Petit-O-Data 公立高1年のあなたへ

公立高校1年生のための勉強法ブログ 

     
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ヨーロッパの源流 5
[2008年11月12日(水) ]

 余談ですが、キリスト教の「聖書」は、いまや「聖人」に叙せられる数々の歴史上の人物がイエス・キリストについて記述したり、信仰についての教えを手紙にしたり、といった昔の文献を正式に選び、順番も決めて収録したものです。必ずしも成立年代順に収録されているわけではありません。これらは正式な公会議やなんかで決められます。権威ある教会組織のトップ層による話し合いの結果なのです。
 ところがイスラム教のコーラン(クルアーン)はちょっぴり性質が違って、これはそのまんま「神の言葉」です。誰が書いたとかそんなのありません。ですから一字でも誤字脱字があると大変!
 というわけで、出版するときにもものすごーく神経を使うのだとか。という話を聞きました。ミスプリがあると全品自主回収、なんてこともあるのだとか。
 ちなみにイスラム教徒たるもの、たとえアラビア語の意味がわからなくても、翻訳ではなく、そのままアラビア語の原典を子供の頃から暗唱します。たとえばインドネシアの人なんかがそうらしいです。それも全部、コーランが「神の言葉」そのものだからなのですね。翻訳では意味がないのです。
こういう意識の違いもなんだか興味深いですね。


ヨーロッパの源流 4
[2008年11月11日(火) ]

たとえば私は「人の子」というのが何のことやらさっぱりわからなくて、教養ある方々には信じられないかもしれませんが、ほんとに一回も聖書を学んだことがない私のような人間には、そういう一般的に見えて(一般的に見えるがゆえにまたややこしいのです)実は宗教的な単語に直面すると、途端に文章すべてが意味不明になってしまうんですね。(最近つたなくも理解したところによると、「人の子」というのは字の通り「人間たち一般」という意味ではなく、「神の子」と似たような意味で、イエス自身のことを差したり、また別のメシア的な存在のことを差したりするらしいですよ。)
やっぱり一人で読むのは難しいです…
さらに簡易版になるとマンガとかもありますしね…! そういうものから入るのも理解の助けになるのではないでしょうか。

ヨーロッパの源流 3
[2008年11月10日(月) ]

授業の先生は「みなさんの家にも一冊くらい聖書があると思いますが…」とさらっと言ってくれるのですが、我が家はそんな立派な本棚を用意して教育やら自分の教養やら趣味のために…という両親ではないものですから、よけいにそういう努力が必要なのだろうと思いました。
みなさんも読んだことがなければぜひチャレンジしてみてください(その授業の先生があまりに「みんなは当然読んだことあると思いますが」と連発するので、実は読んだことない人なんかいないんじゃないかとすごく不安です…私だけ?)
でもぶっちゃけ一人で読んでいてもよくわからんことが多いので(また新約聖書というのがさらっと旧約聖書の話を前提にしてたりするのですよ)、初心者は優しい入門書みたいなものと一緒に読むのもアリかな、と思います。私も今度旧約聖書読んでみようかと思います…

ヨーロッパの源流 2
[2008年11月08日(土) ]

そういう背景知識を前提としてさらっと書いてくる文学作品などは意外に多いです。たとえば「まるで紫の上だね」とさらっと言われても、みなさんにはその状況がなんとなくイメージされると思いますが、そんな感じ。

とまあ、その老婦人とそのような趣旨のことを話しまして「教徒でなくても若いうちに聖書を読むのはいいこと」とか「仏教の経典やイスラームのコーランも読むべき」とか言われました。それでまぁそうだよなぁと思ったわけです。
どっちも大きなホテルなどには置いてあるのでぱらぱらっとはめくってみたことがありますが、ちゃんと読んだことはありません。
そこに教訓的なものを読み出そうとしたり、神の教えはすばらしいものだ、なんてことは思おうとしなくてまったく構いません。すべての論理を整然と理解しようとしなくても構いません。ただ文字として一度さらっと頭を流していくだけでいいのだと思います。

ヨーロッパの源流 1
[2008年11月07日(金) ]

今、私は新約聖書(の主に福音書の部分)を読み解く、というような授業を取っていて、その関係で電車の中で聖書を読む羽目になったわけですけれども、そんな怪しいことをしていたら、隣の老婦人に話しかけられました。

思えば西洋キリスト教社会でのものの考え方の根底にあるのは聖書の記述だったりします。本人たちは無自覚でも、当然一回は読んだことがあって内容は常識として知っています。一般の共通認識、不文律として知らず知らず思考の中に流れていたりするわけです。
西洋の古典ともなるとさらにそんなものが何気なく織り込まれていて、聖書を読んだことのない私のような人間にはまったく気づけないのですけれど…指摘されると「深いな…」と思います。

私はといえば「ヤコブ? どなたですか…?」というレベルでして、ああこれじゃあ教養ある大人とはいえないなぁ、と考えさせられました。

読書の秋 9
[2008年10月01日(水) ]

 勉強ができるようになるには、こんなややこしいタイトルの本を読んで作者を覚えて……とかしないといかんのか、とうんざりする方々もいるかもしれませんが、趣味の一貫として気楽に読んでみてください。理系の方にはあまりいらない知識ですがやっぱり名作は名作ですし、常識とする社会ではやっぱり常識だったりします。
 何より、逆なのです。
 なんていうのか、ガリガリこういう本を読むからタイトルや作者を覚えられるようになる、って感じに書きましたが、むしろタイトルや作者を覚えさせられたりしたからこそ、今それの実物を読んでみたくなる、というか……。どっちが先ということもなく、二つが一体なのです。ただの暗記事項、字の羅列、ではなく、確かにそこには生の文章があり、生きた人々がいたのだということを実感させてくれる。こういう風に親しみを持つことは、暗記する際にもすごくメリットになると思います。
 同じことが理系の皆さんにも言えて、暗記事項はただ暗記するのではなく、博物館や特別な催しなどに行ってみて「実物に触れる」ことがその後とても生きてきます。実際実物に触れることはできなくても、博物館などでは写真や立体模型、映像を用いて様々な角度からアプローチできるようになっています。

 さあ、秋です。あなたは「何の秋」にしますか?

読書の秋 8
[2008年09月30日(火) ]

 私が今気になってるのはロシア、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」。少し前に(ずいぶん前ですが……)新訳(亀山郁夫訳)が出たといって話題になっていたものです。東大の先生方を対象にしたアンケートでは「新入生に読ませたい本1位」の座に輝きました。ほかに世間で話題の名作といえばやっぱり小林多喜二の「蟹工船」。ワーキングプアの人々から共感を呼んでいるとか……。これに乗って、今出版界では異例の古典文学ブーム! きれいな表紙や帯をつけたカジュアルな名作たちが次々文庫として蘇っています。ぜひ一度、本屋に立ち寄ってみてください。お金はなくてもまず本屋。そこで読みたい本をメモってから図書館に行きましょう。話題の作品や価値ある作品は、本屋で平積みになっている方が見つけやすいからです。

読書の秋 7
[2008年09月29日(月) ]

 そんなわけで我々が中国語を学ぶ際には、読んだり書いたりであまり苦労はしませんが、欧米の方々は、大学生にもなってから「辞書か!」ってくらいの分厚い漢字ドリルに取り組まれたりするそうな……。漢字ドリル、懐かしいですね……。
逆に日本人は発音が50音とちょっとしかないという世界でも珍しく「洗練された合理的で無駄のない」(笑)発音体系を持っているがために、どの外国語を学ぼうとしても、日本語にはない発音に直面し、苦労することになります。日本人が「r」と「l」の区別ができない様を見て笑うのは、英語圏の方だけではないのです…!
 いや、でもこんなに少ない音で必要なことを全部伝達できるんだから逆に日本人ってすごくね? お前ら何ごちゃごちゃしてんだよ、と私は逆に思います。皆さんも誇りを持ってください。そしてジャパニングリッシュを世界に広めましょう。ああ聞き取りやすい。

 と、長らく脱線しすぎてしまいましたが、ぜひぜひ、そんな言葉のダイナミックな歴史を思い浮かべつつ、「名作」「古典(現代文なんだけどね)」として何十年何百年も残ってきたタイトルに触れてみてはいかがでしょうか。
 日本のものだけでなく、海外の「名作」「古典」に触れれば、今度は世界史の「文化史」の対策にもなります。

読書の秋 6(まだ脱線して言葉の話)
[2008年09月27日(土) ]

 で、日本の話に戻りますが、そのときは「え、全部ひらがなで書いたら意味わかんないし、なんかダサくねぇ?」という意見が全廃派を上回り(たとえば上の文章をすべて「日本の固有文字、といっても漢字をちょっと崩しただけのひらがな」と「漢字の一部を取っただけのカタカナ」で表記すると「え、ぜんぶひらがなでかいたらいみわかんないし、なんかダサくねぇ?」になります。うーん……ちょっと読みにくいけど、文節ごとにスキマを空けて慣れれば平気かも? 韓国の例しか出せずに恐縮ですが、韓国語では、ハングルという固有の表音文字を使いますが、英語のようにスキマを開けるべき個所がきちんと文法ルールとして決まっています)、結局「使ってねぇし、難しすぎるし、似たような字があるし」という字を削り、「常用漢字」なるものを定める、という作戦に落ち着きました。でもこれでずいぶん漢字の量を減らしてやりました。私としては、「全廃」という意見もある種合理的のような気がしますが、やっぱり時代が下って、古典を学ぶのに漢字を使っていたころの知識がまるでない人たちばっかりになってしまったら、そういう研究者だけが難解な漢字を覚えなければならなくなってしまうし、だったら頭のやわらかい子供のうちに詰め込まれる今の教育の方がいいのかもしれません。気づいたときにはある程度の漢字がわかっている、なんて素晴らしい!


読書の秋 4(まだまだ脱線して言葉の話)
[2008年09月25日(木) ]

 小説など、文学の世界は徐々に口語=文章語を受け入れても、正式なお役所などの文書では、長らく昔のままの文体が「正式」とされてきました。私は文科一類の学生という関係で、ちょっとだけコンパクト六法なるものを目にする機会があったのですが(笑)、そこに書かれている数々の法律が、先ほどの難解な「カタカナ&旧仮名づかい」のものから「ひらがな&新仮名づかい」に変わったのはずいぶん最近のことです。
今私がこのブログを書いている言葉もしゃべる言葉とほぼ同じですね。けれどこれも現実の言葉の変化についてこれていない部分がやっぱりあって、たとえば前回ご紹介したワードの「文章校正機能」にかかれば、「見れる」とか「知ってる」とか書くとたちまち緑の波線が引かれてしまいます。文法的に「間違っている」からです。正しくは「見られる」と「知っている」。けれど皆さんはいちいちこの部分を指さして「あー、コイツ日本語まちがってるー」とは思わないでしょう。私の持論として、言葉は「ナマモノ」なのに、一度「正式な文法」と定められてしまったものはまるで固形物のように動きにくいものですが、こうした「ら」抜き言葉や「い」抜き言葉も、若い人の間ではもう受け入れられているのではないでしょうか。ただ、年輩の方の中には「けしからん」という人もいるので、現在はまだ過渡期というところでしょうか。
 言葉は「言いやすい」「使いやすい」方へと自然に流れ、淘汰され洗練されていきますが、そうやって簡便になりすぎてしまうのも、なんだか抵抗があるのかもしれません。

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