今日ツイッターでいろいろツイートを見ていたら、ある人が、国が行おうとしている教育の方向性を思いっきり批判していました。
「今必要なのは教育改革」
「イノベーションが大事」
云々は述べるものの、何の具体案もなく、第三者から「それじゃあなたはどうするのがいいと思いますか?」と突っ込まれていました(苦笑)
僕も同じ思いで眺めていました。
たとえば、子ども手当てもそう。
批判するにしても、「ほかにもっとやることがあるはずだ」と言ってオシマイにするのではなく、表現した以上は代替案を提示するのが「批判したもの」の責任だと思います。
少なくともそういう姿勢を持って「強い言葉」を発しないと、言葉に重みがありませんから。
さらに、願わくは、「それよりも保育園の確保が急務でしょ」というような、マスメディアで散々言われている話をそのままもってきて批判口調で述べるのもイマイチ。
#もちろん「メディアの意見を見なくても、最初からそう思っていた」という確信がある場合は別です。
たとえばフローレンス代表の駒崎さんは、保育園を整備しても変わらない、熱が37.5度あると預かってもらえないわけだから、それよりも病児保育など、本当に足りていないところに目を向けて欲しい、的なことをどこかで書かれていたと思います。
(これは小さな娘がいる僕も、ほんとうに共感できる意見です)
批判する場合は、自分の今まで学習してきた知識をフル動員して、代替案を述べる、というのが、発言者の責任だと思います。
それが稚拙でもいいので。
逆に、専門家…たとえば文科省の役人が代替案を提示した素人に「勉強不足ですよあなた」のような態度を見せるのも、また違います。
優しく「その案の場合、こういうデメリットもありまして」と提示するのが筋というものでしょう。
結局
「その発言によって物事がよくなる方向に」
って視点が大切なんですよね。
そうすれば自ずと、代替案を考えなきゃ、という自分になれるはずですから。
2010.04.30 23:41
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