教育・受験に携わる社員として〜「和顔愛語 先意承問」

Z会Web戦略統括の寺西隆行です。タイトルは最も大事にしている言葉です(意味は左下「プロフィール」を参照)。
普段の仕事のことや教育に関すること、子ども達のこと、ネットのことなど、いろいろ思うままに書いていこうと思います。

     
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「格差は存在する」と子ども達に教える教育も必要だ(前)
[2008年05月17日(土) ]

<今日の事後ネタ>
Q.自社のグループ企業から二酸化炭素の排出枠を23トン分購入、民間ベースとして初の取り組みとして注目される企業は?

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僕の物書きの友人が、R25のこの記事

“子ども格差”の時代が到来!?
http://r25.jp/magazine/ranking_review/10003000/1112008051505.html
注)さらに元ネタは東洋経済の特集記事ですね。僕も読みました。

を読み、「大切なことは〜」という文章の流れで、下記のような日記をしたためていました(部分的な引用に、言葉そのもののテイストを変更して掲載します)。
※本人の許諾が取れれば、氏名も出させていただきますが、今は控えさせていただきます。
→5/18追記、許諾とれましたので実名だしますね。
『愛され社員で行こう!』著者の藤沢あゆみさんのブログより拝借しております。

==========
平等であるかどうかが大切なのではなくて…
世の中には生まれながらにして平等ではないことはあり、
環境そのものは諦めるが、自分の人生は諦めずに楽しめる感性 をできるだけ早いうちに身につけること。

==========

なんという…
短くはありますが、今教育においてとってもとっても大事なことが凝縮されている文章です。


どんな社会になっても物質的・精神的な格差は必ずあるんです。
それを認めないで、格差を「変だ!社会が間違っている!」とばかり叫び、政治家・官僚だけを責める人は不幸せだと思います。


不幸せなだけなら本人の問題ですが、たとえば「格差をなんとかしろ!」と官庁に長電話をする、など、他人の時間を強制的にとらせる行為に走っている人は、「迷惑」となりますし、「迷惑」の矛先が公の人間である場合、個人的な要求で公人の時間をとるという税の無駄遣いから、より多くの人に迷惑をかけていることにもなります。


親から虐待を受け、勉強もできず、いろんな意味で成長する機会を失った子どもと、何の不自由もなく幸せに育った子どもとの格差は、誰が見ても「かわいそう」と思えるものでしょうし、社会問題として認知の上、政策論で解決の方向性を探るべきもんだいでしょう。
しかし、そういう格差の現実を、自分の都合のいいようにすり替えるべきではありません。


1つ。
このような厳しい格差の現実のデータを見て、やれ塾に行くお金がない、塾に行ける人は有利だ、と叫ぶ若者、あるいは保護者。
それは「ちょっとした格差」に過ぎず、社会で生きる以上受容すべき格差です。
塾がなくても通信教育があります、参考書問題集があります、学校があります。
代替手段なんていくらでもあります。
塾にいくお金がなくても、学校の先生の教え方に恵まれていたら、その人自身が他の人より有利に立っているという見方もできます。
また、塾に行っても、学力があがるなんて保証はどこにもありません。

そして、そもそも田舎には大手の塾なんてありません。
「お金があれば塾に行ける」という環境そのものが恵まれているともいえます。
注)僕はド田舎で育ち、塾がなかったからこそ自学自習の習慣が身について得したと思っていますが。

こんなさもしいレベルで格差だと叫ぶような若者が、社会と言う大海原で、人間の関係性や環境などによって生じざるを得ない数多の格差を受け入れられるとは思いません。


1つ。
自由に使えるパソコンがないから、受験情報の収集に遅れてしまうと嘆きながら携帯でメールを打つ若者。
携帯で情報収集できますよね、学校の先生に聞けますよね、そもそも携帯持っているという状況で持っていない人との格差が生まれていますけど、あなたはそういう人を見て、その人の不利をかわいそうと思いますか。
社会に生まれる格差はなるべく少ない方がいいよね、と思う気持ちは大事です。
しかし、自分が受けているちょっとした格差を不公平と思う気持ちにつなげるのは、あまりにもさもしい姿勢です。
そして、子ども達に、ちょっとした格差を問題視するような大人の姿を見せ付ける社会は責任転嫁型社会、そして不幸な社会です。
このような社会で育つ子どもは、自分で解決できる諸問題を一方的に(自分のせいではない)格差としか捉えず、そしてまた、その格差を受け入れることができなくなりまから。


「格差はあるんです。
しょうがないこともあるんです。」



あえて言います、そう伝えていくのが大事だと。


この認知から初めて、この友人の言う

「環境そのものは諦めるが、自分の人生は諦めずに楽しめる感性」

が生まれ(これ、とっても、とっても、良い表現だと思いました)、自分の努力で解決できる格差を具体的に把握し、そして問題解決行動につなげられる子どもが育ちます。

そしてそんな子どもは、ずっとずっとずっと、幸せに生きられます。
格差を問題視するばかりで主体的な行動を起こさない子どもより、ずっと。


自分の身の丈にあった人生を幸せだと感じるようになること。
その身の丈よりちょっぴり高いハードルを越えると益々幸せになること。

これが継続すると、ずっと幸せ感を感じたまま生きられること。



格差を問題視するばかりの論調は、本質的な格差(感)解消からの逃げ以外の何物でもありません。
まずは格差と向き合いましょう。
そして、どうしようもないことは諦める、けれどなんとかなるところはなんとかする、そんな感性を、子ども達に伝えていくのが、大人社会の責務ではないでしょうか。


事後ネタA.山武

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まあそうだと思いました。(笑)
テラさんを含めスタッフさんも忙しいでしょうから。
1年生の方が受験の時の記憶が鮮明に残っているので正解だったと思いますよ。
まあまた機会があったら声をかけてもらえればと思います。
Posted by:ウィリアムズ・ミッチェル将軍 at 2008年05月19日(月) 01:18
あら、お久しぶり!
パルティオについては、ごめん、正直、誰に声かけるか、というところまで(大学1年生以外は)ケアできる余裕はなくて…
大1以外は、たまたま連絡をしていた数名に声かけただけですね。


ミッチェルさんの思いを整理するには、このブログの次の日の日記を読むと良いかと思います。
たまたまですが、そんな内容を書きましたので。
(書き終えてアップしたら、このコメントが入ってました
Posted by:Z会スタッフ:寺西 at 2008年05月19日(月) 01:02
お久しぶりです。
ちょっと最近忙しくてなかなかパルティオZにも顔を出せていませんでした。

いろいろと新しいプロジェクトが進んでいるようですね。
ブログの決起会(オフ会?)のことを書いていた日記が多々ありました。
(本当のことを言えば連絡が欲しかった・・・。(汗))
(でも基本的に一年生が中心だったんですかね?)
パルティオZも新しいこともテラさんのご尽力があってのことだと思います。
本当にお疲れ様です。

さて今回の内容に少しだけ。

塾に行ったからって成績が伸びることはない。
これは全く同感です。
経済力があっても学力が「必ず」上がるというわけではないです。
逆に経済力がなくても学力が「必ず」下がるというわけではないです。

ただ経済力があれば学力が上がる「可能性のあるもの」を得やすいということは、
あるかもしれません。
それは塾にしろ参考書にしろそうでしょう。
逆に余計なツール(僕が特に思うのは携帯とか)が増えてしまうのも然りです。

仮に経済力がなくてもそれを克服しようとする気持ちや能力があれば、単に経済力があって塾に通う人を上回れるのではないかーーそう思います。

僕の考えとして格差がありすぎるのは問題だけど、ない(つまり完全平等社会)というのも変な社会だなと思ってしまいます。
どんな世の中がいいのかは、僕はこれから勉強して模索したいっていう感じです。
Posted by:ウィリアムズ・ミッチェル将軍 at 2008年05月19日(月) 00:35