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2011.12.31 23:20

ブログのタイトルにも使っている「和顔愛語 先意承問」という言葉は、僕が最も大切にしている言葉です。そして年末年始頃に、(ほぼ)必ず記事にしたためることにしています。
初出は多分これです。
http://d.hatena.ne.jp/zkai/20061227/1167278444

上記ブログ中にも触れていますが、改めて意味を。

出典は仏教経典の「大無量寿経」。文字通り訳せば、「にこやかな顔、優しい言葉で、相手の気持ちを察し、先んじてその人の期待に応えましょう」というもの。人間は一人だけで生きているわけではなく、多くの人たちのお世話になって生きているわけで、そう考えると、どんな人に対しても笑顔で接したくなるでしょう、という、人間としての悟りの境地を簡単に述べた言葉です。

当時(僕が20代前半の頃)ダイキン工業の副会長だった井上義國氏により、日本経済新聞夕刊の「あすへの話題」のコーナーで紹介されていました。
ちなみに当時、ダイキン工業の企業規模は今ほど大きくなかったのですが、その後「エアコンのダイキン」となり、社員を大切にしつつチャレンジ精神溢れる企業として日経ビジネスにも取り上げられるほど大企業になりました。井上氏の精神が活きていたのかもしれません。

とくに僕が大切にしているのは、「先意承問」の部分です。
受信力、想像力という、コミュニケーションにおいて最も大事な2つの力が盛り込まれており、人にお世話になると同時に自らが人の役に立つためには、「心」だけではなく「知恵」と「行動」が必要なんだ、ということを明確に4文字で表した言葉だからです。


2011年を振り返り、2012年をスタートするにあたり…
今回は、この言葉を想い浮かべながら

2012年は“それぞれの立場でできる「社会価値創造」を”

をお伝えしたく、記事をしたためたいと存じます。


年末、こんなブログがweb上を駆け巡りました。

大阪市職員です。

マスコミが流している大阪市職員の様々な不祥事や高給そのものは「事実」ではあります。
しかし、一つ一つの事実が、大阪市職員の総体に適用できるという保証はありませんし、ましてや個別においては、まじめに薄給で働いている大阪市職員も多いかもしれません。単にマスメディアに取り上げられないだけで(そんなニュースを見ても視聴率とれませんからね。苦笑)。

上記のブログも、真実(の総体)を語っているかどうかは、わかりません。
しかし、マスメディアで報道される事実もまた、真実(の総体)を語っているともいえないのです。

それなのに、どうして、こんなに簡単に、そして見るに堪えない、誹謗中傷もどきのコメントがつくのか…
ほんとに悲しいです。


もう1つ。僕の友人の話をします。
彼は厚生労働省勤務の官僚です。
新人の時の仕事は、平日9時から17時半まで、延々と年金問題のクレーム電話に対処する仕事。
世の中の「仕組み」を変えようとする仕事は、17時半以降じゃないとできませんでした。
当然深夜3時4時の激務で、病院送りになった人もいたそうです。

クレーム電話に出る仕事なんて誰か他の人に任せればいいじゃない、という声もあるかもしれませんが…
そこでちょっと間違ったことを言った瞬間に、またメディアに叩かれるという構造。
だから、すべてのことを把握した人…結局高級官僚クラスが電話に出るしかない状況だったそうです。

この記事をご覧頂いている方には、このことは事実かどうかは定かではないかと思います。
でも、僕の友人が僕に、呑みの席で、こんなネタで嘘を言うわけはありませんから、僕にとっては100%事実ですし、僕を知っている皆さんにとっても、このことは「推定、100%事実」として受け止めてくれると思います。


この2つのことがらに共通すること。
それは、「単なる文句」を言う人が、社会から価値創造に費やす時間を奪っているということです。
「単なる文句」を言う人自身が、費用対効果の悪い国の仕組みや政策を生んでしまっているということです。


文句を言いたくなるような対象の言動が先にあるのかもしれません。
また、適切な批判であれば一向に構わないと思います。

しかし…大阪市職員のブログに述べられた状況や、友人が受けていたクレーム電話のように、自らの気持ちの「はけ口」として「単なる文句」を他人に浴びせる行為そのものは、社会の価値をかなりマイナスに導くものであることは間違いありません。

これらの行為の存在を極小化し、それぞれの人が、それぞれのおかれた立場で、出来る限り「先意承問」の態度とをとることが、今の日本社会を成長させる、一番の方法だと思うのです。


震災後。
ボランティアに行った友人知人の数。
恐らく数え上げると100名はくだらないと思います。

一生を東北の復興にささげる、と、それまでの仕事を捨て新たな道を歩み始めた人間もいます。
「行動しないと始まらない、さあ、一緒に!」と声をかけられたこともありました。
彼らが世の中に生みだしている価値は最大級でしょうし、ほんとにすばらしいことだと思います。


一方…僕はボランティアに行っていません。ましてや仕事も捨てられません。
でも、卑下するつもりもありません。

自分の置かれた立場で最大限のことを行使し、為してはいけないことを決して為さず。
為してはいけないことを決して為してはいけない、という人たちで社会の雰囲気を創っていくことに少しでも与していけば、日本社会という枠組みを通じて、被災地に貢献できる、そう思っているからです。

娘の父親として、社会に価値を生み出せる娘に育てること。
妻に幸せな一生を作り上げること。
近所のお世話になっている人たちと常に笑顔で触れ合えること。
Z会の一社員として、お客さんに、会社に、社員に、社会に、価値を届けること。
ネットで知り合った心ある皆さんの気持ちや行動に少しでも影響できるメッセージを与えること。。。


自分の立場でも、「先意承問」の姿勢で、やることはいくつも、いくつも、あります。
もちろん、自分と違う立場で、自分のできないことをしている人には、心からの敬意を表しながら。



誰でもできませんか?こんなこと。
みんなができるようになれば、未来はどんどん、創れると思いませんか?


誰かのせいにするより。誰かをひがむより。
少しでも社会に価値を生み出すことを考え、実行しませんか。

そして、その方が、自分自身、幸福になれると思いませんか。


2012年、一つでも多くのものを、社会に生み出せる人間を目指しませんか。
それぞれの立場で「和顔愛語 先意承問」の姿勢を発揮できること、いくつもあるはずです。
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2011.12.30 18:26

すみません、3日間ほどブログを書いていませんで…
いろいろ理由はあるんですが、

かけ算には順番があるか?~指導要領とZ会の場合~を書いたら力尽きた(苦笑)

・この記事がFbの、学校の先生方のトピックスに取り上げられ、話題化し、いろいろ意見を参考にしていた

・この記事がgooのトップページに取り上げられ、読んでくださった方にお礼のツイートなどをしていた

・年末に向けて業務をひと踏ん張りしていた

・すいません、年賀状書きで忙殺です(苦笑)


…などなど。


まあ、この1、2日で、Z会が小学低学年向けに出している「保護者向けサポートブック」の存在がWeb上で一躍有名になったので、嬉しさにひたってたのですが。
こういう感じでWeb上に出回っているんです。

学校で先生が扱いきれない意味を、保護者の方がしっかりサポートできる、優れものですよ(^^


では今回頂戴した、Z会小学生コースの指導法への、ありがたいお褒めの言葉を…
※小学生のお子さんがいらっしゃる方はいますぐ資料請求を!なんて(^^

「流石はZ会ってところですよね。」 @tsatie さん

http://t.co/RN3ok34u で無料の登録をするとZ会で算数の掛算の順序をどのように扱っているかがわかりますね。小学2年生では掛算の順序が逆でもマルにするがコメントを付け、小学3年生以上では順序の入れ替えはコメントも無しに問題無しとする方針。極めて常識的。 @genkuroki さん

「芯が一本通ってる。」 @hajiyomi_jp さん

「掛け算の記載順序に対する考え方にも深い意味があるのですね。ふーむ。」 @iguana_11 さん


さらに教材を磨いていきます!
東大合格が先にあるのではなく、本質に基づき勉強した「結果」自然に東大合格しちゃった、と言われる、これまでのZ会であり続けるために!!
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2011.12.29 23:20

新人教師自殺 心のケアは…
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20100218-OYT8T00311.htm

大分前の事件&記事ですが、ご覧ください。


教師ではない僕たちが、子どもを学校に通わせているときに、教師に対してどう向き合うか。

・躾と適度な学力養成以外のことは期待しない。
・期待しないことまでやってくれれば素直に「ありがたい」と思う。
・教師が自子に権力的行為や、不祥事を引き起こしそうになったときのみ、断固として闘う。


ってことだと思うんです。


最後は当然ですね。
しかし、教師が、最後のようなことをやる、ということを理由にして、教師に過度な攻撃をしたりすることは、これまた断固として許されることではありません。これがモンスター・ペアレント、ですね。


もろもろこんがらがって、教師に過度な期待をする方もいらっしゃいますが、これもよしましょうや、と思います。
集団生活上の躾と、学習指導要領に定められた学力が形成出来れば、十分じゃありませんか。


それ以上のことは、自分でやりましょうや。それが親の責任です。

親が責任を果たしてないことを、教師に転嫁することは、許されません。ほんとに。


教師を、よりよい教師にするのも、保護者である皆さん自身の役割でもあるんです。
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2011.12.28 02:20

報道の通りなら、許して受け入れる社会を創るのも、大人の責務ですね。

「まじめに生きる」バイトで社会へ一歩 京都大入試不正事件の元予備校生
http://www.asahi.com/edu/center-exam/OSK201112270022.html
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2011.12.26 23:20

前半の記事の続きです~

◆教科書、および教師用指導書指導編はどうなっているか

東京書籍さんの教科書にはこのような記述があります。

===============
  5  ×  3  = 15
  ↑   ↑     ↑
1つ分の数 いくつ分 全部の数
===============

つまり、「1つ分の数が先、いくつ分が後」という「書き方」を指導(指定?)しているのは、教科書なんですね。恐らく、日本の教科書の多くは、この順番です。

ではこれが万国共通か?というと、そうではないようで…
交流のある小学校の先生から、「アメリカは確か逆のはず。だから4×100mリレーになっている。」との連絡を受けています。

だから、「○か×か」だけを議論するのであれば、日本式!?とは逆の記述があった場合、「等式が成り立っている以上○でいいんだ」という大人な見地からの!?意見だけではなく、「アメリカ風に表現したらそうなった」と説明してもOKなわけです(苦笑)。
しつこいようですが、(教育的には)「乗法の意味を理解して」話すのであれば。


また、教師は「教師用指導書」を元にして指導しているケースが多いです。
ここで、東京書籍さんの「教師用指導書指導編」にある記述を引用します。

===============
「5枚のお皿にりんごが2個ずつのっています。りんごは全部で何個でしょう」という問題で、誤って「5×2=10」と書く児童がいる。これは、問題の数字だけ見て答えた結果である。このようなことが起こらないように、おはじきを並べる活動を通して、場面を想像し、言葉で表現しながら、乗法の場面としてとらえたり、式の意味を確実に理解したりできるように指導したい。
===============

この記述だけ見ると…「6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性」に登場した先生の指導が、とりわけて変、というわけでもなさそうですよね…
先生は、この指導書をなぞっているだけですから。

しかし…
確かに、東京書籍さんのこの書き方も、「誤って」と表現するのは(個人的に)いかがかな…と思うところがありますが、「大人の教師向けの指導書」の中で「児童が乗法の意味を解釈しきれていない=誤って」と表現している、と捉えることもできなくはありません。
…と、書きながら、この解釈も無理があるかな、と思わなくもないのですが(苦笑)、ただ、教師と言う立場の人間であれば、「テストにおいて、5×2=10と書くこと」自体が「絶対的に」算数・数学の視点から誤りだ、と(この表現を)捉えてはいけないとと思いますし、絶対的に間違っている、と児童に理解されるような指摘・指導をしてもいけないんだと思います。

6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性」で取り上げられたシチュエーションにおいても、児童の「えーなんでー!」を引き出し、「なんでー」に対してしっかり説明し、乗法の意味を分からせる、という「材料」として“「テスト」で「ペケ」”という行為を行うのであれば、理解できる行為ともいえますよね(くどいようですが、良いか悪いかという主観的判断は除いています)。
まあ、その可能性は薄いかもしれませんが…(苦笑)

なんにせ、「(順番が逆なものを、説明もなく)単に×にする」だけは、ダメですよね。
学習指導要領の目指すところを目指していない上、数式としては正しいことを×にしているわけですから。


◆Z会の指導はどうしているか

Z会の小学生コース2年生向け
http://www.zkai.co.jp/el/course/index2.html
の教材には、保護者が学習の伴走者としても、温かく見つめられるように、各教科の教材について(保護者向けの)『サポートブック』がついています(大きな特長です!)。
こちらには、「乗法」が登場する場面で、次のような記述があります。

===============
今のような導入段階では、「2×3」は「2+2+2」、「3×4」は「3+3+3+3」の意味で統一しておくのがよいでしょう。

(中略)

 「1束に5本ずつ4束分」を表すのに、「4×5」としても、数学的な見地からいえば、誤りではありません。なぜなら、かけ算には、a×b=b×aという性質(交換法則)があるからです。内容を理解していれば、、a×bとb×aは本来どちらでもいいわけです。
 一方、かけ算の導入段階では、「1束に5本ずつ4束分」は「5×4」であって「4×5」ではない、と教えるのが一般的です。というのも、「a×b」を「1つ分の数×いくつ分」として定着させることが、かけ算の意味を理解するためには必要なことだからです。したがって、小学生コース2年生においても、かけ算に慣れるまでは、a×bとb×aの意味の違いを意識した指導を行っていきます。
 なお、国によっては、「a×b」を「1つ分の数量×いくつ分」ではなく「いくつ分×1つ分の数量」tとらえているところもあり、世界共通の絶対的なルールというのが存在するわけではありません。
===============

そして、実際の添削指導では、

・乗法の導入段階で(上記で言う)「5×4」を「4×5」と表記してあったら、「○」にした上で「乗法の意味を理解できていますか?“5×4”とすることが多いんだよ」などのコメントを入れる。
・3年生以降であれば順序の入れ替えはコメントもせず無問題とする


というスタンスです(Z会算数・数学担当より)。


指導法として、これが「絶対的な最適」かどうかは分かりませんが、少なくとも、「学校のテストである程度点数がとれ」「間違ったことは教えず」「本質的な意味を伝えよう」としているZ会が、最適としている「乗法」出現時の指導法は、上記のとおり、となるわけです。

こんなZ会の小学生コースの指導法が「いい!」と思ったら、是非資料請求を!
https://www.zkai.co.jp/secure/zkai/siryou/c1_1.asp?crs=el&cd=
…として、お約束の、Z会の宣伝でブログを終わりたいと思います(笑)
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2011.12.25 23:50


(PR)Z会の小2コース、九九対策バッチリです!(2013.11.14追記)
http://www.zkai.co.jp/el/course/index2.html

ここ数日、掛け算の順番問題がWeb上で大変に盛り上がっていますね。
キッカケは下記のブログだと思います。

「6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性」
http://blogs.itmedia.co.jp/magic/2011/12/6886-2d5b.html

この記事にいろいろ書かれたコメント、および、

「「掛け算には順序がある」・・・なんて、ご冗談でしょう?(1)」
http://blogs.bizmakoto.jp/kaimai_mizuhiro/entry/3987.html

の記事の内容、さらには記事中で紹介されたサイトで、専門的な視点からも含め、いろいろな考察・見方が十分にできますので、ここで深く掘り下げて述べることは致しません。
僕の方は、Z会に勤務している、という職業柄、指導要領や学校の教科書、そして、弊社の小学生コース
http://www.zkai.co.jp/el/
はどのように(添削にて)扱っているか、について述べられることがあると思いますので、その視点から書いてみたいと思います。
ほとんど「(余り、皆さんの知らない)事実を伝える」に過ぎない記事になるかもしれませんが、何卒ご容赦ください。


…と、その前に、ハッキリさせておきたい部分があります。

◎ 小学2年生の「初めてかけ算を習う」段階では、「かけ算の意味」を理解し、それを使いこなせるようになることが目的であること。
◎ その目的を達成するための「手段」「手法」には、子どもたちの理解の仕方が十人十色である以上、「絶対的な正解」はないこと。
◎ 「手段」「手法」は、子どもたちに実際に「教える」行為をする人が、その人と子どもたちとの関係性を考慮したうえで、教育的配慮に基づき決定するのがベストであるということ。


これらを前提にして、以下をご覧いただければ幸いです。


◆学習指導要領はどうなっているか

学習指導要領において、「乗法」のところには、次のような表現が出てきます(文章が続いているわけではなく、僕がいくつかピックアップしています)。

===============
・一つ分の大きさを知ってその幾つ分か,または何倍かの大きさを求める計算として意味付けをしたり,同数累加(加法の繰り返し)によって,その結果を求めたりする。

・「乗法が用いられる場合とその意味」
乗法は、一つ分の大きさが決まっているときに、その幾つ分かに当たる大きさを求める場合に用いられる。つまり、同じ数を何回も加える加法、すなわち累加の簡潔な表現として乗法による表現が用いられることになる。

・乗法に関して乗数が1増えれば積は被乗数分だけ増えるという性質や、乗法についての交換法則について児童が自ら調べるように指導する。
===============

これらが身につき、できるようになることが目標であって、教える側は「そのためにどうするか」を考えなければいけません。

では、「6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性」にて取り上げられた問題を見てみましょう。

「8人にペンをあげます。1人に6本ずつあげるには、ぜんぶで何本いるでしょうか。」

「6本」というまとまり(=指導要領でいうところの「一つ分の大きさ」)が8人分(=同「その幾つ分」)あるので、6+6+6+6+6+6+6+6=48と書いて計算するよりも、6×8=48、って書いた方が早いしラクだよね、と理解し、その上で、「6×8は48!」とぱっ!とでてくるようになることが、乗法の学習における標準的到達点であり、さらに「乗数が1増えれば積は被乗数分だけ増える」ことや「乗法についての交換法則」について児童自身が調べ、理解を深めるところが応用といったところですね。

ですから…少し誤解を招いてしまうと申し訳ないのですが、それでもあえて申し上げるなら…

6×8=48 を 8×6=48 と書いて○にするか×にするか、は、「指導法」の問題と捉え(ることもでき)、上記のことを「理解していない」と感じれば×とする「指導法」は、理解の一助とみなすのであれば「存在することもある」

わけです(それが良いか悪いかは別にして)。
「あー8と6があって、「かけ算」のところだから単純に8×6=48とかけばきっとあっているだろうなー」と(児童に、テストで)「やられて」しまっては(学習指導要領で身につけさせる力として期待されていることを、テストでできているかどうかを見る、という見地からは)マズイ、というわけで。


しかし、ここで1つ問題が生じます。
「6×8=48 に 交換法則を適用して(=学習指導要領にも書かれていることなので)8×6=48 となることも分かっていて書いているかも」とか、そんな小難しいことではなくて(苦笑)…
児童が「6本というまとまりが8人分ある」と理解していることを「表現する」形として、8×6=48としていることを否定できないからです。
学習指導要領でも、「一つ分の大きさ」について、先に書けとも後に書けとも誘導していませんからね。


では、先生が順番を強要しているのでしょうか…?


後半に続く~
 

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2011.12.24 19:00

前半の続きです~

さて、今の若者を取り巻く現状は

・(残念ながら)ロールモデルになるような、芯が強く、どっしりと生きている大人は少なくなってきている(と感じる)。
・外部環境は複雑になり、生き方も多様化しているため、選択・決断が必要な機会はどんどん増えてきている。

と見受けられます。
なのに…自分で選択・決断することが苦手で、ロールモデル求め、探し、誰かの生き方をなぞろうとする若者のシェアも上昇しているような感を受けます。
感覚的なものにすぎませんが、「誰かがそう言ったから」「誰かがそうしているから」のような、ある意味効率的、ある意味他責な生き方をする、若者総体としての雰囲気を感じるのです。

大学受験生なんか見ていると顕著です。
「難関大学に合格した先輩の1週間のスケジュール例」というテーマでの記事は人気絶大。
そして、その先輩の部活状況や、予備校の通い方の状況が少しでも自分と違うと、「毎日部活があって、予備校には夏まで通わず、そして学校の宿題がすごくあるような先輩の例を載せてほしい」と、どこまでも自分カスタマイズを希望するんですよね。
「あるといいなー」くらいの希望であれば、あるにこしたことはないと思うのですが、「自分と少しでも違うと“参考にならない”と感じる」雰囲気を強く感じます。

多分、これでは、より生きにくくなると思うんですよね。未来が多様化していますから。


ぴったり、自分の(潜在意識の中での)理想とあてはまる「ロールモデル」ばかり求めていると、「ヒント」を得る能力も落ちると思うんです。
酒井さんは、「ロールモデル」が存在しなかった、とおっしゃっていますが、“父親のようにはなりたくない”という気持ちをもっていた、ということは、父親以外の生き方を少しでも持ち合わせている存在そのものを探し、見つけ、そこから「ヒント」を得るアンテナは立っていたのではないでしょうか。


「ロールモデル」ではなく、生き方の「ヒント」を、交わった人から見つけ、いろいろな「ヒント」を自分で消化し、最終的に自ら選択・決断していく。
これを若い人には薦めたいと思います。


◆自らがロールモデルを目指す人生の方が、間違いなく幸せだ!

酒井さんはこう述べています。

===============
私にとって40代のロールモデルは存在しない。だから、私が自分で作ろう、と思う。私が、パイオニアだ。道なき道を切り開きながら進む。それをすべてインターネットに記録として残して行く。あとに続く人たちは、私の生き方で参考になる部分があれば、大いに真似すればいい。そうやってこの世界は少しだけ変わり、少しだけ多様にそして豊かになっていくのだろう。
===============

自らがロールモデルを目指す、その方が、自らに降りかかるすべてのものを「ジブンゴト」と捉え、得られた幸福を存分に味わうことができると思います。

また、「ロールモデルがない40代」は、特別な存在ではないと思うのです。
僕の両親は中卒・自営業。地域的にも自営業が多い場所で育っています。
そんな僕は、大卒、そしてサラリーマン。
15歳から22歳まで、全く身近にロールモデルがありませんでした。

ロールモデルは存在しない、だから自らつくろう。
そういう生き方の方が幸せだと言うことは、身を持って体験しています。
そして、サラリーマンとなった今は、「サラリーマンでもすごく幸せに生きている人間」というロールモデルを目指し、その生き方をブログで書き、少しでも多くの人に届けたい、と思いながら行動していること、本ブログの読者の方であればお分かりではないでしょうか。


誰かの生き方をなぞろうとしている若者が増えている感がある、と書きましたが、一方で、なぞろうとしない若者ももちろんいます。
このような若者たちは、起業を選択、雇用を創っていこうと、僕よりはるかに高い、志を持っている方が少なくありません。
…そして、間違いなく、幸せに包まれたオーラを、周りに出しています。


本ブログを書きながら、ちょっとfacebookにこんな投稿を。
===============
クリスマス。フェイスブックのニュースフィードを見ていると、日本の将来にみじんも悲壮感を感じない。幸せを創るのは自分たち自身なんだというオーラが溢れている仲間たち。大人社会全体がこうなれば、子どもたちも必ず、ついてくる。そして未来は明るくなる。
===============
たくさんのいいね!を頂戴しました。

素敵なクリスマス、そして新年を!
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2011.12.23 18:00

株式会社ソフトカルチャー社長、 酒井英禎さんのブログの内容を、技術評論社の友人が紹介してくれました。
なかなか面白い内容で、下記のようなタイトルのものが。

「新しい40代」
http://elm200.tumblr.com/post/14704490322/40

ロールモデルは自分でつくんなきゃね、ということに尽きるのだと思いますし、極めて同意です。

このブログを題材にして、いくつか「ロールモデル」について。


◆大人は誰しも、子どもたちの「ロールモデル」となったり、「生き方の例」を与える可能性があることを強く意識せよ!

ブログにはこうあります。

===============
多くの人たちにとって、第一のロールモデルは自分の親だろう。私の父親はごく平凡なサラリーマンだった。働き者だったが、生活は単調そのもの。一日の激務にクタクタになって帰宅するとテレビをつけて漫然と眺めるだけの日々。サラリーマンというライフスタイルに憎悪を募らせるきっかけになったのは父のそんな生活を見たからだった。
===============

上記のとおり、親の生き方はそのまま子どもに影響します。
僕もご多分に漏れず、父に影響されています。

親と言う立場ではない人も、ほんのちょっと、子どもたちと、道ですれ違った言動に、子ども達は左右されています。
横断歩道でお年寄りの手を引いている大人と、お年寄りのにこやかな顔を見ると、「ああ、いいなあ、あんな大人になりたいなあ」と思うものですし、たばこのポイ捨てを近くにされると、「ああいう大人にはなりたくない」と思うもの。
だから、誰だって、ちょっとしたモデルになっているんです。

社会において大切なのは、「輝いている大人」が「残念な大人」をはるかに上回っていることなんだと思います。
すると、どこかで、「輝いている大人」の「飛びぬけて輝いた姿勢」に、子どもは必ず出会う機会ができて、「残念な大人」を見た時、「ああはなりたくない」と思うわけですから。
人は本質的に、幸せを希求しているはずですから、そうなれる、という具体化が心の中で行われた瞬間、なれる方向に向かってしっかり努力できると思うのです。

だから僕自身、辛いことがあっても、自身に内包し、子ども世代には「素敵な大人」であり続けたい。
作り笑いをする、というのではなく、困難なときには、逃げず、甘えず、闘っている自分でいたいということ。
そして、自分を通じて、「素敵な大人」に出会える機会を社会に生みだしたいので、自分の周りを「素敵な大人」だらけにし、信頼できる人どうして手をつなぎ、社会全体に影響させていきたい、と思うのです。

「残念な大人」は社会において、イレギュラー中のイレギュラーなんだよ、と、子どもたちに分かってもらうために。


◆若者は、ロールモデルがなくても、選択・決断できるような意思をもとう!

疲れて帰ってくる父親を見て、酒井氏はこう思ったことをブログに書いています。

===============
私は父のようにはなりたくない。だから、私にはロールモデルが存在しない。40代をこれからどう生きるべきか指針は外部には存在しない。スティーブ・ジョブズがかつて言ったように、「自分の内なる心の声に従って生きる」しかないのだ。
===============

「父のようにはなりたくない」と思った、ということは、きっと「父のようにはならなくていい」ような生き方のヒントをくれた人間に、子どもの時にどこかで出会っているからなんだと思います。

つまり…
戦前を生きた女性たちはきっと、「女性は家庭を守るもの」がデフォルトで、たとえ「家庭で辛そうにしている母親」を見ても、女の子が「そうはなりたくない」と思う機会がほとんどなかったのでは?と思うわけです。
周りの女性がみんな、そうしているわけですから。

だからきっと、著者には「ロールモデル」が存在しなかったんだとは思うものの、「ヒント」は身近に存在したのでしょう(本人自身は気づいていない場合もありますが)。

後半に続く~
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2011.12.22 23:20

今日、知人から、会ってほしい(相談にのってやってほしい)方がいる、と紹介された方とお会いしました。
事前に話したい内容を頂戴していたのですが、これまでにもいろいろ相談を受けてきた内容と、そんなに性質は変わらないものでした。

僕自身、ブログやツイッターなどで結構情報発信している人間ですから、直接相談事を何かの手段で持ち込んできたり、教育について相談したいので会いたいと言われたりすること、結構多いです。
今回は、お世話になっている知人の紹介だったのでお会いしたのですが、申し訳ないんですが、仕事に無関係のことであれば、自分の中で「身内」という意識にならない限り、断ることがほとんどです。

この行為だけ見ると、教育業界にいる人間なのに、冷たい…と思われるかもしれませんし、そう思われたってしょうがない、と諦めています。「行為が冷たい」のは事実なので。
しかし、教育業界の人間だからこそ、自分とは縁の遠い人間への時間は費やせません。

一番相談にのってあげなければいけないのは、会社を通じた仕事を通し、触れた顧客に対して、ですから。
一番考えていなければいけないのは、顧客である子どもたち、若い人、保護者の皆さんの手助けですから。


今回のようなケースの場合、仕事にはできませんので、自分のプライベートの時間を使うことになります。
ですから、昼食の時間にあわせて、などをして、その時間の中でお話しを聞くことにします。
もちろん、プライベートなので、自分を苦しめるほどの犠牲心の領域になることはしません(とでもいいますか)。

それが、総体として見た時、最も公平な態度だと思うんですよね。


また、一般に、相談者の立場の人は、実は「具体的な解決策を得る」よりも「不安を解消する」ことが圧倒的に大きなウェイトを占めている場合が多いんです。
しかし、不安を解消することは、そのときの気持ちを楽にし、スモールステップを踏み出させることにつなげられますが、本質的な問題解決につながらないことも往々にしてあります。

仕事で相談に載るときは、ケースバイケースで使い分けますが、プライベートで臨む時には、ばしっと自分の考えを伝えることにしています。
ばしっと伝えた考えは、ときには、不安を増幅させたり、「明確な解決策なんてない」と知りショックを受ける場合があります。
でもそれが、今回のようなケースのときに使う時間として使うときの態度だと思うんです。
事実に蓋をすることは、プライベートの時間ですることじゃないと思っていますので。

表面的には相当冷たいですよね、自分って(苦笑)。
でも、限られた時間を、一番効果的に、そして公平に使うのが、こういうやり方なんです。

そして…
ブログやツイッターなどをマメに書いているのは、少しでも「同時に」「多くの」人の助けになれば、という願いから、でもあるんです。
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2011.12.21 12:30

平均すると1日1時間以上はブログに費やしているのではないかな…と思える自分。
金銭的な見返りは全くありません。

じゃあ何がメリット?

インプットとアウトプットの訓練ですね。

ネタ探しでインプットしなきゃ、と思えるようになる。
第三者に見られることを意識するので、表現力が身につく。
※これ、Z会の添削学習の効果と同じです。とくに小学生のうちは、第三者に見てもらうこと、知識の習得以外の面で大切な側面です。そこを意識してZ会の小学生コース全体を組み立てています。


とくに、文字を通して「教える」立場に立つ人間として…
相手に短く、本質を突く言葉で伝える技術は、ほんとうに大事です。
背景にあるのは「伝わる」ことを意識する姿勢。


皆さんに見ていただいているから、僕の教育業界社員としての能力もどんどんあがります(笑
ほんとにありがとうございます!

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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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