<時事ネタ>
Q.アメリカでは好調だが、日本では不振…、年内、全従業員の約6%にあたる1,000人を削減すると発表したIT関連企業は?
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教育に携わる人に心がけて欲しいことがあります。
それは
「身近に自分のことを“バカ”といってくれる友人を持つこと」です。
先日、とある省庁の(学生時代からの)友人を訪ねました。
※厚生省関係の、あの凄惨な事件の影響で、警備はとっても厳しかったですね…
いろいろと仕事に絡むお話もしたのですが、友人だからこそ出来る話も。
その中で友人曰く
「最近入ってくる若手(=いわゆる「キャリア官僚」になりたてくん、です)は、“時間がなくてできませんでした”(=能力が高い自分ができないのは量が多かったからだ、ということ)と堂々という。
プライドも自分たちの頃よりずっと高いけど、実際には仕事も遅いし、能力的にもできていないことがいっぱいある。だけどそれに気づいていないんだよね、本人…」と。
注)僕が知っているキャリア官僚の多くは、マスコミが騒ぐような悪い人たちじゃなく、人の為になにかしなきゃね、という意志に溢れた人ばかりです。国家公務員なんてわんさかいるのに、悪い人だけを報道するマスコミの姿勢にはいつも辟易しています。
相対比較から絶対比較へと学校教育における評価が変わり、「(自分は)能力がない」と言われることで、自分の実力を知り、さらに高みを目指す、という過程が行われにくくなっているのは確かです。
もちろん、「能力がない」と言われることによる一時的な精神的ショックを回避することはできますが、一方で「能力がない」と余りにも言われないことは、これもまた問題だと思っています。
そのまま社会人になってしまうと、そこから当人の姿勢を変えるのが至難の業になりますから。
上記の例がまさにそうで。
人に何かを教える立場になることが多い人ほど、「自分はまだまだできないんだ」と強く思う必要があります。
なぜならば、「先生」をはじめとする「教える立場」の人は、基本的に「知らない状況」かつ「知らなくて当然」の「自分より無知であることが前提の立場」の人間に対し、自分が知識を「与える」ことで、他人からの感謝を得、評価もされるが故に、「自分は物知りなんだ」と錯覚しがちだからです。
単に「教えられている方」が知識的にない立場(つまり、年齢が若い)にいるから、自分の方が知っているーそれだけなのに。
この錯覚に陥っている教え手は、恐らく同じ年齢の人よりよっぽど無知だと思います。
中学生より高校生の方が知っていて当然。
高校生より大学生の方が知っていて当然。
大学生より社会人の方が知っていて当然。
…そんな状況を弁えず、年少者に「私は物知りでしょへへへん」という態度を見せ(それ自体は構わないとは思いますが)、「すごーい!」と言われることに浮かれていると、どんどん他の人より知識の獲得は遅れます。
話を教育者に戻すと、
だからこそ教育者は近くに、自分のことを「バカ、何も知らないんだね」と言ってくれる友人を持った方がいいと思っています。高校までは、学力も優秀な方で天狗だった自分のストッパーは「お前なんてたいしたやっちゃない」と口癖で言う両親でした。
東大生というレッテルを得、誇らしげに思っている頃は「お前東大生とは思えんくらいバカやなあ」と言ってくれるサークルの先輩がストッパーでした。
社会人になってからもいろいろ新しいサービスを立ち上げ、俺ってできるじゃんへへん、と思いそうになったとき、「こっちはお前全然ダメやからなあ」と、「そっちはできる、こっちはできない」の「できない」部分を指摘してくれる先輩社員の存在は貴重です。
教育に携わり、自分より若い相手と向き合う機会が多い僕にとって、「お前はバカだ」とハッキリと指摘してくれる身の回りの人間の存在は、ほんとうにありがたいです。
そしてまた、社会においても、「できない」ことを「できない」とハッキリと指摘する人なり、行為なりというのは貴重に思いたいのです。
褒める行為、欠点を指摘する行為、使い分け、ですね。
時事ネタA.日本IBM
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