昨日のブログに引き続き
『
格差の壁をぶっ壊す!』(堀江貴文/宝島社新書)
より。
地域間格差「広がってしまった都市と地方の経済格差を埋めなければいけない」という、地域間格差是正論が後を絶たない。私から言わせれば、「埋める」という発想自体、まったくのナンセンスである。なぜ、地方と都市が同じでなければならないのだろうか。同感です。
人は、「恵まれているもの」が人工的に作られたもの「作れるもの」であれば、同じものを求めがちです。
地方の人たちが東京を見て「求める」もののなかに、こういうケースは沢山ありますが、地方は地方で恵まれているところも沢山あることを無視して、この求めだけを声高に叫ぶのは、本当に違和感を覚えます。
地方には何物にも変えられない、キレイな空気とおいしい水、のんびりとした環境があります。
東京の人がそれを求めないのは、得られないとわかっているから。
逆に、その環境を享受し、住み慣れた土地の方が良い!という一種のワガママを押し通しながら、「不便を税金で便利に!」という主張は、余りにも勝手だと感じます。
日本は他国に比べ、多くのことが「選択」できるのです。地方に住んでいるのも一つの「選択」。そして、その選択をするのは、ほかならぬ自分自身。
東京が羨ましければ、東京に出るすべを考える、というのが自然でしょう。
「貧しい地域を保護し過ぎるな」「東京と同じ暮らしをしなければいけないというのはワガママだ」。そういうと、地方の人の一部からは文句が出てきそうだ。しかし、それはお門違いというものである。なぜなら、日本には移動の自由が保障されており、その気になれば誰でも東京へ移住できるからである。(中略)日本人の多くは、世界レベルで見ればこのような移動の自由がないことの方が普通だと言うことを知らない。たとえば中国の農村に住む人々は、原則として戸籍のある場所にしか住めない。世界の常識から考えれば日本は恵まれた環境にあるのだ。「移動したくない、全国一律にしろ」などと言うのは、日本人だから不便したくないと言う傲慢な考えだと私の目には映る。福祉格差迫りくる負担増の未来をどのように回避すればよいのだろうか。答えは簡単。福祉に金がかからないようにすればよいのだ。健康であること、そして、老いても稼げる腕を持っておくこと。
これで福祉に金がかからないようにできる、と堀江氏は説きます。
仰る通りだと思います。僕は健康への配慮が弱くて情けないですけど。。。
稼げる腕を持っておく、自分をブランディングしておく、などは、バブルも経験しておらず、受験や就職、競争に常に晒されてきた団塊Jr.世代に、同じように考えている人も決して少なくないと思います。
3章 オトコとオンナにまつわる格差
男女格差、恋愛格差、結婚格差、見た目格差などが述べられています。(少し異質な章なので、書評からは省略します)
4章格差を生む心理印象格差ヒールにされるケースに共通しているのは、原理主義的な嫌悪感を抱かせるようなエピソードがことさらに煽られているということだ。
「こういうことをしたら嫌われる」と多くの人が思っている行動をすれば、嫌われ、ヒールになります。
もちろん、直接的な被害を多くに与えている人は、嫌われても当然ですが、「こういうことをしたら嫌われる」ものの中には、(それをしたことで)そこまで嫌わなくてもいいじゃん、という行為も少なからずあるのが現実です。
堀江氏の学生時代のアルバイトのエピソードで、こんなことがあります(彼のバイト仲間に僕の友人が多かったのです)。
ある日、2泊3日で、とある調査のアルバイトがありました。アルバイト仲間で空いていたのは堀江氏のみ。
雇用主からは「行ってほしい」と懇願されました。しかし彼は拒否。理由は「その地にうまい酒がないから」。
これは嫌われるでしょうが(苦笑)、ヒール、ではないですよね。自分の主張を通しただけで。
堀江氏の行動にはこのようなものが多いと思います。だからどんな行動も、脊髄反射的に嫌う人が出てくるのでしょう。
格差思想格差問題がここまで大きなテーマとして、今なお論じ続けられているということには、理由がある。それは、主として格差の下にいる人間が、「格差は絶対悪だ」と思いこんでいるからである。そして彼らは、病的なまでに「格差は是正しなければいけない」という強迫観念に駆り立てられている。その原動力となっているのは、格差の上にいる人間に対するねたみ、ひがみである場合がほとんどである。序章でも語られていることであり、全く同感です。
格差は相対的なもの(中略)だから、格差の上にいるから安心であり、格差の下にいるから不安だなどと言うのは、まったくのウソである。どこまでいっても不安ばかりであり、本質的に安らぐということはありえないのだ。
安心を求める人が一番欲しがるのは、安定だ。格差の上に行ったところで、安定はない―
格差の下から上を「ねたみ・ひがみ」だけで見ている人は、これを強く心するべきだと思います。
そして、「ねたみ・ひがみ」からは何ら生産されるものがありませんので、そのパワーを「生産」に向けた方が、安定した状態に少しでも近づくのでは?なんて思ってしまいます。
もし、格差の不安からどうしても抜けだしたいのであれば、無理に格差を是正するのではなく、開き直ってしまった方が手っ取り早い。「格差は存在する。そしてそれは自然なことである。」
そう思った方が心安らかになれます。
また、「心安らかではあるけれど、少し上を目指したいな」と思えば、そのための努力をすればいいだけですよね。
格差をねたんだり、ひがんだりしているうちは、えてして努力もしていませんので、格差不安から抜けだすことはできません。
「足るを知る」これだけで、格差の壁はぶっ壊れると思います。