昨日、
職場の同僚と話をしていて、同僚がこんなことを言いました。
「高尚なことを言うだけなら誰でもできますよね。」
最近、いろいろモヤモヤしている私の考えを、すぱっと言い切ってくれた言葉でした。
(「高尚」って言葉がストンと落ちたのかもしれません。笑)
常々、私が例示する言葉があります。
「世界平和を目指そう!なんて、誰でも〝言える”よね」
と。
もちろん、世界平和を理念に掲げ、実際に行動している、
テラ・ルネッサンスは本当に素晴らしいと思います(私も会員の一人です)。
自分が例示した言葉の意図はこれと意味が違うのは…わかりますよね。
再度、他の方の言葉を借ります。
これも、昨日、Facebookで拝見した、プログラミング言語「ビスケット」
http://www.viscuit.com/
開発者の原田康徳さんの言葉、
「ものを作る人が一番偉い世の中がいいなぁ、できたものを評価する人が偉いんじゃなくて。」
Facebookのウォールそのものに投稿された言葉ではなく、コメント欄での返信に書かれた言葉。
それなのに(本ブログを書いている段階で)「いいね」が42個も。。。(初めて見た現象です。。。)
それだけ、共感する方が多いコメントです。
「できたもの」を見て、「あーだこーだ」言うのは誰だってできます。
もっと言うと、〝「できたもの」を作った人”は、たいていの場合、その「あーだこーだいうだけ」の人の「あーだこーだ」をわかって、ものを作っていると感じます。
そうしない限り「よりよい」ものにならない、と、わかって。そして信じて。
…と書いた後、Facebookの投稿を見返すと、こんなコメントの投稿がありました。
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ものを作る本人は、ダメなとこ、いいとこもわかったうえで、さまざまな制約のなかでのトレードオフから、あるカタチのものを選んで作ってるんですよね。
ものを作ったことがない人はそこがわからないから、むちゃくちゃなことを言いがちなんですよね。
もちろん、志が低い作り手はアレなんですが、それでも、何もしない者よりは、評価されてしかるべきなんだよなと思います。
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激しく同意です。
「ものを作る人が一番偉い世の中がいいなぁ、できたものを評価する人が偉いんじゃなくて。」
どんなに小さなことでも、形がないもの、自分が形にできないもの、を形にしたことに敬意を表したい。
とくにこの、21世紀は、「形にすること」が今まで以上に、大切になってくると思うからこそ。。。