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2009.05.11 23:28

◆Z会情報

2009年、大学入試的中問題を掲載中です。
http://www.zkai.co.jp/z-style/eyez/090424.asp

===

的中問題を掲載中、の情報を紹介しながら、的中数なんて意味ないっ、って記事です(苦笑)。


Z会に入社した頃は数学の教材編集を担当していました。
なので、2月末、入試のシーズンになると、三大予備校(駿台、河合塾、代ゼミ)を中心に

「問題的中!」

などという記事は、やはり気になるものでした。


しかし、Z会の数学担当の思想性としては、的中問題を、半ばあら探しのように探すことはしない、というのがありました。
理由は、「数学が分からない人」にパッと見で「あ、的中してる!」と思われるような的中問題は、表面的な形(出題形式や記号の類似性など)だけが一致しており、本質は全然違う場合が多いからなんです(もちろん同じものもありますが)。
そして、「あら探し」競争で発見される的中問題は、いずれ本質からずれてきて、これから受験を目指す皆さんにとって誤解を与えるものになりかねないから。

逆に、表面的な形式が全然違っても、本質は同じ、という問題もた~~~~くさんあります。


的中問題を紹介することは、

・自社の教育サービスを選んでいただくための一つの材料として
・自社の教育サービスの利用者に「あ、やっぱりやっていてよかったな」という安心感を抱いてもらうため

という、教育サービス提供者にとって(そして時にはサービス利用者にとって)都合が良いからにすぎませんよね。
商売ですから、的中問題を紹介することそのものは、問題のない行為です。

ただ、本質からずれ、的中問題を紹介することばかりに焦点をあてるのは、教育サービス提供者にとってお客様を欺く行為になります。

そして、厄介なことに、「本質的には的中だけれども見かけが全然違う」問題の場合、「該当する教科が余り出来なく」て「的中問題を紹介されると“この教育サービスをやってみようかな”」という気持ちになりがちな方には紹介しにくく、「表面だけ同じで本質的には全く違う」問題の場合、教科ができない人ほど受け入れやすい、という側面を持ちます(わかりますよね)。

ですから、何よりも「金を稼ぐ」こと優先の教育サービス提供者は、しゃかりきに的中問題の「数」を競います。
…が、それは意味のない行為だと、ここまで読んでいただければお分かりになると思います。



「高校コースお知らせ」でも書かれているように、Z会は奥ゆかしいから(苦笑)余りアピールしていないんです。

そして、「ただいま添削中。3」で、とてもキレイな論が紹介されています。


受験生の皆さんには、「的中だと気づく」人間になってほしいですし、そのためにZ会も、一生懸命皆さんを育てていこうと思っています。
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2009.05.10 14:02

◆Z会情報

個性のある文章で評判のスタッフ「マルコ」
http://www.zkaiblog.com/hiinfo/archive/80

===

J-CASTニュースの記事として紹介され、Yahoo!などにもリンクがはられたため、結構話題になった記事があります。

「数学不要にした私立大の入試 これが日本の教育歪める最大原因」
http://www.j-cast.com/2009/05/09040726.html

激しく共感します。


僕の今までの経歴や立場では…


・元々数学担当だったため、「数学に思い入れがあるからそんなこというんでしょ」といわれたり

・大学側ともいろいろお付き合いがあり、大学側が人集めに大変苦労しているため、心情的になかなかいえなかったり(「安易に」数学不要にしている学部学科もありますが、必死の思いで大学価値向上の戦略を考えた結果として数学不要と結論した学部学科もあるんですよね…)。

・Z会での数学の成績がものすごく悪くても司法試験や国家一種試験に通ったZ会OB・OGの実例を存じ上げていたり


などが絡んでいて、自らの口から言いにくいことなんですが…

全体的に俯瞰すると、「数学不要」とする大学が増えることが、該当世代の学力低下に拍車をかけたり、高等教育(大学での教育)に支障を与えている

と感じます。


数学の公式を覚えることそのものが大事なのではなく、覚える過程で身につく思考力・発想力・論理力を捨て去ると、既存の「法」から実例に下ろしロジカルに考える力や、経営の戦略設計、教育における相手の心理描写の理解、商学におけるマーケティングセンス…など、いわゆる「文系学部学科」に進学しても必要な能力が欠けると感じます。

「大学に入ってから(上記のことを)学べばいいじゃん」なんて思っている方もいらっしゃるでしょうが…実際それは甘いんです。
大学教授からすると、上記のことは「基礎として身についている」という思いで授業に入りたいわけですから。
#大学の教授は手取り足取り教えませんからね。あくまで「学ぶためのヒント」を与えてくれるだけで。


一方、

「そこまで数学の勉強したくないもん。数学の勉強をするより、入りたい大学・学部・学科の「ハク」がほしいから、数学不要学科で就職のいいところあればいいじゃん」

と考える方もいらっしゃるかもしれません。
将来的にも(こんなコムズカシイ公式を覚えなければいけない)数学なんて必要ないよーという気持ちもあるでしょうね、きっと。


ただ、これも甘い考え。いまやどんな企業も、「人が大事」とよくわかっていますから、就職を希望する方の大学・学部・学科情報はよーく調べているんです。
#あくまでも一つの指標として。いわゆる「学歴優遇」とは別です。

「あ、この学部、数学不要で有名じゃん」

と思われた瞬間、「すでにその希望者に備わっている能力」としては1つのマイナスポイントとなります。
上述したことを繰り返しますと、「(数学の公式を)覚える過程で身につく思考力・発想力・論理力を捨て去る」ことをした、と判断されるわけですからね。


上記で紹介した記事でも述べられていますが、大学側は良い情報しか出しません。
たとえ

「えっ、でも、この学部学科からこの企業に行った人いるじゃん!」

という方が紹介されていても、「そういう人がいた」だけ、つまり、マイナスポイントをカバーするだけのプラスポイントがあった場合が大半です。


入試でラクしよう、学生時代に遊びほうけ、何のプラス材料もない、身についているのはそれなりに知名度のある大学・学部・学科のハクだけ。
…という人は、当然就職活動では厳しくなります。

むしろ「ハク」がある(と思っている)分、「ハク」がない分一生懸命就職活動を行った人より評価されないケースが、実際のところほとんどではないでしょうか。


とにかく数学から逃げ回り、数学のない受験を選ぶ―
一つの選択肢ですから、それも良いでしょう。

けれど“数学を勉強しなくてもよい”という短期的に得られた果実の反面、“数学ができない人と見られる”という長期的な損失を受け入れるだけの「覚悟」が、その選択をした人には必要です。


多分知らない人はほとんどいない、某タレントのAさん(さすがに名前は出せないので省略します/イニシャルもAではありません、念のため)。
Aさんの家庭教師を6年間務めた人間は、僕の大学時代の仲の良い後輩Kくんです。

Aさんは文系学部に進んでいますが、高校の方針で、理系科目もかなり勉強を強いられていたようです。
数学はなんと、ほとんどの学校で理系しか学ばない「数学III」まで履修したようです。


後輩Kはいいます。

「家庭教師始めた頃、Aさんは数学なんてぜんっぜんできなかったけど、しっかり勉強して数IIIもできるようになっていったからなー。タレント活動しながら、ホントに頑張っていると感じた。」

Aさんは今、「クレバー」と評判のタレント。
きっとタレント業と勉強を両方真剣にやってきた結果が果実となっているんでしょう。


そういうことなんですよね。
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2009.05.09 23:21

今日は余り時間がとれないので、1つだけニュースを紹介。

タイトルのようなニュースがありました。
http://moneyzine.jp/article/detail/149965

昨年度の出生数は「確定」しています。
そのため、20年後の20歳人口はほぼ推計できます。
ここから社会保障や国内労働のあり方をいろいろ考えることもできます。


今の経済状況のままずっとあり続けるために…
日本人1人1人が当事者意識をもって向かわないと、なかなか解決の糸口がつかめない深刻な問題ですね。
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2009.05.08 23:23

◆Z会情報

地元国公立大を目指す人必見!「主要大ブログ」
http://www.zkaiblog.com/shuyodai/

===

会員数約180万、月間ページビュー約8,000万のカフェスタ。
http://www.cafesta.com/top/index.do
残念ながらサービスを終了することになったようです。


カフェスタは昨年末、下記記事で大変話題になりました。

「サイト存続のため、アバター買って」 カフェスタが異例の呼び掛け
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0812/09/news072.html


僕もカフェスタに登録していますので、上記記事で紹介されているメールを直接受け取りました。
もちろん記事などになる前。
かなり衝撃を受けた文章が下記。


===(引用開始)===

今後もカフェスタを存続していく為にパスポート会員になっていただくか、
アバター等のお買い物をしていただけないでしょうか。

月に一度、コーヒー1杯や雑誌1冊ほどの金額を使っていただくことで
今後もカフェスタを存続・運営することができるようになります。

===(引用終了)===

このままだと赤字でサービスを終了しなければいけない、
存続希望者は支えてください、という望みとともに…

コーヒー1杯の金額でも良い、それくらいわかりやすく提示しているのに、
存続希望者が(必要数ほど)いなければ、サービスを停止する。


そんな潔さも感じられる文章でした。


世の中には様々なインターネットサービスがあり、無料で利用できるものが沢山あります。
しかし、多くの人が無料で使っているものは、必ずどこかでお金を払ってサービスを世の中に存続させてくれている人がいます。
インターネットサービスの場合、その多くが広告を出している広告主。

180万人のユーザーを抱え、8,000万ページビューを稼ぐサイトであっても、広告収入だけではやっていけない…
インターネット上で「無料」で利用できるサービスの跋扈に対する…いや、サービスそのものではなく、利用者が無料になるには、それを補う「何か」が必ず必要なんだ、という警告でもあります。今回の出来事は。


一方、収益性を目的としていないサイトがあります。
Z会ではSNSの「パルティオゼット」。Z会の会員が中心となって利用するサービスです(Z会に資料を請求された方なども利用できます)。
会社内では、イントラネット内のコミュニティがそうですね。
サイトで収益を上げるわけではなく、利用者に有効に活用してもらえれば良い、というコミュニティサイト。

しかしここに盲点があります。
「利益をあげなくてもよい」という甘えが発生する、という盲点が。


利益を出さなければいけない、というコミュニティの運営者は、利用者を増やし、高い広告収入を得たり、利用者に有料会員に昇華してもらったり…ということを真剣に、真剣に考えます。
その真剣さはサービスの向上になって跳ね返ります。


一方で、利益を出さなくても良い、というコミュニティ運営者。

利用者に気持ちよく使ってもらえればそれでいいんだ…
少ない人数でもその人たちに喜ばれればいいんだ…

社内で任されたから仕方なくやっている…
社内の人間しか使わないからこれくらいで十分だろう…

この考えには、カフェスタがメールまでだし、ユーザーに訴えた真剣さはありません。


ですから、たとえ収益性が求められないサイトであっても、「これはどれくらいの価値を生み出しているか?」「ユーザーはいくらだったら利用してくれるか?」という「値付け」の意識を常にもっておくべきだと思うんです。

そうすれば、ほんのわずかな利用者に「良いサイトだと思う!」と褒められることだけに踊らされることなく、サイトを真剣に見つめることができますから…
そして、もし、価値がほんのわずかしかない、と判断すれば、運営者は運営を止め、その時間を別の社会的価値を生み出せる活動に移すことが、善ともいえます。


本気の運営者は、捨てる勇気もあるんです。
収益性が最大のネックだったカフェスタですが、きっと運営者に捨てる勇気があったと思います。


自らもSNSを運営している会社の一員として、自戒を込めて。

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2009.05.07 10:14

◆Z会情報

Z会新人ブログ、2009年入社のフレッシュ社員が執筆中!
http://www.zkaiblog.com/sostaff/

===

毎日読んでいるメルマガ「ビジネス発想源」。
※毎日の発想のヒントになりますので、是非皆さんご登録を。

先日、下記のような内容のメルマガが配信されました。


===(引用開始)===

 本屋さんに行って、
 580円で女性ファッション雑誌を買ったとします。


 「こういうファッションかわいいなー」
 「来週給料日だから、これ買おうかなー」

 と、自分のファッションのために読むとしたら、
 「自分のファッションのための情報」に対して
 580円を支払ったことになります。


 アパレル関係の会社に勤めていて、
 その雑誌のファッション情報を切り抜いて、
 その流行情報を基に新しい商品の開発に活かすとしたら、
 「自社のマーケティングに活きる情報」に対して
 580円を支払ったことになります。


 広報部に所属していて、
 PR誌にオシャレなレイアウトを使いたいということで、
 そのファッション誌のレイアウトを参考にするとしたら、
 「自社のPR誌のレイアウトの参考資料」に対して
 580円を支払ったことになります。


 つまり、580円を支払って得られる情報源は、
 その人がその情報を得てどんな支出につながったとしても、
 その情報を得てどんな理由につながったとしても、
 580円というコストは変わらないわけです。

===(引用終了)===


見る情報は同じでも、どのように利用するかは見た人間によって変化することを、例を交えて大変キレイに表現されていますね。
※この辺の例の持ち出し方が、執筆者の弘中勝さんの、多くの読者をひきつけるネタのうまさですね。


僕はブログをほぼ毎日書いています。
3月まではニュースリリースを毎日配信!とばかり、様々な会社のネタを探していました。
過去のリリース↓
http://www.news2u.net/corporate_release.php?cid=CR20071011

そんな活動をしているもんですから…多くの方から

「よくネタ続くねー」
「どこで探すの?」

なんてこと、言われます。


答えます。

「森羅万象、花鳥風月、いっときだって同じことはありません。
すべてが変わっているのであれば、必ずそこには話題があるんです。
そしてまた、企業活動も毎日行われており、毎日「生産」を行っているのであれば、ネタがないことなんてまずありません」


と。
#こう答えることで自分自身が継続的に執筆できるよう、プレッシャーをかけている側面もありますけど。


ネタがない、というのは、ただ単に普段から周りの情報に対してアンテナを立てていない証拠だと思うんです。

アンテナの高さは、仕事中に「情報収集」のための時間をやたら使う人とそうじゃない人としてクッキリ差になってあらわれます。


アンテナの低い人は、仕事中に情報収集をします。
結果、労働生産性は低くなり、本人はそれでも「一生懸命仕事をしているつもり」になっちゃいます。

アンテナの高い人は、無意識に周りの情報を自分に取り入れていますので、仕事中に情報収集をすること、余りなく、生産性が高い労働をする傾向があります。


いわゆる「調べ物」をどれくらい会社で行っているか―
そこに、できる社員とそうじゃない社員との、一つの差が現れているような気がします。
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2009.05.06 23:11

◆Z会情報

主要大ブログには教科学習のヒントも満載!
http://www.zkaiblog.com/shuyodai/

===

テレビをつけたら、たまたま歌手の一青窈さんが歌っている番組でした。
そこで紹介されたのは、カンボジア。

カンボジアの子ども達の映像とともに、「彼らのために歌を作りたいと思った」と語る一青さんがいました。


カンボジア、3年前に行きました。
カンボジア最後の日、湖のほとりで見た子ども達。
一生懸命、Tシャツや民芸品を買ってよ、と迫ってくる子ども達。

いくつか買った後、湖を去るとき、買わなかったお店の子ども達も全員一緒になってバイバイしてくれました。
なんだか笑顔と心地よい涙が出ました。
生きて、そして楽しんでいる、って、こういうことなのかな、と思いました。

そのときのことがフと脳裏に浮かびました。


チャンネルを変えるとスポーツニュース。
巨人の松本哲也選手と山口鉄也選手が映像で映し出されていました。
2人とも元気でした。

この2人、育成選手からのスタート。
一軍の晴れの舞台に立つまで、正規のドラフト選手に比べ、年棒的には辛い境遇の中、人一倍努力してきたに違いありません。

カンボジアの例と少しレベルは違うかもしれませんが、ここにも生きる、楽しむ、ということが感じられました。


2つの例とも

・自らが“絶対に”達成したいことがある、ということ
・厳しい環境に身をおいていること
(自分が希望する・しない、の違いはありますが)

という共通点があり、そんな中から「達成」した瞬間には、笑顔となるのでしょう。

そして、達成は、日々の努力を怠ると続きません。
だから日々、厳しい環境に置かれたままです。

だけど、きっと、日本人の多く―少なくとも僕よりは、心から「生きること」を楽しんでいる何かがあるような気がしました。



今の生活を送る上で、そこまでハングリーにならなくてもそこそこの暮らしができる、というのは幸せなことです。
だけど、その幸せに感謝の気持ちをたくさん、たくさんもっていなければ、「生きる」中で「楽しむ」ことをフと忘れてしまいそうです。

楽しむ、というのも、刹那的な楽しさではなく、間違っても「ラク」という意味ではなく。


ある人がいっていました。
100年に1度の不況と騒いでいるが、戦争終結からまだ100年経っていない。
食うものにも困ったあの当時より、今の不況が苦しいことなんてあるかっ。
TVではグルメ番組が溢れているというのに―

ごもっともです。


無理にハングリーな状況に身を置かなくてもよいとは思いますが、ハングリーになったときに「生きる」「楽しむ」という2つのバランス感覚を無意識に持ち続ける能力は、人間としてとても大事ですね。


楽しんで生きようぜ!という簡単な言葉で表されるものでもなく、
「前向き」という言葉で一括りに表されるものではなく、

「生きる」「楽しむ」
「 」で括り、2つの意味に心の中で自然と向き合いながら過ごせる人に、幸せは舞い降りてくるのかもしれません。
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2009.05.05 09:36

今日は育児に手を焼いておりました(苦笑)

このコメントを書くのも6日になってしまいました。


書くネタたまっているんですけどね。
6日は書くぞー
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2009.05.04 17:13

◆Z会情報

TOEIC(R)テストZ会模試の耳より情報
http://www.news2u.net/NRR200948439.html

===

お世話になっている、コミュニケーション代表の竹林篤実さんが、「INSIGHT NOW!」にて過激なタイトルの記事を書かれています。

「年金は本当に破綻するんじゃないの」

出だしあたりにこんな文章があります。


<引用開始>

もっとも、完全に少子高齢化に突入した日本では今後、経済成長率が画期的に伸びるとは思えない。少なくとも国内マーケットは人口が減る以上、そう簡単にはふくらまないだろう。現実的にはマーケットも人口減に応じて縮むと考えるのが普通だ。ということは年金が破綻する確率は意外に高い可能性はあるはずだ。

<引用終了>


人口が減れば、よほど劇的な経済成長が起きない限り内需は減退する。アタリマエの話ですよね。


僕がZ会に入社すると決めたとき、ほんとに、ほんとに多くの人から

「今から少子化なのに大丈夫?」

と言われました。その返事。

「結局人口減で、国内でモノが売れなくなるのは同じなので、どこだって“今までのやり方”では辛くなるのはおんなじだよ」


ちょうど僕が就職した1997年頃、少子化については散々マスメディアの話題になっていたので、教育業界の行く末については「わかりやすかった」のでしょうけど、フツーに考えれば気づくであろう「内需減退」について、僕の周りで話題に出す人はほとんどいなかったといっても過言ではありません。
将来団塊Jr.が親世代になれば再び人口増に転ずると予想していた?…そんなわけないですよね、それだったらそもそも少子化の心配しませんもの。

今回、経済成長率がマイナスとなり、話題にされ始めた内需減。そして人口減の影響。
自分の入社する際の出来事を思い返しながら…

目先の、見えやすいことだけに目が行く。
自分が当事者になって初めて気づく。
気づいていたとしてもオオゴトになる前は無意識に目を逸らす。
人間の性分なのかな、なんて感じてしまいます。



もっとも、人口動態から将来のマーケットを予測し、先手先手をうつ「フツウに考えることができている企業」はすでに外需の拡大を狙っていたわけで。
結果、2004年~2007年頃の“緩やかな”“長期の”好景気(実態としては一部大企業のみの)につながったものと思われます。
そして、サブプライムローン発で外需が廃れた現在、日本も不況となった、だから外需が回復すればまた緩やかに日本経済も回復する…
なんてシナリオが「一般的な発想」なんだと思います。

しかし、上記の「一般的な発想」は、黙っていてもなしえません。

世界的に需要が回復しても、諸外国が日本に頼まなければ国内景気は回復しないわけですから。
そして、“今のまま”では、その可能性の方が高い。


僕はそう感じています。


なんでそう感じるか。話は単純です。
外需に応えるだけの供給をなしえる能力が日本にはどんどんなくなっている(と感じる)からです。

需要に応えるには、相手のことを慮る「想像力」と、想像力を形にする「創造力」が必要です。
教育に携わりながら、若い人の様子を中心に、若い人を教える立場の人の様子をつぶさにみたり、他業種に従事する方からの情報を得たりする中で感じるのは、「間違いなく」日本社会から「想像力」も「創造力」も失われつつある状況。
<補足>
“イマドキの若者は~”と嘆きながら「昔あって今失われた、昔の人が“よい”と考える(けれど今の若者はそうじゃなくてもよい)美徳・価値観・能力」の喪失を指摘しているわけでもなんでもなく、職業上目にする、英数国理社5教科での「同じ問題の出来不出来」の経年比較、昔じゃ「(該当学年では)ありえない」解答をはじめ、若者とのコミュニケーションはもちろん、社会で報道される事象、中年層の発想や若者への指導力…トータルで受ける「肌感覚」で“間違いなく」日本社会から「想像力」も「創造力」も失われつつある”と感じている、と捉えていただければ幸いです。


外需に応えるには、もちろんですが、諸外国との競争です。
しかし、国内に目を転じると、「雇用確保」を政府に要求する報道のあめあられ。
もちろんその要求をしちゃいけない、などとはいわないですが、雇用の前提としてある
「需要に応えるだけの能力を身につけておく」
ことが、多くの日本国民の共通認識としてあるとは、残念ながらとても思えません。

そんな意識で、成長を続ける中国、インドを始めとした諸外国との競争に、果たして勝てるのか?
そして、意識だけではなく能力も、少なくとも5教科能力で「学力」と定義したときの平均的学力は間違いなく落ちています。

これでも「外需減退は一時的」といえますか?
最近、総務省や経産省の方が講師を務める勉強会にいくつか出席させていただきました。
さすがにキャリアの皆さんですから、内需は今後厳しい、外需を生み出し、国際競争力を身につけることが大切、という方向性はあるようです。
しかし、その施策としての、外需を生み出す国内産業として、日本が現時点で諸外国より秀でている

・ケータイ
・(ITの)セキュリティ
・アニメ・漫画

などに重点投資すること(それもインフラや制度の整備、新技術を生み出す投資が中心)を考えたり、日本の高度成長を支えた(かつ、現在の産業規模としても大きなものとなっている)

・自動車
・家電

を支えるような(景気対策としての)予算配分(例:地デジへの投入費用が大きい)などが垣間見えたりするところが心配なのです。


すでに便利になっているものに、これ以上投資しても実需の喚起などたかが知れているのでは、というのがまず疑問。
加えて、すでにかなり高度になっている技術を更に高みに上げるための「教育」についての投資が見えなさ過ぎるのが大きな疑問なのです。



上述の文章を繰り返します。

目先の、見えやすいことだけに目が行く。
自分が当事者になって初めて気づく。
気づいていたとしてもオオゴトになる前は無意識に目を逸らす。
人間の性分なのかな、なんて感じてしまいます。


たとえ人間の性分とはいえ、国家の政策立案側がこれだったら困るんですよね。


昨日、これから数学教員を目指す大学生の、とあるテスト結果について眺めていました。
答案中に下記に類したことを「やらかした」ものの報告があがっていました。
===
A:B=(5-a):(2-a)
aは等しいので、A:B=5:2
===
この答案を記述した方、将来教員になれないかもしれませんが…
「数学教員を目指す大学生」というカテゴリの中に、このような答案を記述する方、以前は決していなかったと思うんですよね…

それくらい「教える側」の、様々な意味でのリソースは欠けつつある、という現実に、目を向けて欲しいのです。


このままでは、外需減退は一時的なものとはいえなくなります。
といって、悲観するのではなく、教育に力を入れさえすれば、社会全体がより一層「子ども」に目を向け、様々な所で行為となって表れ、子どもたちが社会性を伴い、社会の中で笑顔をふりまいてくれる…

そうなると信じていたい。
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2009.05.03 19:01

◆Z会情報

5月の社長メッセージに「添削の効用」が!
http://www.zkai.co.jp/home/about/corporate/message.asp

===

ウェブ魚拓というサービスがあります。
http://megalodon.jp/
ウェブのそのときの状態を保存するサービスですね。

ネットのヘビーユーザーはほとんどこのサービスの存在を知っているため、ブログに「あっ、ちょっとヤバいこと書きすぎたな」と思って削除しても、第三者が魚拓を取ってしまって証拠がパチリ。
そして2chなどで祭りになってしまう…
なんてことはずっと昔からありました。


しかし、たまたま見かけたココログニュース。
http://news.cocolog-nifty.com/cs/article/detail/entame-200904271655/1.htm
これにはビックリしました。

・ニフティというネットサービスの大御所から発せられる記事の中に
・「削除されたブログの内容」が魚拓としてリンクをはられる

なんてことがなされているので。


削除してもニュースになっちゃうよ、と、ネット会社が具体的事例を含めて掲載したのは、見たことありませんでした。
2chのようなスペースで陰口的に囁かれるのがフツウですので。


ブログで安易なことが益々書けなくなった証拠ですね。


でも、僕自身のスタンスはそんなに変わりません。

常に堂々としていますから。


ネットで陰口的に悪口を言うような行為は、これから益々危険になります。
自分ブランドが傷つき、それが一生「魚拓」として残りますから。


もちろん僕も「言いすぎたな…」と言うときはゼロではありません。
そんなときは

・ブログそのものを残し
・謝り
・訂正する

となります。


陰口好きの日本人。
しかし世界一のブロガー大国日本。
さて、今後、どうなるか!?


…GWの真ん中、息抜き記事まで(^^
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2009.05.02 02:40

いろいろ書く「ネタ」はたまっているのですが、なかなか時間がとれず、「考えながら書くまじめな記事」(とでもいうのでしょうか)がしばらく書けずに恐縮です。
昨日のブログもまだ書いてなくて恐縮ですけど、今日も書きやすいネタ、つまり、僕自身が最近感じていることを率直に、ベタに書き連ねます。


ちょっとした悩みになっているのがタイトルのこと。

「あのときのあの人がいなければ今の僕はない」と思っている方、たくさん、たくさんいます。
僕、といっても、僕の「全部」を言うのではなく、たとえば「健康に気をつけるようになった」という僕のちょっとした一部でも、その人がいなければ気づかなかったようなことを気づく、些細なことでもキッカケを与えてくれた人には感謝の念が湧くものですから。
「あのとき愚痴を聞いてくれて立ち直れなかったらどうなっていたか」という人であっても同じですね。

そこまで広げて考えると、フツウ「人間」やっていればたくさん、たくさんいるはずです。

で、悩んでいるのが、その恩義に応えていく度合い(ともいうのでしょうか…)。

大きな恩義を与えてくれ、それこそ「師匠」であったり、「仲良く会話している人」であったり、「肌感覚があう人」であったりすれば、様々な形で恩義を返そうと思うし、返すために自分の24時間をその人のために(何か交流があったときは)費やそう、ともちろん思うんです。
単純な例で言えば、その人間が「ちょっと(愚痴をいうために)呑みたい」と思っても「うん、付き合うよ」とさらっと返せる自分がいる、ってことですね。

ただ、「(大小に関わらず)恩義を与えてくれた人」であっても、「今ではそんなに仲良くない」(ケンカしているわけではなくて)とか「肌感覚がずれるなあ」とか、その後の人間関係の交流の広がりによって他の人に費やすべき時間が多くなった結果、その人に割く時間をそんなにとれない(し、誤解を恐れずに言えば、とりたくない)、って場合、あるんですよ。
そんな人…とくに先輩から、昔と同じ温度で「僕の時間を奪おうとする」言動があると、返しに悩みます。
これもよくあるのが「呑みたい」ってパターンですね。しかも悪気なく。


理屈っぽく、かつ偉そうな表現になり恐縮ですが…
たとえば僕の(いろんな意味での)経年成長が y=2x だったとします。
だけどその人…単純化するために「先輩」にしますが、先輩の成長がy=x+5だったとします。
恩を受けた段階ではx=0で、先輩が5だけ年の功で上回っている、だから後輩としては5の分だけ「ためになる話」つまり「得るべき話」があるので感謝もしますし、その「得るべき話」のおかげで成長の傾きの2が3になったり4になったりすることもあります(ここでは成長の傾きは2で変わらないものとしますけど)。

しかし5年後、追いつき、その後逆転した場合、僕にとってその先輩から「得るべきもの」はありません。
それなのにその先輩は、成長もしないで、過去の同じ関係性が保てていると思って迫ってくる(もっとも「同じ関係性が保てている」という感覚を持っている段階で成長欲に乏しい方なわけですけど)。
しかも悪気なく…つまり、「付き合えよ」と無理強いするのではなく、「一回時間取れない?」という誘い方をしてくる場合ですね。
で、たいていこんな人の場合、「一回」では済まないのが想定されるので厄介でして。
(なんせ、「相手の時間を奪っている」ことへの遠慮が少ないわけですから)


今、僕が好んで付き合いを続けようとしたり、というか、そこまで考えなくても無意識に交流(メールを含む)が続けられる人というのは、

「相手の時間を奪っている、という謙虚さが“肌感覚”で同じと感じる人」

なんです。


例を出すと…うーん、難しいですし一概に言えないんですけど、一番良い例は、「メールでの“?”がほとんどない人」なんかでしょうかね。

メールの文章中での、相手への?は、相手の時間のみならず、返信しないと(無視したようで)申し訳ない、という思いから精神を圧迫するんですよ。その配慮がない人の多くは、「(関係性がそこまでは構築できていない)相手の時間を奪うこと」に対して無神経なんです、残念ながら。

ここまで具体化した例を書いたのでついでに書きますと、ことメールでの?が多い人の場合、「いや別に返信してくれなくても構わないと思って書いているからいいじゃん」と言われるときあります。
いやそういう問題じゃなくて、あることそのものが辛いと感じる人もいるのですよ、ってことなんですけどね。。。
それが過去に恩義がある人であれば、なおさら、なんです。
※そんなものなければ、無視するときに良心の呵責も感じませんので。


過去の小さな恩義にも応えようとしすぎると、新たな交流は生まれません。
だから、なるべく自分の思うようにやって、それで嫌われてもいいや(この先輩と関係を絶ってもいいや)、的に思うようにしているのですが、その姿勢が行き過ぎるといつかバランスも崩れ、恩義に応える誠実さを失う自分になるのも恐いですし。


なんて、ちょっとした悩みであります。
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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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