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Z会 寺西
Z会の寺西隆行です。今は「教材編集部 理科課課長(兼小学生コース教材担当)」が肩書。「教育」×「マーケティング」で少しでも多くの社会価値を生み出したい。
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2008/10/19 23:40

<時事ネタ>
今日の日本オープンで優勝、永久シード権を獲得した男子プロゴルファーは?(2位の石川遼選手も凄い!)

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意欲格差』(和田秀樹)の話を2日間続けてきました。
今日はその中にあったデータの話から。

2006年末、日本青少年研究所が行った「高校生の意欲に関する調査」の中で、こんな結果が出ていたことが紹介されています。

===

暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたい

<中国>
とてもそう思う 17.8%
まあそう思う 23.4%

<アメリカ>
とてもそう思う 13.8%
まあそう思う 33.0%

<日本>
とてもそう思う 42.9%
まあそう思う 37.9%

===

日本が際立って「そう思う」割合が高いのです。


「適当な収入で、のんびり暮らす」こと自体、あるいは、そう思う人が多いこと自体については、そんなに悪いことだとは思いません。
いいじゃないですか、のほほんと幸せそうで笑顔
多分僕も高校生だったら、同じように答えていたと思います。

また、日本の場合、「お金を稼ぐ人、偉くなった人がずるくて悪い人」のようなイメージをマスメディアの報道を通じて植えつけられてしまう側面があるため、

「あんなふうにはなりたくない」=「お金は暮らしていける分があればいい」

という発想になりやすい側面もあるでしょう。


しかし、「今の日本」に育つ「今の若者」の8割以上が「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたい」と答えることには、いささかの危機感を覚えます。
これから彼らが大人になり、「やるべきこと、なすべきこと」をしっかり弁えていれば問題ないのですが、残念ながら弁えていない若者が増えていると感じているからです(それもこれも、大人が若者へしっかり伝えていないからであって、彼ら自体にはほとんど責任がないのですが)。


「適当な収入でのんびり暮らす」ための必要条件として、次の3点を弁えることが大切です。


1.のんびり暮らす=勝手気ままに生活する、ことではない。収入を得るために「汗水たらす」「嫌な労働も引き受ける」ことも必要。

どうも「のんびり暮らす」と語る若者は、「勝手気ままに」「好きなことやって」、あるいは一時ブーム!?になった「自分探し」という言葉を使い「奔放に」、というイメージでいる人が多いような気がします。
しかし「それだけ」で生活できるわけはないんです。

収入を得るために、時には汗水たらしたり、時には嫌な労働も引き受けたり、時には「好きなことをやるために必要な」勉強をがむしゃらにしたり…
そういうことも必要なんです、もちろん。


ただ、この「もちろん」が弁えられている若者…いや、若者だけじゃないですね、団塊Jr.前後まで含めて、弁えられている人がどんどん減ってきているような気がします。
傍目で「のんびり、気ままにくらしている」と見られている人は、他人には見えないところでしっかり努力しているんです(下記3で挙げることとも関係しますが)。

バランスの問題です。「勝手気ままに」「好きなことやって」という時期・時間・タイミングがあってもいいのですが、やるときゃやる、その結果として「勝手気ままに」「好きなことやって」ということができるようになる…
「やるときゃやる」なくして「のんびり暮らす」ことなんでできやしません。


さらに言うならば、成功して羨むばかりの富とゆとりを得ている人は、「のんびり暮らしたい」という人が「汗水たらす」という概念では捉えきれないほど「とーーーっても汗水たらす」ことをしているのがフツウなのです。

この部分をしっかり、心の奥底で弁えておく必要があります。


2.「意欲がない人」を増加させない政策、そして、社会のムードづくりを。

自ら進んで低収入を選び、困ったときに生活保護を受けるー
生活保護世帯の増加、というデータを見る限りには、どうもそういう人も増えているようです。

テレビで「意欲がなくて働かない人」を見て、

「自分はあそこまでではない」
「こんな人が増えているようだけど私はこうはならない」

ーと、自分がそこそこ「やっていること」に比較優位を感じ、安心する…
これだけの気持ちにとどまっていませんか?


人ゴトじゃないんです、「意欲のない人」が増えていることは。


意欲のない人が社会に増えます。
当然税金から、その人たちに賄われる支出は増えます。

…もうこれ以上、言わなくてもわかりますよね。

意欲のない人の割合の増加が、「のんびり暮らしたい」と思っている人の得た収益を蝕む割合を高くする社会構造の出来上がりなのです。


個人的な肌感覚では、どれだけ「のんびり暮らしたい」と思っても、この割合が高くなって「のんびり」できない社会の状況まで、「このまま進めば」もうすぐ到来するような気がしてなりません。
もちろん、今からみんなが「変えよう」と思えば、まだまだ変えられる水準だと思っていますし、社会全体がそう信じていることが大切でしょう。




3.「幸せ感」の中に「汗水たらし努力すること」を自然に包含する国民の育成を。

1で、

「傍目で「のんびり、気ままにくらしている」と見られている人は、他人には見えないところでしっかり努力しているんです。」

と書きました。

なぜ「のんびり、気ままにくらしている」と見られている人がこれができるか、というと…
はたから見るとその人が「努力している」に当たる行為が、その人にとっては自然な行為であって、苦に感じていないから、なんですね。


「働かざるもの食うべからず」という言葉を口にする前に、当然のこととして弁えている人は、当然のようにプロ意識をもって働き、働くときも「なんでこんなことをしなきゃいけないんだ」という愚痴の前に「稼ぐためだよな、適当な収入を得ることでのんびり幸せに暮らせるんだよな」という心が先に湧きますから、努力していることがその人の生活スタイルそのものに吸収されている、それだけのことです。


「汗水たらし努力すること」が、恐らくバブルの崩壊で、文字通り水泡に帰した、と感じる大人が増えたのでしょう。
この時点で、「幸せ感」の中に「汗水たらし努力すること」が自然に包含される大人がガクンと減った。
それが子ども達に伝染した…

でも、考えてみてください。
バブルを生んだのも大人社会、見に余りある贅沢を享受したのも大人社会、そして崩壊させたのも大人社会。
自分のケツを自分で拭いただけです。

次世代にバブル崩壊から?延々と続く「大人社会のなんだかけだるい感」が若者に伝播すると、けだるい感が増幅するだけです。


ちょっと頑張るだけで、ちょっとのいいことがあります。
僕はほぼ毎日、こうやってブログを書くことで、今までつながらなかった人とつながり、それがご縁にご縁を呼んで、リッツ・カールトンの高野日本支社長、品川女子学院の漆校長、「親力」の親野智可等さん、「はてな」の近藤社長…
まず、ブログを書いていなければ出会わず、懇意に話す事など到底できない方々とつながることができました。
僕はそれだけで、ちょっとした幸福感を覚えます。

だから、努力するのは自然の行為で、必要以上に苦しんで(ブログを書く)、のような感覚は人より少ないと思います。


少しでもそういう事例を伝えることしか、僕にはできません。
でも、「汗水たらし努力すること」を「幸せ感」の中に包含する大人が増えることが、社会全体を幸せにし、「のんびり暮らす」が可能になる社会になる、そう思います。


時事ネタA.片山晋呉

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