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2010.03.22 17:55

土曜は来客もあり、家族の時間もあり、でしたが、昨日はブログ(今日の前のエントリ見てくださいね)、持ち帰り仕事、秘密の仕事(笑)でビジネスモード、今日は出社後、大阪出張!

ということで今京都過ぎました。携帯からの投稿でした!
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2010.03.22 00:13

「べき論」は虎の威を借る狐(前)
「べき論」は虎の威を借る狐(後)

というブログを書いたので

“「べき論」について書かれている方、他にもいないかなー”

とGGLで検索。
僕のタイトルも「べき論」という言葉が立っているので、検索にひっかかるかな…と思っていたら、裏切られ(苦笑)、書かれている方たくさんいました。

しかも「べき論」について、相当否定的ですね、皆さん。
ご紹介しておきます。

Google1位:「べき論を避けよ」

===(引用開始)===
芝居の稽古中に「べき」になることは避けるべきだと思う。
意味分かんないですね。つまりは、役者なんだから「~するべきだ」みたいな論調のこと。ぼくも使ってきたし、よく聞く言い方だと思う。役者なんだから腹筋は普段から鍛えておく「べき」だとか、照明なんだから演出には口を出す「べき」ではないとか、この仕事は衣装がやる「べき」だとか、なんか違和感を感じる、最近。

 実際どうですか?役者だからって風呂上がりに腹筋を鍛えたりしてますか?柔軟体操してますか?もしやってたら申し訳ないんだけど、まあ大概は、たまあにやるぐらいで毎日の日課にしていたりする人は少ないんじゃないかと思うんですね。
===(引用終了)===

「べき論」を他人に向かって「強い口調で」言う人ほど、実践が伴っていない、という感覚は、僕も近いものがあります。
「べき論」は虎の威を借る狐(後)で指摘したように、その「べき論」を「自分を奮い立たす意味で使う」のであれば、実践は伴うものなんですけどね。


Google2位:「べき論」

===(以下引用)===
ダメダメ家庭は会話不全の家庭。だからその物言いも相手から会話を引き出すものではなく、自分の考えなり意見なりを、一方的に押し付けるスタイルなんですね。
その例として、以前に「くだらない」という言葉を取り上げました。
会話の意欲がないダメダメな親は、子供が何を言っても、「くだらない!」と一刀両断。

そんな物言いをされてしまったら、子供しても、親に対して何も言う気がなくなるでしょ?あるいは、親に気に入られようと、常に親の意向に沿ったことしか言わない人間になっちゃうでしょ?
まあ、ダメダメ家庭一直線ですよ。

今回は、その「くだらない」という言葉ではなく、「べき」という言葉を取り上げましょう。
ダメダメ家庭を作る人間は、その物言いが、やたら「こうすべき」「ああすべき」と、べき論なんですね。

そんな「べき」で言われちゃったら、どのように会話が進展するの?
私程度に頭が回る人間なら、ニヤニヤ笑って、ジワジワとひっくり返すこともできますが、そんな人間は実にレアケース。一般的には、そんな「べき」で言われちゃったら、会話が発展しないでしょ?

大人同士でも、そうなんだから、大人と子供の間柄だったら、どうやって会話するの?
大人の側が「こうすべき!!」
子供としては「ははっ!仰せのとおりにいたします!!」って、こんな感じにならざるを得ませんよね?

そんな会話しかしてないのだから、子供が問題を抱えていても、それが顕在化するわけがないでしょ?
だってスグに「べき」なんて言い出す人に対して相談のしようがないじゃないの?
(中略)
自分の意見なり考えを相手に伝えたい場合は、「べき論」などを使うのは下等なんですね。
===(引用終了)===

これも「べき論」は虎の威を借る狐(後)で指摘した、「べき論者の会話の遮断」ですね。

本当に「べき論」を実現したいのであれば、「べき論」を言っちゃいけないんですよね。
僕も「べき論」は言いませんが、言い方がイヤミになることがありますので(苦笑)、気をつけないと。

Google3位:「“あるべき論”がもたらす不幸」

===(以下引用)===
社会というのは長く続く中でそれぞれ固有の“前提”を作り上げる。“規範”と呼んでもいい。「こうあるべきだ」「こうなのだ」という社会共通のルール、思想、考え方、みたいなものをどの国も有している。そしてそれらの規範を前提にして、社会の諸制度は設計される。

しかし、実際には社会にはいろんな人がいる。多数派が作り上げた前提に合致しない少数派の人にとって、それらに基づいて作られた社会制度の中で暮らすのは楽なことではない。

また、時代に応じてもともとは少数派だった人が多数派になることもある。基本的には経済的に豊かになればなるほど、人の志向、選好は多様になり、少数派の合計割合はどんどん大きくなるわけで、つまり「社会が前提とすべき考え方」は本来は少しずつ、しかし、確実に変化していく。

ところが「社会のあるべき論」やそれに基づいて設計された「社会制度」が変わるスピードは、現実が変わるスピードより圧倒的に遅い。「社会のあるべき論」は長い間に一種の「道徳化」を起こして簡単には変えられなくなっているし、時には宗教と密接に結びついたりもしているからだ。また制度設計者達は既存制度に基づいて選任されているわけだから、彼らには常に「古い側」の人達が多くなる。

かくして、「昔の社会のあるべき論」に基づいて設計された制度が、その前提と合わない生活を始めた(既に少数派でさえない)多くの“現在を生きる人達”の生活に不便や苦痛を強いることになる。
===(引用終了)===

社会の中で「べき論」は変わりますよね。
同様に、「べき論」を発する当人が「べき」と思っていることが、向けられた人間にとって「べき論」じゃないこと、たくさん、たくさんあると思います。
なので「べき論」というのは、説得力がないんですよね…。


他にも、Google4位:「「べき論」と規制」では、べき論をそのまま規制に当てはめても、べき論で求めようとしたことが達成されないことが書かれています。

Google6位:「“あるべき論”ではビジネスを動かせない」Google7位:「べき論について考える」Google8位:「べき論の愚」などでも、「べき論」について批判的な態度が書かれています。


根本的に、「べき論」を語る人に、当事者意識がないことが原因ですね。
「虎の意を借る狐」なんで、ある意味当然かもしれません。


得られた示唆。
自分の意見を持ちたいのであれば、「べき論」をできるだけ語らないようにする、という形而から入るのもいいですね。

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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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