<今日の事後ネタ>
Q.自社のグループ企業から二酸化炭素の排出枠を23トン分購入、民間ベースとして初の取り組みとして注目される企業は?

ブログ継続を応援してください!
ここをポチッと。

ただいま応援中→「
仕事の学校」「
10代を真剣に考える1日」
僕の物書きの友人が、R25のこの記事
“子ども格差”の時代が到来!?
http://r25.jp/magazine/ranking_review/10003000/1112008051505.html
注)さらに元ネタは東洋経済の特集記事ですね。僕も読みました。
を読み、「大切なことは〜」という文章の流れで、下記のような日記をしたためていました(部分的な引用に、言葉そのもののテイストを変更して掲載します)。
※本人の許諾が取れれば、氏名も出させていただきますが、今は控えさせていただきます。
→5/18追記、許諾とれましたので実名だしますね。
『愛され社員で行こう!』著者の藤沢あゆみさんのブログより拝借しております。
==========
平等であるかどうかが大切なのではなくて…
世の中には生まれながらにして平等ではないことはあり、
環境そのものは諦めるが、自分の人生は諦めずに楽しめる感性 をできるだけ早いうちに身につけること。
==========
なんという…
短くはありますが、今教育においてとってもとっても大事なことが凝縮されている文章です。
どんな社会になっても物質的・精神的な格差は必ずあるんです。
それを認めないで、格差を「変だ!社会が間違っている!」とばかり叫び、政治家・官僚だけを責める人は不幸せだと思います。
不幸せなだけなら本人の問題ですが、たとえば「格差をなんとかしろ!」と官庁に長電話をする、など、他人の時間を強制的にとらせる行為に走っている人は、「迷惑」となりますし、「迷惑」の矛先が公の人間である場合、個人的な要求で公人の時間をとるという税の無駄遣いから、より多くの人に迷惑をかけていることにもなります。
親から虐待を受け、勉強もできず、いろんな意味で成長する機会を失った子どもと、何の不自由もなく幸せに育った子どもとの格差は、誰が見ても「かわいそう」と思えるものでしょうし、社会問題として認知の上、政策論で解決の方向性を探るべきもんだいでしょう。
しかし、そういう格差の現実を、自分の都合のいいようにすり替えるべきではありません。
1つ。
このような厳しい格差の現実のデータを見て、やれ塾に行くお金がない、塾に行ける人は有利だ、と叫ぶ若者、あるいは保護者。
それは「ちょっとした格差」に過ぎず、社会で生きる以上受容すべき格差です。
塾がなくても通信教育があります、参考書問題集があります、学校があります。
代替手段なんていくらでもあります。
塾にいくお金がなくても、学校の先生の教え方に恵まれていたら、その人自身が他の人より有利に立っているという見方もできます。
また、塾に行っても、学力があがるなんて保証はどこにもありません。
そして、そもそも田舎には大手の塾なんてありません。
「お金があれば塾に行ける」という環境そのものが恵まれているともいえます。
注)僕はド田舎で育ち、塾がなかったからこそ自学自習の習慣が身について得したと思っていますが。
こんなさもしいレベルで格差だと叫ぶような若者が、社会と言う大海原で、人間の関係性や環境などによって生じざるを得ない数多の格差を受け入れられるとは思いません。
1つ。
自由に使えるパソコンがないから、受験情報の収集に遅れてしまうと嘆きながら携帯でメールを打つ若者。
携帯で情報収集できますよね、学校の先生に聞けますよね、そもそも携帯持っているという状況で持っていない人との格差が生まれていますけど、あなたはそういう人を見て、その人の不利をかわいそうと思いますか。
社会に生まれる格差はなるべく少ない方がいいよね、と思う気持ちは大事です。
しかし、自分が受けているちょっとした格差を不公平と思う気持ちにつなげるのは、あまりにもさもしい姿勢です。
そして、
子ども達に、ちょっとした格差を問題視するような大人の姿を見せ付ける社会は責任転嫁型社会、そして不幸な社会です。
このような社会で育つ子どもは、自分で解決できる諸問題を一方的に(自分のせいではない)格差としか捉えず、そしてまた、その格差を受け入れることができなくなりまから。
「格差はあるんです。
しょうがないこともあるんです。」
あえて言います、そう伝えていくのが大事だと。
この認知から初めて、この友人の言う
「環境そのものは諦めるが、自分の人生は諦めずに楽しめる感性」
が生まれ(これ、とっても、とっても、良い表現だと思いました)、自分の努力で解決できる格差を具体的に把握し、そして問題解決行動につなげられる子どもが育ちます。
そしてそんな子どもは、ずっとずっとずっと、幸せに生きられます。
格差を問題視するばかりで主体的な行動を起こさない子どもより、ずっと。
自分の身の丈にあった人生を幸せだと感じるようになること。
その身の丈よりちょっぴり高いハードルを越えると益々幸せになること。
これが継続すると、ずっと幸せ感を感じたまま生きられること。
格差を問題視するばかりの論調は、本質的な格差(感)解消からの逃げ以外の何物でもありません。
まずは格差と向き合いましょう。
そして、どうしようもないことは諦める、けれどなんとかなるところはなんとかする、そんな感性を、子ども達に伝えていくのが、大人社会の責務ではないでしょうか。
事後ネタA.山武