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公立高校1年生のための勉強法ブログ 

     
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読書の秋 8
[2008年09月30日(火) ]

 私が今気になってるのはロシア、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」。少し前に(ずいぶん前ですが……)新訳(亀山郁夫訳)が出たといって話題になっていたものです。東大の先生方を対象にしたアンケートでは「新入生に読ませたい本1位」の座に輝きました。ほかに世間で話題の名作といえばやっぱり小林多喜二の「蟹工船」。ワーキングプアの人々から共感を呼んでいるとか……。これに乗って、今出版界では異例の古典文学ブーム! きれいな表紙や帯をつけたカジュアルな名作たちが次々文庫として蘇っています。ぜひ一度、本屋に立ち寄ってみてください。お金はなくてもまず本屋。そこで読みたい本をメモってから図書館に行きましょう。話題の作品や価値ある作品は、本屋で平積みになっている方が見つけやすいからです。

読書の秋 7
[2008年09月29日(月) ]

 そんなわけで我々が中国語を学ぶ際には、読んだり書いたりであまり苦労はしませんが、欧米の方々は、大学生にもなってから「辞書か!」ってくらいの分厚い漢字ドリルに取り組まれたりするそうな……。漢字ドリル、懐かしいですね……。
逆に日本人は発音が50音とちょっとしかないという世界でも珍しく「洗練された合理的で無駄のない」(笑)発音体系を持っているがために、どの外国語を学ぼうとしても、日本語にはない発音に直面し、苦労することになります。日本人が「r」と「l」の区別ができない様を見て笑うのは、英語圏の方だけではないのです…!
 いや、でもこんなに少ない音で必要なことを全部伝達できるんだから逆に日本人ってすごくね? お前ら何ごちゃごちゃしてんだよ、と私は逆に思います。皆さんも誇りを持ってください。そしてジャパニングリッシュを世界に広めましょう。ああ聞き取りやすい。

 と、長らく脱線しすぎてしまいましたが、ぜひぜひ、そんな言葉のダイナミックな歴史を思い浮かべつつ、「名作」「古典(現代文なんだけどね)」として何十年何百年も残ってきたタイトルに触れてみてはいかがでしょうか。
 日本のものだけでなく、海外の「名作」「古典」に触れれば、今度は世界史の「文化史」の対策にもなります。

読書の秋 6(まだ脱線して言葉の話)
[2008年09月27日(土) ]

 で、日本の話に戻りますが、そのときは「え、全部ひらがなで書いたら意味わかんないし、なんかダサくねぇ?」という意見が全廃派を上回り(たとえば上の文章をすべて「日本の固有文字、といっても漢字をちょっと崩しただけのひらがな」と「漢字の一部を取っただけのカタカナ」で表記すると「え、ぜんぶひらがなでかいたらいみわかんないし、なんかダサくねぇ?」になります。うーん……ちょっと読みにくいけど、文節ごとにスキマを空けて慣れれば平気かも? 韓国の例しか出せずに恐縮ですが、韓国語では、ハングルという固有の表音文字を使いますが、英語のようにスキマを開けるべき個所がきちんと文法ルールとして決まっています)、結局「使ってねぇし、難しすぎるし、似たような字があるし」という字を削り、「常用漢字」なるものを定める、という作戦に落ち着きました。でもこれでずいぶん漢字の量を減らしてやりました。私としては、「全廃」という意見もある種合理的のような気がしますが、やっぱり時代が下って、古典を学ぶのに漢字を使っていたころの知識がまるでない人たちばっかりになってしまったら、そういう研究者だけが難解な漢字を覚えなければならなくなってしまうし、だったら頭のやわらかい子供のうちに詰め込まれる今の教育の方がいいのかもしれません。気づいたときにはある程度の漢字がわかっている、なんて素晴らしい!


読書の秋 4(まだまだ脱線して言葉の話)
[2008年09月25日(木) ]

 小説など、文学の世界は徐々に口語=文章語を受け入れても、正式なお役所などの文書では、長らく昔のままの文体が「正式」とされてきました。私は文科一類の学生という関係で、ちょっとだけコンパクト六法なるものを目にする機会があったのですが(笑)、そこに書かれている数々の法律が、先ほどの難解な「カタカナ&旧仮名づかい」のものから「ひらがな&新仮名づかい」に変わったのはずいぶん最近のことです。
今私がこのブログを書いている言葉もしゃべる言葉とほぼ同じですね。けれどこれも現実の言葉の変化についてこれていない部分がやっぱりあって、たとえば前回ご紹介したワードの「文章校正機能」にかかれば、「見れる」とか「知ってる」とか書くとたちまち緑の波線が引かれてしまいます。文法的に「間違っている」からです。正しくは「見られる」と「知っている」。けれど皆さんはいちいちこの部分を指さして「あー、コイツ日本語まちがってるー」とは思わないでしょう。私の持論として、言葉は「ナマモノ」なのに、一度「正式な文法」と定められてしまったものはまるで固形物のように動きにくいものですが、こうした「ら」抜き言葉や「い」抜き言葉も、若い人の間ではもう受け入れられているのではないでしょうか。ただ、年輩の方の中には「けしからん」という人もいるので、現在はまだ過渡期というところでしょうか。
 言葉は「言いやすい」「使いやすい」方へと自然に流れ、淘汰され洗練されていきますが、そうやって簡便になりすぎてしまうのも、なんだか抵抗があるのかもしれません。

読書の秋 3(ちょっと脱線して言葉の話)
[2008年09月24日(水) ]

 夏目漱石を薦めたのもそういう理由で、彼は方言などは読みにくかったりしますが、地の文ではほとんど現代の作家と同じような文章を使います。逆に森鴎外「舞姫」(これもたいていの教科書で出てきます。短いので教科書に全部掲載されていることがほとんど)などは、「古文か!」と突っ込みたくなるような言い回しが多様されています。でも彼の文学は一応「現代文」の域に入ります。それは彼の文章が「古典」の方ではなく「現代文」の教科書に載っていることからもわかります。これは、昔の正式な文章語と、普段口で話す口語にずいぶんと差があったために、鴎外に限らずよく生じる現象です。それで、「普段使ってる言葉で書いたらいいじゃない! そっちの方が読みやすいよ」と言文一致小説として有名な「浮雲」を書いたのが二葉亭四迷(ふたばていしめい)。このあたりの基本的な文学史は、高校受験でがんばった人なら常識かもしれませんね。
そこにもう一つ、知っておいてほしい新たな情報を付け加えると、こうした取り組みは日本特有のものではなく、各国の文学史に見られるものです。「正式な文法」に拘泥するあまり、言葉が時代とともに変化するということを受け入れず、文語と口語が乖離してしまう――これは人間にありがちな問題だったのですね。昔は「貴族」のような偉い人(働かず字も文法も学べる)と「平民」(毎日畑耕したりして生きている。別に字なんて読めなくても構わないし、学ぶ制度もなかった。しゃべった言葉が通じりゃいいじゃん、という世界)にわかれていた身分社会だったりしましたから、余計に「貴族」は難解な文法やらに拘泥して、プライドやらなんやらを保とうとしたのかもしれません。

読書の秋 2
[2008年09月23日(火) ]

 しかしこれも時間のかかる作業ですから、時間の許す限り、高校1年生や2年生のうちにたくさんの日本を代表する文学に触れてみましょう!
 読書に慣れていない人は無理をせず、最初は読みやすい文体と面白いストーリーのものがオススメ。
 私としては夏目漱石の「坊ちゃん」や「こころ」がオススメですが、「こころ」はたいてい3年生くらいになると学校の授業でも扱う…気がします。教科書に載っているのはほんの一部なのですが、私の先生は文庫版を買わせてまるまるやりました。
 注意してほしいのが、買ったり借りたりする前に、中をぱらっと見て、それが「新訳」であったり「現代仮名づかい」であったりすることをよく確かめてほしいということ。読める人はカタカナやら「〜ト思フ。」「トイヘバ〜デアラウガ」などなど、難解な古い仮名づかいが並ぶ昔のバージョンを読んでも構いませんが、最初は平易な、いつも見かける現代小説のように、ひらがなと「〜と思う。」「といえば〜であろうが」と現代仮名づかいを用いているバージョンのものの方がいいと思います。

読書の秋 1
[2008年09月22日(月) ]

 そろそろ気温も下がってきて、秋らしくなってきましたね。
「読書の秋」だとか「芸術の秋」だとか「食欲の秋」だとか色々いいますが、確かに秋は腰を落ち着けてじっくり何かを楽しみたい雰囲気を醸し出してる……気がします。
 私はなんだか「読書の秋」という気分です。
 書店にも、この時期は夏と並んでいろんな種類の文庫が並ぶもの。帯やらなんやらに工夫をして、各社売上競争に必死です。
 本が好きな人は、書店に行くだけで楽しめるはず。
 新しい話題の本もいいですが、せっかくなので、「古典」とはいかないまでも、名作と言われる「日本人の常識」のような本をこの機会に読んでみるのもいいかもしれません。
 受験勉強と絡めて言えば、現代文の「文学史」、日本史の「近代文化」などでは、そうした日本の有名なタイトルや作者を覚えなければなりません。時には簡単な内容も覚える必要が出てきます(まぁ当たり前っちゃ当たり前なんですが……タイトルの丸暗記じゃ意味がないですから)。その時、実際に実物を読んだことがあれば強いです。

遊ぶ前の二十分 下
[2008年09月20日(土) ]

 ただ、「二十分」という時間はあっという間に過ぎてしまうものですから、「二十分勉強するぞ」と意気込んで、机に向って筆箱を出して、だらだらして、というだけで決めた二十分が過ぎ去ってしまうということも十分ありえます。最初は大して悩まなくてもはかどる簡単な計算問題や漢字練習などから始めて、フルに二十分を使うことを覚えましょう。
 ノートの整理などに使うのはあまり向いていないと思います。
 何色で書こうとかどう配置しようとか、そんなことで時間がつぶれてしまいますから。

 もちろん、二十分が過ぎても、気分が乗っていれば「お気持ちで」勉強を続けてください。
 そのうち「あ、今日勉強してないのに遊んじゃダメじゃないか」と思うようになればシメたものですね。

読書の秋 5(やっぱり脱線して言葉の話)
[2008年09月20日(土) ]

新仮名づかいは「〜おもふ」って書いてあったら発音的には「おもう」って読むんだから、じゃあこのときだけ「ふ」を使うなんてややこしいルールは捨てて発音通りに書けばいいじゃん! というコンセプトから生まれたものです。しかし、たとえば「〜は」というときの助詞の「は」と「わ」という字はともに「わ」と発音しますが、なぜ助詞の「は」だけが新仮名づかいのモットーに則って「わ」と書くように変化しなかったのでしょうか? これだって、きっと慣れれば違和感なくなるはずです。「私わ今日……」と。現に書き言葉を習いたての幼稚園生や小学生はよく間違えます。その方が自然だからです。
 ……けれどやっぱり、「は」が「わ」になったらイヤだなぁ、と皆さんが感じるように、昔の人々も、教え込まれ慣れ親しんだ文法ルールが簡単な方向へと流れていってしまうのは、なんだか陳腐化したように感じるもの。抵抗があって当然です。
 たとえば日本には、昔、漢字を全廃しようとした動きがありました。もともと中国のをパクッたものだし、覚えるの面倒くせぇじゃん、ということです。現にベトナムや韓国では、昔は日本と同じように中国から輸入した漢字を使っていましたが、そういう理由で現在は撤廃してしまいました。ですが、日本の「やまとことば」に当たるようなその国固有の単語だけでなく、漢字を使っていた時の名残りのような、漢字一字一字の読み方に即した二字熟語や三字熟語のような単語がたくさん残っています)、たとえば韓国語で水曜日は「スヨイル」。これは昔漢字を使っていたとき「水」は「ス」、「曜」は「ヨ」、「日」は「イル」と韓国の人たちは読んでいたからです(日本の漢字の読み方も、たとえ音読みであっても、はるか昔の中国の発音なので、今の中国の発音とはだいぶ違います。韓国での漢字の読み方と日本の読み方が違うのはそういう理由。本場中国から読み方の音を参考にした時代が違うのです)。だから曜日の名前はすべて「〜(ヨ)イル」で終わります。今でも韓国の知識人や大学生、高校生くらいになると、この単語には実は昔はこういう漢字で書いていたんだ、と、私たちと同じくらい漢字を知っていたりします。日常生活ではめったに使わないのに、です。なんといっても昔の古文書などはすべて漢字で書かれていたりするので、古文の研究にはかかせないものですから。


遊ぶ前の二十分 上
[2008年09月19日(金) ]

 今日は「勉強しよう勉強しよう」と思ってもなかなか実行に移せない人のために、うちの弟のご友人が言っていた名言をご紹介します。
 聞いた瞬間に「あ、これは歴史に残る名言だな」、と思いました。
「遊ぶ前の二十分、勉強するんだよ」というものです。
 今日は帰ったら何しよう、テレビを見ようかゲームをしようかネットをつけようか、マンガを読もうか……そういうことをする前に、二十分だけ勉強する、というのです。
 これを毎日続けるだけでも、それまでとは格段に違う成果が得られるそうです。
 だらだらと長時間勉強するよりも、「二十分勉強しないと遊べない」というある程度の強制力をもって集中的にガッと勉強したほうが効率的なのですね。毎日勉強する姿勢を取ることで勉強に対する抵抗感も薄れますし、毎日継続することで「明日は何をやろう」と計画を立てることもだんだんうまくなっていきます。
 そして無理せず続けられる「二十分」という絶妙な時間配分。
 お勉強の初心者さんにはぴったりだと思います。

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