こんな事件がありました。
中1、校舎から飛び降り重傷=生活指導中に-京都
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date2&k=2009082100958(以下、記事全文)
21日午後1時半ごろ、京都府亀岡市の市立中学校から「校舎3階から生徒が飛び降りた」と119番があった。飛び降りたのは同校1年の男子生徒(13)で、頭蓋(ずがい)骨骨折などで重傷。生徒は教諭から生活指導を受けている最中だったという。
市教委によると、男子生徒は同日午前、補習授業に出席するため登校。その後午前11時50分ごろから、1階カウンセリングルームで男性教諭から生活指導を受けていた。午後0時35分ごろに教諭が部屋を離れたすきに部屋からいなくなり、3階の渡り廊下のコンクリート製の壁(高さ約1.1メートル)を乗り越え飛び降りた。
市内の府立高校の女子生徒がスカートをめくられる被害に遭い、同校と府警が中学に連絡。教諭が男子生徒に確認したところ、認めたため指導していたという。
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以前、カンニングを注意された生徒が、その後飛び降り自殺した、という記事を見て、悲しくなったのと同じ心境になりました。
記事が文章通り真実ならば…
少年は、衝動的に自殺という手段を選ぶことができるようになる年まで、恥ずかしい、情けない、という思いをしたことがなかったんだろうな、と感じます。
自分を振り返ってみると…「恥ずかしい」を教えてくれたのは、やっぱり地域社会かなぁ、という気がします。
何かやらかしたときに、叱られる。
何かやらかしたときに、相手にされなくなる。
そしてその後、ちょっと間をおいて、温かく人に相手をしてもらえるようになる。
こんな経験を数回すれば、心の耐性も上がり、かつ、生きていることの幸せを無意識に感じるようになるのではないでしょうか。
もちろん、家族の中で、恥ずかしい思いをして、そのときに「恥ずかしい(こういうことはやっちゃいけない)」ということを身にしみて覚え…という繰り返しも大切ですし、学校教育でもそうでしょう。
そんな中、家族というプライベートではなく、学校というパブリックでもなく、中間的な存在であった地域社会ってとっても大切なものなのかもしれません。
とはいえ地域社会の力は、もう日本の社会ではなかなか期待できるものではありません。
もちろん地域社会がしっかりできているに越したことはないですけど、「地域社会での浄化能力ありき」で物事を考えると多くの場合に適用できないですし、「昔はよかった」議論もやってはいけません。
代替案を考えなきゃ、ですね。
地域社会ではなく、「恥ずかしい」という思いを経験することがありつつ、かつその少し後に温かく迎え入れてくれる場…
自分の過去に照らし合わせると、「習い事」の場所がその1つだったと思います。
書道を習っていたんですが、筆でいたずらすると注意されました。
そろばんも習っており、隣の子にちょっかいかけては相手にされなくなったり。
そんな経験って大事だったんですよね、多分。
今では、多くの子どもが塾に通っています。
塾が「場」の役割を果たすことができるかもしれません。
そして、勉強だけが判断基準ではなく、「恥ずかしい」を体験させる方が、実際にはいい教育ができるかもしれません。
しかし、「お子さんの躾もしますよ」という宣伝文句では、塾に人気がでません。
なんだかんだで親御さんは、「学力」を「他の力」以上に伸ばして欲しいんですよ、何よりも(教育業界にいて肌で感じます、その本音を)。
学力をつける前に、しなければいけないこと、たくさんあります。
学力をつける前に、することをしていないと、後々不幸になります。その一つが「恥を知る。」ということなのかもしれません。