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2014.03.09 23:50

茂木健一郎さんが「ぶっつぶせ、偏差値入試!」という連続ツイートをされたことが、話題や議論になっています。かなりRT(リツイート)もされたようですね。。。

僕がこのツイートに感じたこととは、ほんとに全く同じ感覚で、Z会で一緒に働き、そして良き兄貴分である高畠(たかばたけ)が、Z会ブログで書いてくれました。

予備校は「悪の産業」か。
(↑クリック!)

僕はちょっと違う切り口から、このツイートを眺めてみたいと思います。


結論から申し上げると、今回のブログでお伝えしたいことは、
「批判し、良い方向に変えていくのであれば、批判する対象の存在全否定ではなく、存在を認めた上で、その欠点を洗い出し、“それよりこっちがいい”ってしないと、前に進まないんじゃないでしょうか。」
ってことです。
3つの視点で書いてみます。


1.こういうつぶやきの存在を認めよう。

今回の茂木さんのツイート、決して上品ではありません(苦笑)。
とくに一番RTされているこのツイートは、正直、ここで挙げられた予備校が実際に行っている活動をイメージだけで捉えてつぶやいている気がして…そして、そうであるならば、具体的な予備校名まで挙げて批判するのは、余りいいとは思えません。

でも、所詮つぶやき、なんです。
このつぶやきだけ切りだすと過激ですが、勢いでこれくらいのことを言うこと自体は、(良いとは思いませんが)仕方ない、の範疇だと僕は思っています。
もう少し加えるならば、こういうコメントまでハッキリ書いてしまう茂木さんだからこそ、別のところでハッキリものをいって、それが良い方向に動かす場合もある茂木さんもいらっしゃると思うのです。
※僕自身、茂木さんの書籍やTV出演を殆ど見たことがない(ツイッターはたまに見ます)ので、あくまで一般論として、ですが。

以前、東北大学の沼崎一郎教授のツイートが、ネット上で、いわゆる「炎上」しました。この時以来沼崎教授はツイートしていません。
このツイートを僕はナマで見ていたのですが、教授にとってこのツイートは、コミュニケーションの一貫だったと思うんです。
以前僕はプロ野球の近鉄球団の応援で、外野スタンドに通っていたことがあるのですが(笑)、相手がエラーすると、面白いんですよ。
たとえば西武の選手の場合、「やったーやったーまたやったー、○○が、またやったー、せーいぶ電車ではよかえれ~」と、ヤジを飛ばす。でも、こんなヤジ、単なる(野球の応援、という世界で行われる)コミュニケーションの一貫で、笑ってオシマイ、だと思いますもん。
沼崎教授のツイートも、その程度のものだと感じているんです。

茂木さんのツイートは、沼崎さんに比べても、「…」と感じるツイートです。
それでもまあ、つぶやき、として、まあアリなんじゃないかな、と思いますし、こんなツイートを認めない!という存在否定では、ツイッターの面白さもなくなると思うんです。発言にいちいち、過剰な注意を払わなければいけなくなってしまいますから。。

…とした上で、具体的な企業名を出した、思いつき(と思える)の批判は、ツイッターでは止めた方がいいんじゃないかな、と思います。


2.偏差値の存在を認めよう。

茂木さんのツイートの中身に入ります。
ツイートでは、偏差値をベースにした入試について批判されていますよね。

そもそも、偏差値って、なぜ導入されたのでしょうか。
これについては、生みの親と言われている桑田昭三さんへのインタビュー記事(←pdfにリンクします)に詳しく書かれています。
記事からもわかるように、桑田昭三さんは、子どもの学力を正確に把握することで切り捨てられていた生徒を救おうとしたのに、「偏差値教育」の生みの親と批判を受けて苦しんだ方なんです。
※桑田昭三さんのエピソードについては、今回のツイートをキッカケに、友人の教師から教えていただきました。

また、別の友人が話していました。

「「偏差値教育」を批判する人には,子供の能力を総体として数量化している(あるいは,できる)という発想(偏見)があるように思います。一つの道具でしかないにも関わらず。」

偏差値=悪、とみなすことこそが、その思想性のどこかに、偏差値=悪と感じてしまう偏見そのものを包含しているような矛盾、僕も感じることがあります。

いずれにせよ、桑田昭三さんへのインタビュー記事(←pdfにリンクします)などを読み、偏差値への正しい理解と、存在を認めることが、建設的な批判につながると思います。


3.偏差値を重視してきた社会の存在を認めよう。

今回のツイートをベースに、別の友人がこんなことをブログに書いていました。

==(以下引用)==
(前略)測定基準の中で努力をした人と、測定基準の内中で努力した人を比較した経験はあります。
 その経験から言うとまず人を雇用した時には明らかに偏差値という測定基準の中で頑張った経験がある人の方が優秀な確率が高い。
 それも圧倒的に。

 また武道、武術などでは段位や級が必要か不要かという話が良く出るのですが
 段位がなくても時折達人は出ます。
 でも達人が100点だとすれば、それは制度に関わらず出てくる。
 だけど70点の人間の量産は測定基準が有れば大量に出てくる。
 段位が無いところからは時々100点と落ちこぼれがたくさんという感じになります。
 級や段位があった方が多くの人が挫けずに努力を継続できるからです。

 偏差値のような数値で測定しないままに才能を伸せる人間というのは人口全体の中では極めて少数の心の強い人だけ。
 そうでない多くの人がストレスを最小化して努力を継続するのに偏差値は大いなる貢献をしていると思います。
 もちろん、そこでは通用せずに傷ついた人もいるでしょう。
 だけど救われた人間の方が遙かに多く、予備校が潰れて偏差値を計測しない場合には、ただ惰性で毎日を生きて自分の可能性を引き出せないままに死んでいく人は今以上に増えるでしょうね。
==(引用終了)==

このように、偏差値が有効に機能してきた側面もあるんです。
社会の中での教育や認知が未熟なことが影響し、偏差値というものの存在が導いてしまう悪い流れ(茂木さんがツイートしたようなこと)を止め、別の流れを作りたいのであれば、偏差値の有効性、および、有効性を利用してきた社会の存在を認め、その上で、偏差値が過剰に重視されるようになった社会を批判しなければ、建設的な批判にならない、と思います。


上述した結論をもう一度書かせていただきます。

「批判し、良い方向に変えていくのであれば、批判する対象の存在全否定ではなく、存在を認めた上で、その欠点を洗い出し、“それよりこっちがいい”ってしないと、前に進まないんじゃないでしょうか。」

存在の全否定からは何も生まれません。
存在を全否定するような提案から生まれるものは、過度な偏見が入り込み、すぐに他者によって再び全否定されるのではないか、と思います。


最後に。
明日、3/10(月)は、2014年度の東大前期入試の合格発表日です。

残念ながら不合格だった皆さん、試験で測られる力は、一つの面でしかありません。
もう一度、その力を育成したいと思えば、浪人もよし。
力足らず、そして、浪人したくない、と思えば、別の進路を選択するもよし。
きっと、どちらにしても、自分の力を信じ、成長し続ければ、確実に(本当に確実に)幸せな人生が開けます。大学に合格し、その後学問に精を出さない人よりも、ずっと、ずっと。

そして、合格だった皆さん、おめでとう。
でも、東大に合格した、ということは、それだけですべての能力がNo1ということではありません。
入試で試される学力以外に、社会に出るまでに必要な力を、これからは磨き続けてください(合格して安心すると、就職がきつくなりますよ、ほんとに)。
その一方で、受験というハードルで、一番高いものを超えられた自分に自信をもって、今後の人生をより挑戦的に邁進してほしいと思います。
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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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