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元大学受験コースの答案提出応援団長。家に帰れば受験生の父でもある。

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日本に古代はなかった (2008年10月13日)
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http://www.zkaiblog.com/hi06/index1_0.rdf

日本史の勉強法

[2008年08月29日(金) ]

「お父さんは、受験のとき、どうやって日本史を勉強したの?」
高3の長女に聞かれた。
受験生のときは、あたり前に教科書・参考書を読んで、
ここが出題されたらヤバイという部分をノートにまとめたり、
問題集をやって、間違えたところを日本史事典で調べたりした。
(愛用していたのは、角川書店の「日本史事典」である。)
年代の暗記は大の苦手だった。
1221年承久の変、1331年元弘の乱、1441年嘉吉の乱とか、
1894年日清戦争、1904年日露戦争、1914年第一次世界大戦など
セットにすると憶えやすいものもあった。
一日でなし元の船(1274年:文永の役)
異な色の将軍吉宗(1716年:享保の改革)
語呂合わせも良くできたものは今でも記憶に残っている。

受験勉強というつもりもなく、歴史の本を読みつづけており、
それが理解のベースになっていた部分も大きかったと思う。
井上清「日本の歴史」、藤間生大「倭の五王」、小林行雄「古墳の話」、
石母田正「平家物語」、北島正元「江戸時代」、奈良本辰也「吉田松陰」、
安丸良夫「神々の明治維新」、大江志乃夫「戒厳令」、
遠山茂樹・今井清一・藤原彰「昭和史」、家永三郎「日本文化史」などの
岩波新書は週1冊のペースで読んだ。
それに、和歌森太郎の「日本史の虚像と実像」とか「酒が語る日本史」
といった歴史エッセイ(角川文庫だったと思う)も好きだった。

ここにあげた本は良書ばかりだと思うが、
今読むにしては古すぎるかもしれない。
いろいろな出版社が競うように新書で歴史の本を出している。
歴史用語が凝縮された教科書より、
一つのテーマを深掘りした新書のほうが読んでおもしろいのは間違いがない。
興味のあるテーマがあるなら、一冊読んでみるとよいだろう。
ただし、そのまま信じては痛い目にあいそうな奇説もある。
おもしろいと思っても、一度、教科書にもどる用心深さは必要である。

「チーム・バチスタの栄光」で書く読書感想文

[2008年08月28日(木) ]

高校生ともなると夏休みの宿題で親を煩わすこともない。
と、以前書いたが、ここにきてそうともいいきれなくなった。
昨日、夜遅く、次女が海堂尊著「チーム・バチスタの栄光」(宝島社文庫)の下巻はどこにいったと聞いてきた。
これから、読書感想文を書くのだという。
リビングの食器棚がいつのまにか本棚と化しているのだが、食器棚は奥行きがあるため、本は前列・後列と二列に納まっている。下巻は後列にあった。

さて、「チーム・バチスタの栄光」。
著者が現役の医者だということで、病院内のようすや手術の場面は大変にリアルである。
読んでおもしろい作品だが、考えさせられることも多い。
死亡時医学検索(CTなどを活用して解剖をしないで死因を解明すること)の必要性など取り上げれば、硬派の読書感想文にしあがるのかもしれない。ただ、この著者には「死因不明社会」(講談社ブルーバックス)があり、死亡時医学検索を正面きって論じているのはこちらのほうだ。
もっとも、「チーム・バチスタの栄光」の作中人物が狂言回しをつとめるというブルーバックスらしからぬしかけがあり、「チーム・バチスタの栄光」の読者には親しみやすいと思う。
次女に「死因不明社会」も読んで参考にしたらと勧めようかとも思うのだが、おせっかいが過ぎるだろうか。

演説のカラオケ

[2008年08月27日(水) ]

今日の朝日新聞の「青鉛筆」というコラムがおもしろかった。
アメリカのコロラド州デンバーでは、妙なカラオケが流行しているという。
大統領の立候補予定者になりきり、過去の演説を読み上げるというものだそうだ。
拍手や歓声が伴奏のかわりなのだろう。
http://www.asahi.com/photonews/TKY200808260304.html

日本では、まあ、流行らないと思う。
日本の政治家の演説、
聞いていておもしろくないものを、まねしてみてもつまらないだろう。

かつては、日本にも政治家の名演説があった。
歴史的な名演説といえば、衆議院議員の斎藤隆夫が帝国議会で行なった粛軍演説(1936年)と反軍演説(1940年)だろう。
粛軍演説とは、満州事変後、政治介入を強める軍部を批判し、寺内陸軍大臣に綱紀粛正を迫ったものである。
反軍演説とは、日中戦争の「八紘一宇の精神を以て東洋永遠の平和、世界の平和を確立する」という大義を空想に過ぎないと一蹴し、戦争終結の道を閉ざす近衛声明の誤りを鋭く追及したものである。
http://blechmusik.xrea.jp/d/saito/

どちらも、当時の風潮を考えれば、大変に勇気のある演説であったはずだ。
命を惜しんで、できる演説ではない。
幸い、テロリストに害されることはなかったが、
反軍演説の後、聖戦を冒涜したという理由で、圧倒的多数により衆議院を除名されている。
議員が議会の演説を理由に議員を除名というのだから、当時の議会のありようが知れる。
それでも、斎藤隆夫は翼賛選挙で非推薦でありながら最高得票で当選している。

粛軍演説も反軍演説も、時代の緊張感の中から生まれたものなのかもしれない。
名演説を必要としない時代を喜ぶべきなのだろうか。

東京大学史料編纂所のデータベース検索

[2008年08月26日(火) ]

東京大学史料編纂所のデータベース検索というのがおもしろい。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html

たとえば、編年史料綱文データベースというのがある。
どのようなものかは、編年史料綱文データベース自身に説明がある。

編年史料綱文(へんねんしりょうこうぶん)データベースは、『大日本史料』・『史料綜覧(そうらん)』・「史料稿本(こうほん)」の綱文のデータベースです。
綱文とは、史料から復元できる歴史上のできごとを、年月日ごとに簡潔に記した文章です。
このデータベースにより、平安時代中期から明治維新期までに起きたできごとを容易に知ることができます。

この編年史料綱文で安倍晴明を検索すれば、たちどころに、以下のように結果が表示される。

天禄3年12月6日 天文博士安倍晴明・同中原以忠、天文奏を奏す、
天延1年1月9日  天文博士安倍晴明、天文奏を奏す、
天延1年4月19日 天文博士安倍晴明、天文密奏を奏す、
天延2年12月3日 天文博士安倍晴明、天文密奏を上る、
寛和2年2月16日 (第二条)シャ、太政官正庁庇の内に有り、仍りて、天文博士安倍晴明をして、之を占はしむ、シャ=[虫+也]
寛和2年2月27日 鴿、太政官正庁母屋の内に入る、仍りて、天文博士安倍晴明をして、之を占はしむ、
永祚1年2月11日 (第二条)皇太后御悩、是日、円融法皇、天皇の御為に、天台座主尋禅をして尊勝法を、安倍清明をして泰山府君祭を行はしめ給ふ、
長徳3年5月24日 (第二条)主計助安倍晴明をして、宜陽殿の御剣改作のことを勘申せしむ、
長保1年11月7日 (第四条)天文博士安倍晴明をして、防解火災祭の日時を勘申せしむ、
長保2年2月16日 天文博士安倍晴明をして、法興院行幸の日時を勘申せしむ、
寛弘1年7月14日 陰陽師安倍晴明をして、五龍祭を行はしむ、
寛弘1年9月25日 (第二条)道長、陰陽師安倍晴明をして、多武峯鳴動のことを卜はしむ、
寛弘2年3月8日 (第一条)(合叙)天文博士安倍晴明の事蹟、

寛弘1年9月25日の記事を確認したければ、御堂関白記の原文を画面で見ることができる。
日本史教科書の気になるキーワードを検索してみたらどうだろうか。

蛙泳と蛙王

[2008年08月25日(月) ]

平泳ぎの金メダリスト北島康介は、中国で「蛙王」とよばれている。
「蛙王」で検索してみる。
Wikipediaに「金蛙王」という項目があった。
金蛙王とは、高句麗初代国王、東明聖王(朱蒙)の父の名と説明されている。
また、「古代中国ではカエルを神聖なものとして扱うことが多く、その文化の影響を受けた朝鮮半島でも神聖なものとして扱ったと思われる。」とある。
今も蛙に神聖なイメージはあるのだろうか。

平泳ぎを中国で蛙泳というのは理解しやすい。
北島康介などトップスイマーの泳ぎはもっと洗練されているが、
私の泳ぐ姿はまさに蛙泳だろう。
記録をめざさない。
人と競わない。
なぜ泳ぐのかといえば、「適度な運動」が必要だからだ。
この年になると「激しい運動」はむしろ避けなければならない。
ゆっくりと水をかき、ゆっくりと水をけり、ゆっくりと息をつぐ。

秋になるとにぎやかだったプールも閑散としてくる。
これからが私の蛙泳の季節だ。

巻きなおしのとき

[2008年08月22日(金) ]

朝が涼しい。
のびきったネコも巻きなおっている。
夏が終わり、秋がくる。
そして、入試突破ステージが始まる。
長女の気合も巻きなおさねば。

夏休みの自由研究

[2008年08月21日(木) ]

夏休みの宿題の定番といえば、自由研究。
娘たちが小学生だったころ、親も苦労した。
自由研究の自由というのがくせもので、
放っておけばいつまでもテーマ自体が決まらない。
最後には親の趣味で決めてしまうこともあった。

家の近くには寺社が多い。
ある夏、子どもを連れて見てまわった。
家に一番近い真言宗の寺には石の三十三観音があった。
みな昭和6年に作られている。
その傍らには頭の欠けた石仏があり、光背に明治という文字が見える。
もともとあった三十三観音は明治のものであったらしい。
本堂も昭和6年の再建という。
偶然ではない。
ご住職が子どもたちにもわかるように解説してくれた。
昭和5年11月に北伊豆に大きな地震があった。
三島市で震度6を記録し、死者・行方不明者は272人にのぼったという。
観音も本堂も地震の被害をうけたが、
被害者の供養の意味もこめて昭和6年には再建されている。
境内には馬頭観音と牛馬供養碑もあった。
かつてこの地域で牛馬がさかんに飼われていたのだろう。
碑文から、牛馬も日中戦争の際に徴用され、多くはもどらなかったことを知る。

このお寺だけでレポートをまとめる材料は十分集まったのだが、
予定通りリストアップした寺社の調査を続けた。

秋にドングリを拾いにいく神社の祭神は天照大神である。
境内には、牛頭天王や大山祇命も祀られている。
説明板にはもともと別の場所に祀られていたとある。
明治の神社合祀を物語っているのだろう。
若者組の後裔である青年会の統合と神社合祀が連動するという例を知っているが、
この土地ではどうだったのだろう。
鳥居の脇には皇紀二千六百年記念の石柱がある。
神社名の上の「村社」という文字の部分が埋められている。
戦前、国によって神社が格付けられていたが、それを戦後消そうとしたものだ。

子どもの自由研究を名目に周辺の寺社を見てまわったが、
改めて、寺社は地域の記憶を保存する場所だと感じた。

子どもの自由研究は子どもの理解の範囲内でまとめられたが、
それなりに面白いものになったのではないかと思う。

高校生になると、夏休みの宿題で親が煩わされることもない。
だから、子どもの宿題ではなく私の自由研究のテーマとして、
もう少し周辺に範囲を広げ、寺社に地域の記憶をさぐってみようかと考えている。




夕刊の広告

[2008年08月20日(水) ]

「愛に定年はありません」サントリーマカ
「応援しよう。」セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン
「夏の甲子園03〜07不滅の名勝負」朝日新聞社(DVD)
「決め手はすっぽんの力」宝仙堂パワーライフ
「朝までひんやり、ぐっすり快眠」朝までクール(低反発冷却ジェルパッド)
「耳穴にスッポリささやき耳も鮮明に!」オムロンNEWイヤメイト(補聴器)
「スーパードッグカーニバル2008」(ドッグショーなどのイベント)
「自分の明日に、会いに行こう。」職場広場(合同企業説明会)
「レニングラード国立バレエ」光藍社
「私たちの身近にある「水」をもう一度見直してみませんか?」Sustainable Japan 2008(イベント)
「黒の5000円」銀座松屋(フォーマルウェアバーゲン)
「夜中に何度も、何度も起きる」陶陶酒本舗
「目立たない補聴器」ハーモニー補聴器
昨日8月19日の朝日新聞夕刊の広告を並べてみた。
ひところ、夕刊の広告は有名ブランドや自動車などがひしめいていたが、
だいぶようすが変わった。
夕刊の読者は相当疲れていると思われているらしい。

日本に古代はあったのか

[2008年08月19日(火) ]

井上章一著「日本に古代はあったのか」(角川選書)読了。
タイトルは疑問形だが、主張は明確に「日本に古代はなかった」である。

西洋史では西ローマ帝国の崩壊後(476年)、中世が始まると考えられている。
東洋史でも漢帝国の崩壊(220年)をもって中世が始まると考えるべきではないか。
これは、宮崎市定の考えらしいが、京大東洋史の祖、内藤湖南に始まる発想だという。
ユーラシア大陸の西と東を視野にいれ、構想は壮大である。
ヨーロッパではゲルマン民族がフランク王国・東西ゴート王国を建国し、
中国では魏・呉・蜀の三国時代を経て、北方民族の南下、五胡十六国が乱立する時代に至る。
古代の大帝国が崩れ、その後に異民族国家が誕生。
東西の中世史は並行して進むととらえている。

東洋の中世の始まりが3世紀であるなら、
そのころ、日本列島のどこかにあった邪馬台国も、中世東洋史に属す。
隋・唐という律令国家が中世なら、
天智・天武以降日本で形成される律令国家も中世で問題なかろう。
東西呼応する世界史の中に、
日本の古代史を特筆する意味はなくなる。
なかなか、大胆だが、惹かれる主張である。

日本の歴史を世界史の中にとらえることは重要だと思う。
東洋の中世を叙述する際に、邪馬台国がでてきても何ら不自然はない。
しかし、日本には古代がなく、中世から始まるといういい方は変だ。
世界史の中で考えるなら、日本だけ取り出して古代・中世をいう必要はない。
さらにいうなら、東洋に西洋の時代区分を適用することの是非も論じなければならない。
歴史はみな同じ段階をたどるべきものなのだろうか?

中世は鎌倉幕府、近世は江戸幕府の開府に始まる。
筆者はそうした時代区分を否定する。
京(関西)の旧体制が否定されて関東で新時代が始まるという歴史観だと考えるからだ。
これを、東大中心の関東史観と名づけている。
もっとも「日本中世史」を書いて、日本の中世が鎌倉時代とともに始まるとしたのは京大教授の原勝郎である。
ただし、筆者は原が東北生まれで東大に学び、子どもが京都弁を使うのを嫌ってなぐったというエピソードの紹介を忘れない。
関東史観の誤りを糾そうと、京大の日本史研究者は努力し、
ようやく東大の日本史研究者にも、院政期以前に中世が遡ることを認めさせたのだそうだ。
(まだ、日本に古代はなかったと主張するところまではいたっていないようだ。筆者は東洋史・西洋史の京大研究者が結束して関東史観を払拭せよとけしかけるのだが……)
だから、関西人でありながら関東史観に毒されて鎌倉を評価する司馬遼太郎は許せない。
そんなふうに展開されると、あれあれと思ってしまう。

せっかくユーラシアの東西に広げた視界、
そんな小さなところに収斂させてしまうとはもったいない。

戦争終結の詔勅

[2008年08月15日(金) ]

1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾し、連合国に降伏することが公表された。
(決定は前日の14日に御前会議で行なわれている。)
戦争終結の詔勅は昭和天皇自らが読み上げ、ラジオを通じて全国に伝えられた。

その原本を国立公文書館のサイトで見ることができる。
http://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/s20_1945_04.html

原爆を「残虐なる爆弾」と非難するが、
戦争を継続すれば「民族の滅亡」を招き、「人類の文明の破却」に至ると、
ポツダム宣言受諾による終戦がやむをえない理由を説明している。
開戦は「帝国(日本)の自存」と「東亜の解放」が目的であったとするが、
敗戦を受け入れざるをえない戦況の中では、
「国体の護持」をせめてもの救いとし、戦後の困難に耐え、
「神州の不滅」を信じて、将来の建設に総力を尽くすよう諭している。

戦後生まれにとっては、解し難いことばが並ぶが、
当時の人々はどのように聞いたのだろうか。

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