、批判する場合というのは、次の3つの条件のどれかが必要条件になる気がします。
注)以下「部」とは、組織・団体などの一般通称を指すものとします。


1)部の行為が批判者に迷惑をかけ、かつ、それが多くの第三者にも迷惑行為ととられるとき。

「自分が」迷惑、と思えば、基本、相手に対して、批判的な態度になりますよね。


2)部内の状況をしっかり把握している状態で、部の行為について強く疑念を抱くとき。

ある部の行為が、すべての場合において最善とは限りません。それどころか、違う場合では不良になるケースもあります。

例として…わかりやすいかどうかはわかりませんが、ぱっと思いつくのは…
ソーシャルメディアの活用などがそうでしょうか。

たとえばある部で「もうホームページでいろいろ情報開示するだけなんて古い!これからはソーシャルメディアをガンガン活用した方がいい!」という意見が出たとします。
今のご時世では、ソーシャルメディアの活用、という発想はすぐに出てくるでしょうね。

僕自身も、Web担当だった頃、ソーシャルメディアの活用を積極的に進めた人間ですので、ソーシャルメディアに愛着はあります。
しかし、そんな僕でも、かなりの大企業…そうですね、1万人以上の従業員がいる、とかでしょうか…であって、かつ、B to Bをメイン商売としている組織に属していれば、ある部から上記のような発言が出ても批判的な発言をすると思います。
理由は、メリット<デメリット、と感じますから。

詳しくは省略しますが、ソーシャルメディアって、部の存在が小さい(換言すると、中小企業など)か、あるいは、「何かと比較して相対的に小さい部」が、マーケティング的に勝つ戦略だと思っています(し、そう言われることが多いです)。
大きい部、そしてB to B企業では、なかなかうまく成果が出ません。マス広告の方が費用対効果としていい場合が大半です。
…と、その部の人たちが余りわかっていなくて、流行に流されているような意見であれば、批判的になる、という感じです。
逆に、50人くらいの規模の部をハッピーにするのであれば「ソーシャルメディアを活用しませんか?」という提案になります。

このように、部のおかれた状況によって、最善手は違いますので、部の状況を余り把握せずに、一般論だけで批判的態度を表明する場合は、「ズレ」が生じ、ましてや自らがよくわかっていない部に対して、「ズレ」たまま批判すると、その批判そのものが周りの共感を生まない場合が多いと思います。


3)自らがコミットした経験に照らし合わせて、部の行為が批判されるに相当すると感じ、かつ、第三者の多くをして「明らかに」批判されても不思議ではない、と思えるとき。

難しい言い方ですね(苦笑)。ここでもたとえ話を。

「これからの教育には、5教科の勉強より、コミュニケーション能力を高める授業をどんどん入れた方がいい!」という意見があったとします。これに対して批判する場合は
・自らが5教科の勉強に、何らかの形でコミットして、成果を挙げた(その後の成長につながった、とか)経験があること
・その経験が、第三者に対して明確に示せ、そして共感を生めること
ということが必要、という感じです。

すると批判された方から「じゃあ今の授業にオンして、コミュニケーションの授業を入れよう!」となった場合には
・いろいろオンし続けると、教師および子どもたちがどっちつかずになり破綻した経験があること
・その経験が、第三者に対して明確に示せ、そして共感を生めること
ということが必要、ってことになりますかね。

自分の経験したものについて、第三者の行為が、自分の経験した「価値観」では違和感を感じるとき、他者に対して何かいいたくなるものです。
僕も、2で述べたように、ソーシャルメディアをガンガン使ってきた人間ですから、ソーシャルメディアを「やらない」部に対しては、すぐいいたくなる自分がいます(苦笑)。
でも、やっぱり、そこでいったん「待てよ」と思わなきゃ、とも思うんですよね。ほんとに自分の経験が、そこまで批判的に物言いできるものだったか、と。第三者の共感を生むような批判的見解か、と。。。

脊髄反射で出る批判的表現は、自らの経験によって導かれた「価値観」から来る場合も多々ありますので、“それは自分だけの価値観じゃないか?”と一歩下がって自分を見る目って必要なんだと思っています。

あ、蛇足ですが、僕自身は、コミュニケーションの授業をすることに対し、賛成でも反対でもないですよ(笑)。TPOに応じて、いい場合もあれば、好ましくない場合もある、の立場です。


そして、1)~3)のいずれにしても、大前提があると思うんです。
それは、その批判をすることで、何かに幸せが訪れるだろうか、という視点。

1)は自らが被害をうけなくなり、ほっ、とできます。
2)は部の幸せを考えなければいけません。
3)は(自分の主観を極力脇に置き)「社会」の幸せを真剣に考えなければいけません。

批判だけではないですね、賛成の意見表明もそうですが、「それで、誰かが、何かが、幸せになり、そして、その幸せは、他人を必要以上に不幸にすることはないか?」と、無意識に思える自分を作っておくこと。
とっても難しいですし、僕自身も完璧にできているとは思えませんが、でも、やっぱり、そういう自分であることを目指すべきだと思うのです。
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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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