最新記事
最新コメント
シルバーバック
戸塚教授の「科学入門」 (2008年11月11日)
sugar
戸塚教授の「科学入門」 (2008年11月11日)
シルバーバック
ネコにかまれる (2008年10月28日)
上野国出身者
ネコにかまれる (2008年10月28日)
シルバーバック
模試の成績と願書 (2008年10月22日)
上野国出身者
模試の成績と願書 (2008年10月22日)
シルバーバック
模試の成績と願書 (2008年10月22日)
上野国出身者
模試の成績と願書 (2008年10月22日)
シルバーバック
文理選択 (2008年10月20日)
sugar
文理選択 (2008年10月20日)
プロフィール

元大学受験コースの答案提出応援団長。家に帰れば受験生の父でもある。

プロフィール

最新トラックバック
日本に古代はなかった (2008年10月13日)
小栗のサイト集情報 (2008年04月04日)

http://www.zkaiblog.com/hi06/index1_0.rdf

祭囃子が聞こえる

[2008年07月17日(木) ]

会社を出て家に着くまでのところどころで、鉦の音が聞こえる。
三島周辺ではシャギリというらしい。
子どもたちが、鉦を連打し、掛け声をそろえる。
威勢の良さは、故郷の祭囃子とは比べものにならない。
故郷の祭囃子は、ゆっくりで、笛の響きに余韻があった。

シャギリのリズムは後をひく。
遠ざかっても、そのリズムから逃れるのは難しい。
頭に響く鉦の音を口づさんでいたりするのだ。

それでも、ふと、故郷の祭囃子を聞くことがある。
みんな寝静まった夜更けに。

板倉勝静と山田方谷

[2008年07月16日(水) ]

恩師と同窓生20数名で毎年夏に泊まり込みで研究会を行っている。
参加者は高校・中学の日本史・社会科教員が多い。
大学教授、博物館職員、文科省職員もいるが、私企業に属しているのは私だけだ。
立場はそれぞれだが、同窓生という信頼があって率直に議論できるのがうれしい。

開催地は毎年変わる。
今年は鳥取県の米子市ということで楽しみにしていた。
空路、羽田から米子に飛ぶのが一番早い。
でも、新幹線で三島から岡山まで行き、岡山から伯備線で米子に行くほうが安い。
それなら、備中高梁駅で途中下車し、備中松山城を見たいと思った。

幕末、備中松山城の主は板倉勝静だった。松平定信の孫にあたる。
勝静は山田方谷という陽明学者を登用して藩政改革にあたらせる。
この山田方谷という学者はただものではない。
(長岡藩の河合継之助も方谷に教えを乞うたという。)
大坂商人に藩の収支を説明し、借金の返済猶予を認めさせる。
信用の低下した藩札を回収して公衆の面前で焼き払う。
産業を興し、窮民救済策を実施し、農兵を組織するなど、豪腕を発揮する。
こうして、破綻寸前の藩財政の立て直しに成功するのだが、
その結果、板倉勝静は、老中に任じられ、幕政の立て直しを託されることになる。
勝静は当然、方谷をブレーンとして期待するのだが、
方谷はすでに幕府の衰退を見通していて、逆に老中を辞して領地に帰るよう勝静に勧める。
しかし、徳川吉宗・松平定信の末裔という自負がそれを許さない。
結局、勝静は幕府の最後を見届けることになる。
慶喜の意をうけて大政奉還に尽力するが、戊辰戦争を避けられず、旧幕府軍とともに奥羽で戦い、箱館にまで行ってしまうのだ。
一方、備中松山城にあった方谷は新政府軍に降伏し、新藩主を擁立する。
それしか領民と主家を守る方法はなかったのだろう。
結局、勝静は箱館から家臣に連れ戻され、新藩主を認め隠居する。
方谷の言を用いなかったことを悔やんでも、方谷を恨んだりはしなかったようだ。

祖母の法事と重なり研究会への参加がかなわず、本当に残念だ。
板倉勝静と山田方谷ゆかりの備中松山城探訪、次の機会があるだろうか?

参考:矢吹邦彦著「炎の陽明学−山田方谷伝」(明徳出版社)

毒蝶と擬態

[2008年07月15日(火) ]

日曜日の午前中、妻は家のまわりの植え込みを手入れしていた。
見慣れぬ蝶がふわふわと飛んでいるのに気づく。
最初は特にどうとも思わなかった。
オレンジ色に黒い斑点が鮮やかな蝶である。
飛び去ったかと思うとまた戻ってくる。
なんだかわが家をうかがっているように感じ、妻は不審を抱いた。

早速、ネットで調べる。
ヒメアカタテハ、ベニシジミ
似ているように感じるが、いずれも小型の蝶という説明があり、あてはまらない。
いくつものサイトをまわっているうちに、そっくりな蝶を見つけた。
カバマダラという蝶だ。
熱帯性の蝶で、日本に迷いこむこともあるようだが、まれなのだという。
ということは、やはり違うのか?
このカバマダラという蝶、毒蝶だということで鳥たちには大変嫌われている。
だから、擬態する蝶も多いのだという。つまり、似た蝶がいるということだ。
本来、西日本が生息域だが、近年、東海・関東でも観察されるようになったというツマグロヒョウモンが怪しい。
生息域が違う蝶の擬態で捕食者に「食ったら毒だぞ」とアピールできるのだろうかという疑問は残るが、それは置いておこう。
ツマグロヒョウモンの幼虫はスミレ類を食べるという点が重要である。
ここで、妻はようやく事件を解決する鍵を握ったのである。
玄関先にパンジーが植えてある。
犯人は卵を産む機会をうかがって、パンジーのまわりを飛んでいたのだ。
私は妻の名探偵ぶりに拍手した。

これで物語は終わったのかと思ったのだが、そうではなかった。
ずっと、蝶やその幼虫の写真を見つづけた妻。
「気持ちが悪くなってしまったから、昼食は作らなくていい?」
そうきたか。

模擬試験二日目を終えて帰ってきた長女とともに店で中華丼を食べた。

団地の給水タンク

[2008年07月14日(月) ]

昨日、テレビで団地の孤独死についての特集を見た。
高度経済成長期、人々は農村から都市部に大量に移動した。
そうした人々の住宅として作られた団地で孤独死が今問題になっている。
最新のライフスタイルに合わせて作られたはずの団地も、
住民とともに歳を取り、老朽化してしまっているのだ。
団地の住人は核家族が多かった。
核家族用の間取りは2世帯で住むには狭すぎる。
結局、団地には老人だけが取り残されている。
つれあいがいればいいが、なければ孤独死しても容易に人に知られない。

私は小学生だったころ、団地に憧れていた。
私自身は商店街の中にある店舗兼用の住宅に住んでいたが、
小学校の同級生に団地の住人がいた。
父親は大きな企業に勤め、母親は専業主婦、両親ともに教育熱心で、その子も学業優秀だった。
初めて団地の敷地内に足を踏み入れたとき、空気の違いに気づいた。
商店街ではいろいろな匂いがする。
豆腐屋の前は蒸した大豆の匂い、魚屋の前は潮の匂いがする。
なのに団地の中は、季節の花が咲き匂っていたのである。
見上げれば、整然と高層の建物が並ぶ。
(高層といっても4〜5階建てであったが、当時はそれでも十分高層だったのである。)

しばらくして、寝苦しい夜に恐ろしい疑いを抱いた。
団地の住民は選ばれた人たちである。
ある日、一斉に地球を飛び立ってしまうのではないか。
団地の屋上には給水タンクが設置されているが、
あれは月着陸船なのだろう。
(アポロ11号の月着陸船は団地の屋上の給水タンクにそっくりだった。)

結局、団地の住民が一斉にいなくなることはなかった。
しかし、同級生一家は家を建てて団地から引っ越した。
一度、その家も訪ねたが、新しくてもふつうの住宅で少しがっかりした。


オープンキャンパスと巨匠対決

[2008年07月11日(金) ]

志望大学はなるべく早く決めたほうがいい。
そうしないと、覚悟をもって勉強することができない。
だからといって、親主導で大学・学部を決めてしまうわけにはいかない。
昨年、高2の夏になっても部活優先で進路を考えようとしない長女がもどかしかった。
なんとか気持ちに火をつけたいという思いがあって、オープンキャンパスに連れていった。
最初は友達を誘って行ってごらんと勧めたのだが、なかなか具体化しない。
結局、私が日程や段取りを決め、長女とその部活仲間を引率する形になってしまった。
保護者同伴のオープンキャンパスなんて、みっともない。
親離れできない子、子離れできない親、いずれにしても嘆かわしいものだ。
そう思っていたのに、まったく面目ない。
(午後は別行動だった。私は個人的に参加している研究会のため海辺のホテルに宿泊、長女らは部活で必要な道具を物色してから新幹線で帰った。)

今年もまたオープンキャンパスの季節になった。
<Eye-z 2008年オープンキャンパス情報>
http://www.zkai.co.jp/z-style/eyez/080429.asp

「今年はオープンキャンパスに行く予定はないの?」と聞くと、
「去年行ったからいい。」という返事だ。
結局、去年連れて行った大学が長女の第一志望ということになっている。
別に第一志望を変える必要はないが、併願する大学の雰囲気を見ておいたほうがいいのではないか。
進学先となる可能性が高いのは第二志望のほうかもしれない。
なかなか一人では行動できない長女。
今年も私が連れ出さなければならないのだろうか。
長女をオープンキャンパスの入り口まで連れて行き、自分は東京国立博物館にまわるというのは悪くない考えだと思う。
<東京国立博物館特別展「対決−巨匠達の日本美術」>
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=5315





アボガド丼

[2008年07月10日(木) ]

祖母の通夜と葬儀に高校生の娘二人を同行するかどうか迷った。
ちょうどテスト期間中だったからだ。
テストは午前中だけなので、通夜だけなら参列できる。
ただ、その場合、私と妻は葬儀に参列するため泊まり、
娘二人だけ群馬から静岡に帰らせることになる。
もう高校生なのだからできない話ではないと思う。
ただ、帰宅は深夜になる。
物騒な世の中、親として心配でないはずがない。
もちろん、娘たちは最後のお別れをしたい気持ちが強かったが、
最終的には私の判断にしたがってくれた。
朝、自分たちで起きて学校に行き、テストをきちんと受け、
帰ってきたら家で静かに祖母の冥福を祈ると約束したのである。
葬儀が終わり帰りの新幹線の中から妻が娘にメールをした。
もう夕食を済ませたかと。
返事には夕食の写真が添えられていた。
なんと、アボガド丼。
アボガドをスライスしてご飯の上に載せ海苔をちぎる。
ワサビ醤油をまわしかけて食べたのだという。
簡単だけどおいしかったと感想がそえられてあった。

91歳の添削受講

[2008年07月09日(水) ]

先週、祖母の葬儀のため帰省した。
通夜の席で、喪主をつとめた兄が祖母の晩年を物語る資料を披露してくれた。

ノートがあった。
最初の数ページは贈答の記録のようであった。
裏表紙側からめくると、
百人一首や斉藤茂吉、窪田空穂などの短歌が書き写してあった。

一同が顔を見合わせたのは、数通の封筒の中身が取りだされた時である。
祖母の短歌に指導の朱字が施されたものが出てきたのだ。
(当然、Z会の通信添削ではない。放送局主催の短歌講座を受講していたようだ。)
祖母の文字にかつての流麗さはない。
むしろ、一画一画を大切に書いたことがうかがわれる文字だ。
短歌は30首ほどあったが、娘に伝えたいと思い数首を手帳に書きとめた。

  控え目に控え目にと心して寡黙の吾を読書が救う

祖母の原句は上の句が字足らずであるため、添削されて次の形に改められている。

  控え目にせむ控え目にと心せる寡黙の吾を読書が救う

祖母は、孫の目にも、控え目というタイプには映らなかった。
多趣味で外出好きで友人がたくさんいた。
しかし、高齢になり友人を見送ることが多くなり寂しかったようだ。
話題が豊富な祖母も耳が遠くなると会話に参加しないことが多くなった。
そんな気持ちを詠んだものなのだろう。
年齢欄をみれば、91歳とある。
「控え目に」といいながら、90歳を超えて、自分で添削講座を選び受講手続きをする。
向上しようという意思を実行に移すのにためらったりしないのが祖母だ。

最後の3年は寝たきりになってしまったが、
密度の濃い103年間を生きたのだと思う。

模試から夏休みの学習課題を設定

[2008年07月08日(火) ]

高校1・2年次は部活に明け暮れ、夏休みの宿題で手一杯であった長女。
今年の夏休みこそ、悔いが残らないようきちんとした学習計画を立てたいという。
そこで、アドバイス。

まず、学習の目標を決めなさい。
直近の模擬試験の成績データが材料である。
第一志望の判定はなかなか厳しい。
どうすれば合格ラインに届くかを考えれば、やるべきことが見えてくる。

英語はまずまずの点が取れている。
毎日一定のペースで問題をときつづけるとよい。
他教科とのバランスも考えながら、強みを磨いてほしい。

国語は得点のわりに偏差値がいい。
つまり、そう高得点が望める教科ではないということだ。
国語は、古文・漢文でできるだけ点を稼ぎたい。
文法・語彙の確認が第一。古文・漢文の常識を身に付けると思わぬ失点が防げる。
問題集を解くばかりではつまらないというなら、
原文・現代語訳対照の作品を読書のつもりで読むのもよいだろう。
現国は小説に比べ評論文の失点が大きい。
どこに何が書いてあるかを図式化するつもりで新聞の文化面を読んだらどうだろうか。

一番得点力を高める余地があるのは日本史である。
模試の得点状況を確認してみると、古代と近世、それに文化史が十分でないことがわかる。
(直近の模試は近現代が範囲外であった。)
まず、教科書の古代・近世を読み直せ。
本文だけでは足りない。欄外の註や図表こそ出題のねらい目なのである。
重要語句は書いて覚えよう。一問一答式の問題集で知識の定着を確認する。
(長女の場合、志望大学の出題傾向への対策よりまず基礎固めをさせたい。)
どうしても覚えにくいものは目立つところに貼っておくとよい。
文化史は教科書を読んだだけでは頭に入らない。
建物・絵画・彫刻は写真を確認しておこう。
著作物もタイトルだけ覚えてもしょうがない。
歴史的に評価されるどんな特徴のある作品か用語集などで調べておきたい。
ひと手間かけることで、かえって覚えやすくなるように思う。
近現代史はちょうどZ会のカリキュラムの7・8月に当たっている。
活用すればよい。

学習計画は時間割を作ることではない。
確認した目標を達成するためにやらなければならないことを書き出してみなさい。
その一つ一つをいつまでに終わらせるかがスケジュールになる。
毎週末にチェックして、無理そうな部分を修正していってもよい。
夏休みの終わりには、やるべきことのどれだけができたか、自分で確認できるようにしておきなさい。

いつになく神妙にアドバイスを聞いていた長女。
成果やいかに。


携帯電話の機種変更

[2008年07月07日(月) ]

日曜日の夕方、次女と携帯電話ショップにでかけた。

半年前ぐらいから携帯電話の機種変更をしたいとねだられていたのだが、
使用中の電話機に特に不具合があるわけではないので、「だめ」といいつづけてきた。

そこに、妻が悪智恵をつけた。
「貯めた小遣で機種変更する」と次女がいいだしたのである。
認めないわけにはいかない。
小遣いを渡すときにこう宣言してある。
小遣いは毎月一定額を渡す。
もし、欲しいものがあるなら、小遣いを貯めて買いなさい。
よほどのことがない限り使い方に干渉しない。
無駄遣いを後悔することも金銭感覚を養うためには必要だろうと考えるからだ。

貯めた小遣いでまかなうなら、一人で機種変更をしてくればいい。
それなのに、次女は私の同行を求めた。
保護者の同意が必要かもしれないから、というのが理由だ。
本当は、機種変更に前向きでない私を立ち会わせておいたほうがいいと考えたのだろう。
機種変更に立ち会ったという事実があれば、私の承認は否定しえないものになる。

携帯電話ショップには最新機種が展示されていた。
3〜4万円の価格がついている。
次女が少しずつ貯めた小遣いでまかなえるものではない。
「少しは援助してくれてもいいじゃない」と目で訴えてくるが、動じるわけにはいかない。
少し古い型番なのだろう。新規購入0円という機種がある。
それでも、機種変更となると1万円以上になる。
結局、次女はその次の機種変更数千円のグループの中から一つを選んだ。

見た目は最新機種とそう変わらない。
画面が大きくてスッキリしたデザイン。
ワンセグも見られる。
「今使っているものよりずっといい」と次女は満足顔である。

いろいろ説明を聞いてみると、
ポイントを充当したり2年間は機種変更しないという特約をつけたりで、
掲示の機種変更価格から大幅な割引となり、次女の負担は千円札1枚で済んだ。

でも、私としては釈然としない。
まだ、使える携帯電話があるのに機種変更するなんて、モッタイナイ!
私の携帯電話はぶこつな旧式で瑕だらけだが、壊れない限り使うしかないと思う。

Wikipedia以前

[2008年07月05日(土) ]

人間ドックの待ち時間に、大隈和雄著「事典の語る日本の歴史」(講談社学術文庫)を読んだ。

タイトル通りわが国の事典についての歴史だ。
最初に取り上げられているのは菅原道真が編纂した「類聚国史」である。
六国史(「日本書紀」から「日本三代実録」までの官撰歴史書)の記事を再編集したものだ。
再編集するとはどういう意味だろう。
編年体で書かれた歴史書では、どこに何が書かれているかわからない。
それを項目ごとに分類することによって検索しやすくしたのである。
「貴人官人の政務処理のためのハンドブックとしてだけでなく、有職故実や古典の研究のための座右の書となった。」とある。
また、「類聚国史」の分類が江戸時代の後半、塙保己一の「群書類従」に踏襲されているというのだから、いかに大きな影響を後世に及ぼしたかわかる。

以下、日本最初の百科事典といわれる「倭名類聚抄」から1908年に三省堂が刊行した「日本百科大辞典」まで取り上げられている。

「古今著聞集」が出てきたときは、説話集なのにどうして?と思った。
著者はその構成に注目する。
神祇に始まり魚虫禽獣に至る30項目に整然と分類・整理されている点だ。
「一つの編目を通読すれば、その編目について鎌倉時代の貴族として知っておくべき知識が得られるという性格をもつものだった」のだそうだ。
「太平記」も事典という体裁からほど遠い。
なのに著者は「太平記」は百科事典的な読まれ方をしたという。
「太平記」には中国の古典が随所に引用されている。
それは、物語としてのまとまりを破綻させるほどだ。
武士にとって必要な知識を盛り込んだためなのだという。
合戦に参加した武士の名前がおびただしく書き連ねられているのも、
確認すべき祖先の名だったからだそうだ。

私は大学生であったころ、大学の中央図書館の地下に「古事類苑」が並んでいるのを見た。
西村茂樹が1879年に建議してから刊行終了まで35年を要した1000巻である。
ただし、私が見たのは51冊の洋装本であったようだ。
近代日本の国家的な百科事典刊行プロジェクトの成果に圧倒された。

今、私たちはWikipediaを手軽で便利なものとして使っている。
手軽で便利なものを使うことを後ろめたく思う必要はないだろう。
先人の工夫もいかに使いやすくするかにあったはずだからである。
ただし、心して使いたい。
その知は人々が大切に受け継いできたものなのだから。

前へ | 次へ