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[2008年06月16日(月) ]
休日、わが家は二派にわかれる。
次女と私の早起き派。
長女と妻の朝寝坊派。
昨日、次女が一番の早起きで、
私が起きて一階に降りたときには、もう、キッチンに立っていた。
新聞を読んでいると、次女が焼きあがったクレープとジャムとツナと野菜とマヨネーズを持ってきた。
一緒に食べようというのだ。
十数枚あったのだが、「おいしい」「おいしい」と食べすすめ、
気がつけば、あと数枚。
長女と妻の分を残さないといけないと思ったが、
「いつ起きてくるかわからないから全部食べよう」
と次女がいう。
思えば、それが次女の「父の日」であったのかもしれない。
[2008年06月14日(土) ]
ストーカー判事「罷免相当」東京高裁報告という記事があった。
http://www.asahi.com/national/update/0613/TKY200806130105.html
どうやら最高裁から訴追が行なわれ、
裁判官を罷免するかどうかの弾劾裁判が行なわれるらしい。
弾劾裁判所について調べてみると、公式サイトがあった。
http://www.dangai.go.jp/
「裁判官弾劾裁判所とは?」という解説にはじまって、
制度のしくみや歴史など丁寧な説明がある。
現代社会、政治経済で受験する人は見ておくとよいかもしれない。
過去の事件と判例というページを見ると、
弾劾裁判はこれまで、そう頻繁には行なわれていないことがわかる。
50年にわたる歴史の中で訴追が7件、資格回復裁判請求が6件である。
平成になってからは13年に訴追が1件あるだけだ。
けれど弾劾裁判所は常設であり、参議院第二別館内に専用の法廷まで備えている。
平成18年の財務書類が公開されている。
歳出額は112百万円。
ほとんどが人件費だ。
事務局の定員は12人。
この年、裁判があったとは記録されていない。
弾劾裁判のないとき、事務局の職員は何をしているのだろうか?
[2008年06月13日(金) ]
手元に社団法人日本新聞協会の「2007年全国メディア接触・評価調査報告書」がある。
http://www.pressnet.or.jp/adarc/data/rep/index.html
年代別のメディア接触率が興味深い。
新聞の接触率は、15-19歳が79.6%と最も低い。
20歳代83.1%、30歳代88.9%、40歳代96.7%、50歳代96.0%。
年代があがるにしたがって接触率も高まっている。
しかし、15-19歳も8割が新聞を読んでいるということなら、
高校生の新聞離れもいうほどのこともないのかもしれない。
毎日読んでいるは15-19歳が36.9%である。
やはり高校生が新聞を読んでいるとはいいがたい。
20歳代も34.1%と低い。
20歳代の3人に2人は毎日は新聞を読まない。
これも深刻である。
採用面接で「今朝の新聞で興味をもった記事は何ですか?」なんて聞いても、
「今日は朝早く家を出なければならなかったので読んでいません。」
なんて答が多かったが、そういうことか。
30歳代53.8%だって、もう少しあってもいいのではと思う。
40歳代70.8%、50歳代80.2%は当然の数字であろう。
テレビはまんべんなく高い。
15-19歳99.5%、20歳代97.5%、30歳代99.0%、40歳代99.3%、50歳代99.5%である。
年代ごとの差が大きいのはインターネットだ。
15-19歳88.3%で、20歳代88.9%、30歳代84.9%、40歳代77.0%、50歳代47.0%。
40歳代に境がありそうだ。
ちょっと意外だったのはラジオである。
15-19歳35.9%で、20歳代40.2%、30歳代49.0%、40歳代62.4%、50歳代64.0%。
完全に年齢と反比例の関係にある。
年齢を重ねるごとにラジオを聴く人が増えるということだろうか、
それとも、ラジオを聴かない世代が増えていくということだろうか。
深夜放送を聴きながら受験勉強というのは今のスタイルではないらしい。
中島みゆきのオールナイトニッポンが懐かしい。
[2008年06月12日(木) ]
「愚管抄は慈円でよかった?」
風呂あがりの私に長女が尋ねる。
「そうだよ。愚管抄は、摂関家出身で天台座主になった慈円の史論だ。」
用語集か日本史事典で調べなさいというべきところ、
出会い頭に問われたため、つい答えてしまう。
「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや、だよね。」
長女は、眼を輝かせて問いを重ねる。
「それは歎異抄、慈円じゃなくて親鸞だよ。」
つい、不正確ないい方をしてしまった。
歎異抄は、親鸞の著作ではない。
親鸞の弟子唯円が、「親鸞の正しい教えはこうだ!」と主張した本が歎異抄である。
親鸞の教えとは異なる説が流布していることを歎いたから歎異抄という。
長女が受けた日本史の実力テスト。
愚管抄について正しく説明した文を選べという問題でひっかかったらしい。
「愚管抄に歎異抄?ああ、紛らわしい!」
確かに、慈円も親鸞も同時代人であるし、書名も似ている。
まあ、一度悔しい思いをしておけば記憶が鮮明になる、と慰める。
長女は日本史の教科書を読んでもちっともイメージが湧かないという。
「日本史の教科書の登場人物はキャラが立ってない!」
いちいちキャラを立てたら、何ページになると思う?
「いっそ、歴史小説を片っ端から読もうかな。」
それはいい考えだ。
倉田百三の「出家とその弟子」を読めば、親鸞と歎異抄は強烈に結びつくだろう。
しかし、危険だ。
長女は本を読み出したら止まらない。
日本史以外はどうするつもりだ?
[2008年06月11日(水) ]
次女の高校に教育実習生が来ている。
感想を聞いてみたが、まだ、授業をうけていないのでわからないとのこと。
そこで、教育実習生を迎える高校生の心得を伝授する。
ある国立大学附属高校の先生に教えてもらったものだ。
「教育実習生を迎える高校生には、実習生を鍛えるという使命がある。徹底的に予習をし、実習生がたじろぐ高度な質問を用意せよ。」
かの附属高校は指折りの進学校である。
だから、実習生が何をどう教えようが、生徒は自分なりの勉強をする。
つまり、実習生の授業から多くを学ぼうとは期待していない。
放っておけば、なごやかに教育実習がおわる。
実習生は「すばらしい思い出」を持って帰るだろう。
しかし、附属校の先生は、それを不幸なことだと考える。
生徒になめられたことに気づかずに、授業をなめた教師が生まれてしまうからだ。
徹底した予習をいうのは、もちろん生徒のためである。
「教師の力量不足を補うために、予習を確実にせよ。」
というようないい方では生徒に響かない。
「教師を上回る教科理解をもって教師に立ち向かえ。」
攻撃的な言い方だからこそ、生徒の気持ちに火がつく。
教師練達の技といえよう。
生徒の高度な質問にたじろぐ教育実習生は、教材研究の重要さを痛感させられる。
きちんとした教材研究を経て、きちんとした授業を行なうことができる。
痛みをもってそう気づくことが、教師の原点になる。
しかし、この心得を伝授されたわが家の次女は眉をひそめる。
「そんなの無理!」
今だって宿題と予習がやりきれていない。
教育実習生がたじろぐような高度な質問なんて望みようがない。
[2008年06月10日(火) ]
秋葉原の惨劇後、いろいろな検討が始まっているらしい。
歩行者天国の休止。
ナイフ購入の規制。
派遣労働のあり方についての検討。
それぞれ理のあることと思う。
その一方でまた対症療法に過ぎないとも思う。
江戸中期の京都町奉行所与力が書いた「翁草」という本がある。
信長や家康など戦国時代以降の逸話を集めたものだ。
どこまで史実を伝えているかは疑問だが、読み物としては面白い。
そこに、こんな話が載っている。
旅の僧が小田原城下の制札を見て、
「北条氏も長くはあるまい」とつぶやいた。
町奉行が聞きとがめて、「理にかなわぬ禁令があるか」と問うた。
僧は答えた。
「理にかなった禁令ばかりだ。しかし、30年前に見たときは5条、今見ると30条に増えている。国主に威があってよく治まっているときの禁令は少ない。こまごまとした禁令が必要になるのは、民の心が離れてしまっているからではないか。」
これは4代北条氏政のころの話だ。
北条氏は5代で滅んでいる。
今という時代はどうだろう。
国民主権を自覚するならば、為政者ばかりを責めることはできない。
法は権力や罰則によって守られるものではない。
それ自身が倫理であり公益であることによって守られる。
そう、信じたい。
なのに、人を傷つけてはならないという最も基本的な法が、
かくも無残に踏みにじられている。
危険なナイフは規制されるべきだろう。
しかし、人を傷つける方法はほかにもある。
たくさん規制したから安心が高まるわけではない。
阻害された人の心が凶器と化しているのだ。
[2008年06月09日(月) ]
「昨日、コンタクトはずさないで寝ちゃった。」
土曜の朝、次女が起きてきて最初にいった言葉だ。
見れば、制服を着たまま。
夕食の後、風呂に入ろうと着替えを自室に取りにいった。
その先の記憶がないのだという。
「お父さんは、はずし忘れたことある?」
と聞くから、正直にあると答える。
寝入ってしまい、夜中にはずすということならたびたびある。
一晩そのままというのは滅多にはないが、これまでに数度はある。
一回は、眼の裏にまわってしまった。
(本当は眼の裏にまわったりしないのだが、その時はそう思った。)
このままもどらないなら手術で摘出するのだろうか、と考えてあせった。
目薬をさし、必死にまばたきをして表にもどすことができた。
そんな話をして、
恐いから、お互い、寝る前にコンタクトをはずそうと誓った。
しかし、根本原因は次女の睡眠不足である。
何か手を抜けるといいのだけど‥‥。
[2008年06月06日(金) ]
長女が文化祭を最後に部活を引退した。
3年生3人、2年生4人という小さな部である。
今年、新入生が2人入部したが、
3年生の引退で1名減の6人。
それでも、新入生を確保し、
部の存続を確保できた。
少子化にともない、入学定員を減らす高校も多い。
伝統ある部が新入生を確保できずに休部になるという例もある。
長女は部長として最も重要な責任を果たすことができた。
小さな部は小さな部なりに、まとめるのが大変だったという。
みんな、普通につきあう分にはうまくやれる。
しかし、部活に真剣であればあるほど、意見は対立する。
絶対の正解があるわけではないから、
考え方の違い、趣味の違いがいつまでも収斂されない。
長女にもこだわりはあるのだが、まとめるのが役目。
グッとこらえて調整したのだという。
妻はよく長女のグチを聞かされたようだ。
だが、良い経験をしたと思う。
社会に出てからも、人と折り合いをつけていくことは重要だ。
だから、これまでのことは良しとしよう。
定期試験も模擬試験も、そしてZ会も、部活の前に軽んじられてきた。
長女はようやくこれで受験に専念できる。
[2008年06月05日(木) ]
昨日は道路交通法について書いた。
法律を知るのは難しいという趣旨だったが、
話はまだ終わらない。
実は法律を読んだだけでは法律を守れないことがあるのだ。
法律にはよく「政令」という言葉がでてくる。
たとえば道路交通法の11条には歩道がある場合、人は歩道を歩けと定めている。
ただし、車道を歩かなければならない場合もある。
「学生生徒の隊列、葬列その他の行列(以下「行列」という。)及び歩行者の通行を妨げるおそれのある者で、政令で定めるものは、前条第二項の規定にかかわらず、歩道等と車道の区別のある道路においては、車道をその右側端(自転車道が設けられている車道にあつては、自転車道以外の部分の右側端。次項において同じ。)に寄つて通行しなければならない。」
学生生徒の隊列と葬列は車道を歩けとのことだが、その点については深入りしない。
法律で予め「具体的なことは政令で定める」としている例を紹介することを優先したい。
政令とは内閣が定める命令のことである。
道路交通法のためには道路交通法施行令という政令がある。
信号の色の意味も、施行令に定められている。
法の11条に対応するのは、施行令7条である。
「車道を通行しなければならない」とされているものは三つ。
一番めが、「銃砲を携帯した自衛隊の行列」
二番めが、「旗、のぼり等を携帯し、かつ、これらによつて気勢を張る行列」
つまりデモ行進である。
さて、次に何がくるか想像してみてほしい。
三番めは、何と!
「象、きりんその他大きな動物をひいている者又はその者の参加する行列」
なのである。
確かに歩行者の通行を妨げるおそれがある。
ということなので、象を散歩させるときは車道を通らなければならない。
では、ゴリラを連れたときはどうなんだろう?
[2008年06月04日(水) ]
改正道路交通法が施行され、
自動車の後部座席でもシートベルトを着用しなければならなくなった。
そう、報じられている。
国会が開かれるたびにたくさんの法律が成立しているが、
そのほとんどは内容が報じられない。
つまり、知りようがないのだが、
知らずに行なった違法行為であっても許されないというのが原則である。
これは非常に恐いことではないだろうか。
道路交通法というのは比較的なじみのある法律で、
自動車免許取得のためには内容を知らなければならない。
(自慢ではないが、私は30年間無事故無違反の優良ペーパードライバーである。)
しかし、道路交通法もたびたび変わる。
改めて道路交通法を読んでみた。
シートベルトの着用を定めているのは、
71条の3である。
まず、最初に「自動車の運転者は」
「当該自動車に備えなければならないこととされている座席ベルト(以下「座席ベルト」という。)を装着しないで自動車を運転してはならない。」とある。
次に「自動車の運転者は」
「座席ベルトを装着しない者を運転者席の横の乗車装置(当該乗車装置につき座席ベルトを備えなければならないこととされているものに限る。以下この条において同じ。)に乗車させて自動車を運転してはならない。」とあって、
さらに、「他の者を運転者席の横の乗車装置以外の乗車装置に乗車させて自動車を運転するときは、その者に座席ベルトを装着させるように努めなければならない。」と続く。
「横の乗車装置以外の乗車装置」というのが、後部座席ということなのだろう。
(例外規定もあるのだが、引用した部分だけで十分ややこしいので省く)
「運転手は自分を含めて、乗っている全員にシートベルトをさせなければならない」
と書かないところが法律である。
国語力的にはどうなんだろう?
と書いたのだが、引用したのは旧規定であって、改正後、
「自動車の運転者は、座席ベルトを装着しない者を運転席以外の乗車装置(中略)に乗車させて自動車を運転してはならない。」
となっているらしい。
http://allabout.co.jp/finance/carinsurance/closeup/CU20070731A/index2.htm
国語力的には向上している。
しかし、別の問題がある。
最初の引用は電子政府の法令検索を利用したものだ。
改正法が施行されているのにも関わらず、
改正前の法律が出てきてしまうというのはどうしてだろう。
やはり、素人が現行法を確認するのは難しい。