Z会ブログトップへ

2013.09.30 23:44

ブログに反転授業ネタが多くなってますが…
今日の場合は、面白い取り組みを見つけたのと、書く時間がないからで(苦笑)
 
反転授業への挑戦
 
宮城県の佐藤靖泰先生の例です。
Tags :
Z会スタッフの日常
反転授業
佐藤靖泰
ソーシャルブックマーク:

2013.09.29 23:40

 
 
表題のような投稿をFacebookやツイッターでしたところ、友人の元コンサル、SIIIS社長の杉山隆志さんからコメントを頂いたり、これまた友人の経営コンサル、鮒谷周史さんのメルマガ「平成・進化論」で似たようなことが届けられたりしましたので、ブログで紹介しまーす。
 
1.僕の投稿内容
 
「中途半端に賢い」って層が、最も問題解決力がない気がします。「賢くないもんね、俺達、わはは~」と笑っている人たちは、考えずに行動することで問題を解決している場合が結構あります。一方、 ちゃんと賢い人は、「問題解決のための問題点洗い出し」をして、しっかり代替案を提示します。
 
動かない、そして、問題点だけ表現して、それで終わり、と言う人は、たいがい、「中途半端に賢い」層です。 だいたいが「レールに乗って勉強してきた」ってだけで、習得スピードをあげることもしなげれば、レールから外れるってこともしてこなかったタイプ。
 
一般的には、「なんとなく、行ける大学に行っちゃった」人たちに、このタイプが多いと感じます。より賢くなるために日々主体的に勉強するか、振り切ってバカになって行動するか、どちらかを心掛けないと社会に出ると辛いでしょう。逆にそれができれば、学歴の差は簡単に乗り越えられます。
 
 
2.SIIIS社長の杉山隆志さんのコメント
 
元々の根本問題に関する話でなく、その派生の手段の是非を論じるタイプですね。「それは直せば良いけど、で、それしたら最初の問題って解決するの?」に答えがない人は、少なくともコンサルティング会社なら、NGですがね。
たちが悪いのは、自分の言ってることは間違えてないのに、聴きいれてくれない、と他人に転嫁する賢さがあるので、変わらない、というのが不幸だなぁと。
そこを、逃げないでら自分の問題とできるかが肝かな、と自分の経験上は思います。
 
 
3.メルマガ「平成・進化論」より
 
「行動の伴わない、学び中毒の人」の行く末
 
■最近、数多くの個別コンサルを実施させて
 いただいて、つくづく感じるのが、
 「やることやらなきゃ、世界は変わらない」
 ということ。
 
■当たり前の話ですが、
 どれだけ学んでも、どれだけ考えても、
 結局のところ、
 「行動しなければ、取り巻く世界はなんにも変わらない」
 のです。
 
 だから常に自問自答し続けなければなりません。
 
 「自分は外の世界に向かって、
  何に対して、どれだけの働きかけをしているのか」
 
 と。
 
■直接、間接は問いませんが、
 外の世界(≒自分以外の人)に働きかけるのは
 大前提で、その上で
 「働きかけの総量」
 についても見直す必要があるでしょう。
 
■つまり外界を変えるためには、
 「外部に働きかけをしているか」
 を振り返り、働きかけているとするならば
 「大量に行動できているか」
 を常に自らに問い直していかねばなりません。
 
■両者のいずれか、あるいは両方の質問に
 「イエス」
 と答えられないのであれば、
 厳しい言い方になりますが
 「変われないのは、当たり前」
 といえるでしょう。
 
■この2つの質問に
 「イエス」
 と答えられる人が学ぶことによって、
 初めて
 「学びの果実(=大量行動の精度が上がってくる)」
 を得られるようになるのです。
 
 逆の言い方をすれば、
 「行動していない人は、いくら勉強しても
  学びの果実は永久に手に入れられない」
 ということ。
 
Tags :
Z会スタッフの日常
鮒谷周史
平成・進化論
杉山隆志
SIIIS
ソーシャルブックマーク:

2013.09.27 15:36

中編の続きです。
 
3.教師が「教え込む人」から、「子どもとともに考え、話し合う人」へという、役割の変化にどこまでついていけるかだ。(以上、引用)
 
これは「教師ができるかどうか」の問題ですよね。
「教師はできないでしょ、だから反転授業はよくない」という心配の声は、心配すること自体はわかるものの、反転授業の善し悪しの本質とは離れます。
(これを言い出すと、そもそも教員養成の話から触れ出さないといけませんし…)
きっと現実は、「できる先生もいるでしょうし、なかなか実施が困難な先生もいる」という状態でしょう。
その状態を鑑みて「やる」と決めるかどうかは、「やる」ことが
・地域的に
・時代の趨勢的に
求められているかどうか、ということだと思います。
 
前者、つまり、「“武雄市”でやる」ことの是非については、武雄市の中での優先順位付けだと思いますので、言及は避けます。
地域のことは地域で考えた方が問題解決につながる、ということ、僕が現在住んでいる三島市や、訪問させていただいた上勝町などの事例から育まれた、僕自身の考え方ですので。
 
後者…時代の趨勢的に、「授業(方法)の転換」は、「求められている」と感じています。
ありきたりな表現になってしまいますが、「問題解決力」が必要な時代になっていますから。
 
・答えのない問題に「最適解」あるいは「(多くの人が)納得する解」を見つけ出す力
・それらの解を実行する力
・それらの解にたどりつくまでのディーベト力や交渉力
・そもそも問題を見つける力
・問題を自らの能力や立つ位置にあてはめ、「課題」とする力
 
などは、恐らく従来型の授業形態よりも、朝日新聞が述べた「子どもとともに考え、話し合う」授業形態の方が身につく部分が大きいのではないでしょうか。
 
確かに慣れていない先生の負担は大変なことだと思います…
ですが、「子どもたちのためならやっていこう!」という先生方も大勢いると思うんです。
その証拠が、上越教育大学、西川純教授の提唱する『学び合い』に集う先生方が増えているという事実。
 
学び合い』はあくまで「学び合おう!」という「考え方」です。そしてその本質にある思想性は、「一人も見捨てない」。おちこぼれを出さない、ということなんですね。
そしてその考え方を具現化した形態として、「子どもとともに考え、話し合う」授業がとられることが一般的で、その方法論を採用している先生方が、グループをつくるとこんなにいらっしゃるんです
 
反転授業を実施し、そのことにより空いた、これまでの「授業」という空間と時間を使い、学び合い』の考え方を元にした授業を展開すると、落ちこぼれは防げることが期待できますし、それこそ中編で述べた、学力下位層や家庭学習力の弱い層のカバーもできるのではないでしょうか。
加えて、わからない子に教えてあげる、という行為を通じて、「(理解力の面で)できる子」にも、上記の「問題解決力」が身につくことが期待できます。これは、僕自身の実体験をあわせても、強くそう思います。
 
僕自身が受けた教育過程を振り返りながら、すごーく率直な気持ちを申し上げれば
「授業の中で先生の教えることだけを聞いていてもつまらなかったな…だって予習で“知っている”ことが多かったから…。おおっ!授業時間が、“先生の話を聞く”以外の時間に使えるなんて、授業が楽しくなる!」
とは思います。
これはかなりの主観ですけどね(笑)。ただ、教育論を語るときには、その人の受けた教育が色濃く反映せざるを得ないので、押し付け的に教育論を語る方は、もう少し「そういうもんなんだ」という姿勢で話して欲しいな、と思いますけどね(余談でした)。
 
 
以上より、運用次第ではかなりの成果も期待できるのが、反転授業という形態と捉えています。
なお、小学生、中学生、そして高校生や大学生…どのステージで導入すると(現在の授業より)効果があがるか、などの細部の議論になると、アクティブラーニングなどの別の要素も加味できるため、ここでは「武雄市の記事を見て、思ったことをつらつらと、全般的に」という立場でブログを書かせていただいていることを断っておきます。
 
 
もちろん、賛否両論はあると思いますし、僕自身も「導入するか否か」を問われると、「いつ」「どこで」「どのように」導入するか、慎重に考えると思います。
 
ただ
・懸念点が多い、だから反対だ
・これまでに身につけられなかった力が身につくことが期待できる、だから賛成だ
という二項対立になっても、好ましい結果が生まれないと思いますので、賛否のどちらにせよ
   「懸念点を解決すれば、良い結果が期待できる。
    だから、懸念点を解決できるかどうかが“(実施の)決断”のポイントであり
    決断した以上は、懸念点を解決して行くことに軸足を移していこう」
という姿勢が、(反転授業に限らず)教育を巡る様々な論争には必要なんじゃないかな、と感じます。
 


追1)反転授業そのものについては、記事冒頭(前編)で取り上げた、田原真人さんの「反転授業の研究」が、実践も含められていて、僕の記事よりずっと詳しいですので、是非すべての記事をご覧になることをオススメ致します。
追2)盟友の塾長、中村五十一さんの塾での事例です。

 
Tags :
Z会スタッフの日常
Z会
武雄市
反転授業
田原真人
ソーシャルブックマーク:

2013.09.26 23:40

前編の続きです。
 
Facebook上で俊英館の小池幸司さんが指摘した3点を順番にあげます。
…といってもこの3点、武雄市の反転授業の朝日新聞の記事にて掲げられていた3点を「記事抜粋」として断った上で紹介していたのでした(苦笑)。
ただ、小池氏、そして僕自身も、「課題だ」とだけ指摘するのではなく、これらの「課題」を克服すれば、反転授業は大変効果的になる可能性を秘めた(学習の)仕組みではないだろうか、かつ、(10年、20年前、とかではなく)「いま」やってみるとより効果的ではないだろうか、という見方は一致しています。その視点において改めて、朝日新聞の記事から引用してご紹介します。
 
 
1.子どもがどこまで意欲を持って予習に取り組むかだ。教材の魅力を高めることがカギを握る。(以上、引用)
 
前編でも述べましたが、僕自身の学習スタイルが予習型だったわけですが、全ての子どもがやれていたかというと、決してそうではありません。
皆さんの経験上もお分かりかと思うのですが、予習に取り組んでいる子ども・生徒は「できる子」に分類される人たちなんです。
だから、反転授業の導入を疑問視する人の声では
・できない子はそのやり方についていけないのでは?
・学力格差が余計広がるのでは?
などがよく聞こえてきますし、その懸念はおっしゃるとおりだと思います。僕自身の経験上もよーくわかります(笑)。
 
一方、「いま」の方が、子どもたちが意欲を持ちやすい環境が整いつつあります。
それが「タブレット教材」というツールなんだと思います。
主体性を育むタブレット授業~千葉県立袖ヶ浦高等学校~でも述べましたが、タブレットそのものが生徒の主体性を育むことに寄与する側面があると感じるんです。
 
もちろん、タブレットそのものは触媒に過ぎませんが、僕の小中高時代よりも、予習に取り組む意欲に寄与する「道具」が追加されたことは、課題解決に近くなったと捉えることができます。
 
 
2.低学年ほど、大人が映像を見るよう促す必要があり、保護者の協力が欠かせないことだ。家庭環境の厳しい子どもには、放課後に学習の場を設けるなどの工夫が要る。(以上、引用)
 
ここでも、疑問視する声の中で
・保護者のしつけや、学習の関与度の差がさらなる学力格差を生み、学校のクラスでの授業がより難しくなるのでは?
という声が聞こえてきますね、これもその通りの部分はあるかと思います。だからこそ朝日新聞のコメントでも「家庭環境の厳しい子どもには、放課後に学習の場を設けるなどの工夫が要る。」とあるんですよね。
 
一方、反転授業…云々は別にして、「家庭学習への保護者の協力が、いまの社会的温度感のままで良いか?」という問題があります。
もちろん「いまのまま良い」という意見もあるでしょうが、僕は「もうちょっと、保護者が家庭学習を支援しませんか?ちょっとした協力を低学年からしておくことで、将来の学力形成に大きく寄与しますよ」という意見です。
やや古いデータですが、平成17年の家庭学習時間のデータ(文科省資料)を見ても、学力の高低と家庭学習時間には相関がありますし(まあ、アタリマエですよね…)、僕が注目したいのは、その相関が、小学生→高校生になるにつれて著しくなる、という点。
小学校低学年のうちから、単に「(家庭学習を)やっている」だけではなく、「(家庭学習を)進んでやっている」という状態を形成することで、学習が習慣となり、将来に渡り、学力形成に寄与する家庭学習に取り組める人間になることが期待できるのではないだろうか、と。そしてこれはとても大切なことなんではないだろうか、と。
 
保護者の協力、といっても、なんでもかんでも関与する、ということではないですよね。これについては、保護者の「家庭学習支援力」のモデル(ベネッセ)がとてもキレイに表現しています。
余談ですが、勤務先のZ会の小学生コース、とくに1年生・2年生のコースは、保護者が協力する「シカケ」をつくり、自然な形で支援するシーンを創ることで、学力形成に大きく寄与させようとしています。
 
話を反転授業に戻します。「学力形成に、家庭学習における保護者の協力は大切だ」の立場に立てば、「タブレット教材」ができることによって
・子どもが進んで勉強するようになり、わからないところで保護者に「進んで」声をかけたくなる心理醸成が期待できる
・そのシーンの繰り返しで、自然に保護者が家庭学習の支援をするようになっている状態が形成できると期待できる
 
 
という部分が、以前よりは増すと思うんです。
 
 
後編に続きます。
Tags :
Z会スタッフの日常
武雄市
Z会
反転授業
田原真人
ソーシャルブックマーク:

2013.09.25 23:20

9月24日、朝日新聞朝刊にドーンと掲載され、「教育」カテゴリの話題の中でバズワード化した「反転授業」。
 
家で動画見て予習、「反転授業」試行へ 佐賀・武雄市
 
反転授業、という言葉自体は、去年くらい、からでしょうか、僕の耳にもよく入ってくるようになった言葉で、物理の講師をされている田原真人さんも、今年1月から、「反転授業の研究」というブログを綴られていますし、様々な実践もされています。
 
 
 
今回の武雄市の取り組みについては、田原さんがツイッターで述べた
 
反転授業に対しては、賛否いろいろありますが、僕の姿勢は、まずは、「やっている人の話を聞く」そして、「試しにやってみる」。そうすると、想像もしなかったことが次々と出てくる。”
※引用元は https://twitter.com/m_tahara/status/382768608763719680
 
と同感で、「実際に(試験的に)やってみる」ってこと、大事なんじゃないかなあ、と、素直に思います。
 
 
 
教育手法は様々あり、従来のティーチング型の教授法では、想像力や問題解決力を磨けない、などという欠点の指摘をされる方もいらっしゃるわけですから、これまで培われなかった力を培うことにチャレンジすることは素晴らしいことだと思うんですよね。
E-Learningの可能性を追求され続けてきた田原さんも、ツイッターで
 
 
 
 
予備校講師として14年間、授業を磨きに磨いてきて、一方で、ネット予備校でE-Learningの可能性を9年間追求してきて、それらの経験を踏まえた上で思う。「反転授業」には大きな可能性がある。
※引用元は https://twitter.com/m_tahara/status/382768608763719680
 
 
と述べられていますし。
 
 
さておき、反転授業そのものについて。
繰り返しになりますが、教育手法は様々なものがあって良く、生徒に一番「その先生なら」響く手法を選択すればいい、というのが、僕の基本的な姿勢なので、反転授業という教育手法が「在る」こと自体は肯定的に受け止めています。
 
一方、初めて「反転授業」という言葉を見て、意味を知った時に
「そんなに新しい教育手法かな?」
 
 
と思ったのも確かです(だから、ちょっと今年に入っての「反転授業」という言葉の扱いは、バブルってる感じがします)。
なぜかは簡単で、僕自身の小中高校時代の学習スタイルが、自宅で予習をして、学校は自分の理解が正しかったかどうかを確かめる場だったからなんです。
「普通に予習をして、学校で授業を受けるのと何が違うの?」
これが以前より持っている、「反転授業」についてのイメージです。
 
ただ、僕自身、勉強が好きで運動嫌いの、モテないヤサ男という、いわゆるいやーな子供だったため(苦笑)、僕のやり方が万人に通用するとは思えません。
また、僕のやり方で進めた時、僕自身は、授業そのものに不満を感じるときもありました。
 
そんな自分自身の経験と重ね合わせると…
「反転授業」という言葉が「いま」取り上げられ、そして試行されることには、「いま」という時代にマッチし、僕の時代よりも効果が見込める(そしてその効果が時代から要請されている)部分も大きいのではないかな、と思うところがあります。
 
その理由は3点に集約できるかな~と思っていたら、iPadの活用で先駆的な、俊英館の小池幸司さんが、Facebook上で「3つの課題」としてあげていたことと完全に重なりましたので、小池さんのFacebookの投稿を引用しながら、「いま」反転授業を行うことの課題と意義を述べたいと思います。
 
中編に続きます。
Tags :
Z会スタッフの日常
Z会
武雄市
反転授業
田原真人
ソーシャルブックマーク:

2013.09.24 23:40


友人・知人その他から、イベントなどを
「ブログで紹介してよ~」


と頼まれること、月2、3回、多いときは5回以上あります。ありがたいなあ、と思います。

一方、僕のブログなんて、そういう皆さんが期待するほど閲覧者いないですよ(苦笑)
ページビューやユニークユーザー数、たかが知れていますから…

あと、今の世の中、「知った」だけでは人は動かないんですよね。

知って、いい!と思って、実際に動く、というまで、感情が動かないと…
 


では、僕のブログの閲覧者に動いてもらうには…というと…
このブログを見ていただいている方に、ブログを通して知る寺西という人間像を信頼してもらって、その上で「あ、寺西の薦めるものならいいかもね」と思ってもらうこと。これが必要条件です。
別に誰かを動かす目的で書いているわけではないですけど(苦笑)、書いている以上は、書き手への信頼性ってすごく大事ですので、こちらは常に意識しています。

加えて、寺西が本当に「お薦め!」と思うものしか薦めないこと。これが十分条件です。
なんでもかんでも「これいいよ!」「あれいいよ!」と薦めているブログなんて、「ほんまか?」と思いませんか…?
 


もちろん、Z会に雇用されている身ですし、このブログもZ会ブログですので、僕個人からすると「Z会にめちゃくちゃお世話になっている」という気持ちがある以上、Z会の商品・サービスは他のものよりも多く薦めることがあると思いますが(笑)。


人間、知っただけでは知っただけでは動きません。
人から聞いたことが、知るキッカケとなった場合、その人の薦め方というのも大事なんです。ハイ。

Tags :
ソーシャルブックマーク:

2013.09.23 23:48


広がる「ネット依存」病気とみなされず…専門医に相談殺到
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/health/685982/

このニュースを見て…病気として、ではなく、ネットを使う時間が長くなる状態を指しての「ネット依存」について、思うところを。


※ニュース本文の趣旨とはややずれますが。

 


先日、清掃ボランティアで一緒だった女子高生(2年生)と話していて、LINEの話になったとき

「私、LINE、やってないんですよ~」


と陽気に話してくれました(ちなみに、twitterその他もやってなくて、友人との連絡ツールは「メール」「パソコンから」がメインとのことでした)。
「へー珍しいね、今みんなやってるのにねー」って話したら「読んだかどうかわかっちゃうのが嫌なんですよねー」と。

この会話から、この高校生(以下Aさん)は

1.「LINEをやっていない」ということで人間関係が薄まらない自信を持っている(そして実際に、人間関係に満足している)。
2.「既読→返信しない」という行為を割り切って(とでもいいますか)やれるほどの自信はない。


と思われます。

Aさん、小さな頃から、ガールスカウトに類した活動に積極的に参加していて、高校生になっても、今回一緒になったボランティア活動に「楽しんで」出てくる、という社会との関わり方をされています。
住んでいる地域でも、近くの大人から子どもたちへ、や、子どもたちの中の年長者から年少者への声かけが日常的に行われているんですって(彼女の方から活き活きと話してくれました)。
平均的な高校生より、ずっと周りの社会との接点をもっていらっしゃる、そして、(無意識に)もとうとしてらっしゃいますよね。
このような普段の生活の結果、1のように、手段に振り回されない(人間関係の)自信を持っている、僕はそう感じました。

一方、そんなAさんでも、2のように感じています。
つまり、「既読→返信しない」という行為をやることは、客観的に「妥当」と思われるときでも、それをやることが心情的に辛いってことでしょう。高校生にとって。
大人でもそういう人の方が多いと思います。

ちなみに僕は平気で「返信しない」をやります。
じゃあなんでそれができるか、というと、「返信しない」ときに「あーあいつは今返信できないんだな」と思われる人たちだけと付き合っていると思っていますし、もしそう思われて嫌な奴と思われても仕方がないと思っているからです。後半を換言すると、嫌な奴と思われて関係性を先方から閉じられても別にしゃーないや、という思いですね。


以上を見ると、やっぱり「ネット依存」にならないためには、「自分の身近な人」との人間関係が大きく影響していると思えます。
僕の気持ち的には「断言」できます。

じゃあ、人間関係をどう作っていくか、の手段は、人それぞれでしょう。
ただ、幼いうちから、多様な人と接点を持たせ、そこで小さなトラブルや嫌な気持ちを味わいながら、それ以上に楽しさ、嬉しさを継続的に感じさせることは、成長段階で人間関係を深めていくことに大きく貢献することだけは確かだと思います。


知人の小笠原盛浩さんがかつて所属したグループの資料を紹介します。
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/wordpress/wp-content/uploads/pdf/20110427-rsrNo27_3.pdf
PDFで、かなり長い資料なので、最もご覧戴きたいところ、1点だけ引用します。

「以上グループ・インタビューを通じて、依存症からの離脱には、家族の介入、リアルな人間関係の好転、リアルの世界の充実などの積極的処方箋の有効性が示唆された。同時に、留年・浪人などの経験、健康悪化、やりすぎの自覚という依存による悪影響の結果を真摯に受け止めることも、依存離脱の重要な要因になっていることが対象者の経験から明らかにされた。」

やはり人間関係とネット依存の関係は、学術的にも証明されているようです。




また、(以上とは趣旨が異なりますが)「既読→(すぐに)返信しない」という行為をすることの心情的な難しさは、大人は「わかってあげた」上で、そういうシチュエーションに慣れさせていくことも大事な気がします。

上で紹介した資料にも、こんな文章がありますし。

「また、ネット依存に関しては「同期的コミュニケーションの空間はインターネット過剰利用の主犯格」(Wallace[1999])とも指摘されているように、コミュニケーションが同期的であるか否かも重要な指標である。」


僕の工夫は、大人同士のやり取りで、必要以上に気遣いしてくれる方には、「あ、返信不要ですから~♪」なんて言葉をさらっと付け加えるようにすることなど、ですね。

Tags :
Z会スタッフの日常
ソーシャルブックマーク:

2013.09.22 11:30

 
668352d0c87ca17738cf6ea55b168c6608f369d9.jpg
伊豆高原の大室山にきています。
空気が澄んでて景色もきれい!
 
Tags :
Z会スタッフの日常
ソーシャルブックマーク:

2013.09.21 21:13


敵か味方かの二分方思考が過剰な人は、思考力がつきにくい傾向があると思います。

「自分とは違うタイプ」ってのはいるわけだし、そういう人の思考こそ、自らが学ぶところがたくさんあるんだけど、二分方思考が過剰な人は、違うタイプを嫌い、敵だ、と決めつけがちなので。

「自分とは違う、だけど真摯な人」を見抜き、やり取りすると、本当に思考力や広い視野が身につきますね。

Tags :
Z会スタッフの日常
ソーシャルブックマーク:

2013.09.20 18:47

知人で、50歳を越えて起業した人間がいます。
その方が、先日、このようなことを書かれていました。
 
===========
起業している(私よりは)若い人たちといろいろ会って思うこと。
愚痴や文句は言わない。不満があれば、自分で起業して解決する道を選んでいる。
それに引き換え、会社員が飲んでいると、会話は基本的に会社や上司の愚痴。
偉そうなことは言えない。自分もそうだったんだろう。
 
でも、今、しっかりとわかる。会社、上司、同僚、部下の悪口や愚痴は、自分のストレス解消にはなっても、何か新しい価値を生み出しているわけではなさそう。
 
これまでの自分に反省。
===========
 


「不満があれば、自分で(起業して)解決する道を選んでいる。」

僕も起業家の友人知人は割りと多いんですが、彼らの行動選択は確実にこれですね。

彼らと仲良くすればするほど、愚痴や文句を言う人を恥ずかしく思えるようになります。
 
愚痴や文句を、瞬間的に「言ってしまう」ことまでとやかくいいません。


仲間内で愚痴や文句を「言ってしまう」機会があり、そして「愚痴や文句を言ってしまったから、自分も頑張んなきゃね!」という、当事者意識がある、前向きな行動につながるのであれば。

でも、単に愚痴や文句を言って、問題解決行動を自らは起こさないサラリーマン。
たいがいは、愚痴や文句を「継続的に」言うサラリーマン。


その人自身が、組織の問題を生み出しているともいえます。


サラリーマンから起業家に転身された方だからこそ、重みのある、そんなコメントでした。

 

 
Tags :
Z会スタッフの日常
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
※スパムのためコメント欄は閉じました(すいません)。

カレンダー

<<   2013年09月   >>
01 02 03 04 05 06 07
08 09 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

月別アーカイブ