[2008年06月30日(月) ]
日曜日午後8時からの大河ドラマ「篤姫」。
妻と長女と見ていたら、将軍家定が餅を焼き、篤姫にふるまっていた。
「家定と篤姫は本当にこんなに仲がよかったの?」
妻の疑問だ。
さあ、それはわからない。
ただ、篤姫が白い歯を餅にあて、はにかんで笑うということはなかったろう。
身分の高い女性であるならなおのこと「おはぐろ」をしていたはずだからだ。
和宮だって「おはぐろ」だったろう。
宮崎あおいや堀北真希が黒い歯を見せて「にっ」て笑うところを想像してみよう。
やはり、あまり時代考証に厳密でないほうがいいのかもしれない。
[2008年06月27日(金) ]
「なぜ、伊藤は大隈を政府から追い出したんだろう?」
帰宅直後、いきなり長女から明治14年の政変についての質問をぶつけられた。
「だって、悪いのは黒田でしょ!大隈は悪いことしていないのに、伊藤はヒドイ!」
どうやら長女は早稲田大学の創立者大隈重信びいきであるらしい。
西南戦争後、政府批判は自由民権運動の形を取るようになり、
国会開設の要求は日に日に高まっていった。
そのころ、伊藤博文と大隈重信はともに政府の中心であったが、
憲法制定・国会開設は避けて通れない課題であると認識を一致させていた。
しかし、大隈が独自に「立憲政体に関する意見書」を上奏したことに伊藤は立腹する。
そのころ、開拓使長官黒田清隆は、同じ薩摩出身の五代友厚に官有物を格安で払下げようとして、民権派の批判を浴びた。開拓使官有物払下げ事件である。
大隈の身内ともいえる大蔵省内からも黒田批判がおこった。
そのため、大隈は民権派と通じているとされ、政府内で孤立した。
伊藤にしてみれば、薩摩閥の重鎮である黒田を敵にまわすことはできなかっただろう。
なにしろ、当時の政府は薩長のバランスの上になりたっていた。
結局、大隈を追放して政府内の結束を固め、官有物の払下げは中止。
「国会開設の詔」を出して国会開設を約束し、民権派の批判をかわした。
以上のように説明できればよかったのだが、
知識にあやふやなところがあったので、ちょっと雑な答え方をしてしまった。
「そう黒田を一方的に悪者と決めつけないほうがいいよ。黒田は本気で北海道開拓を考えていたんだから。函館戦争ってあったでしょ。旧幕府軍最後の戦い。新政府軍を率いた黒田は、降伏した榎本武揚の命を必死で助けようとしたんだよ。男気のある奴なんだよ。伊藤だって、政府内部で大隈と黒田が対立したんじゃ、やってられないでしょ。薩摩と肥前のどっち取るっていわれたら、それは薩摩だよ。薩摩閥のほうが強いもの。」
少し気がひけたので、日本近現代史A牧原憲夫著「民権と憲法」(岩波新書)の明治14年の政変のページにしおりを挟んで渡した。
[2008年06月26日(木) ]
学部(学士課程)教育を根本から見直すよう、大学への圧力が強まっているのだという。
http://www.asahi.com/edu/university/zennyu/TKY200806230121.html
どこが圧力をかけているかというと、中央教育審議会や経済産業省である。
どんな圧力かというと、社会人としての基礎力を学生に教えろという圧力である。
社会人の基礎力とは、コミュニケーションスキル、情報リテラシー、自己管理力などである。
コア・カリキュラムを定め、学生の水準がどの段階か判定する点検表をつくり、
社会人基礎力が客観的に一定の質を保つよう迫られている。
コミュニケーションスキル、情報リテラシー、自己管理力。
社会人の基礎であることに異論はない。
しかし、それは大学教育に求めるべきことだろうか。
大学が定めた単位を履修していくうちに、コミュニケーションスキルが身につく。
情報リテラシーに明るく、自己管理力を備えた社会人のできあがり。
本当にそれが可能だと考えているのだろうか。
社会人の基礎力。
それは生活するうちに身につけるべきものと思う。
大学も学生にとっては生活の場であるから、責任の一旦は担うべきかもしれない。
しかし、すべてではないはずだ。
社会それ自体が教育機能を失いつつある。
だから、大学といわず学校に過度に教育を求める。
そんなふうに思われてならない。
コミュニケーションスキルを鍛えるなら、
大学教授よりもっとふさわしい人がたくさんいるはずだ。
[2008年06月25日(水) ]
中学から高校にかけて日記をつけていた。
誰にも見せないつもりだから、正直な気持ちを書こう。
そう思っても、正直な気持ちを言葉にするとウソ臭くなる。
正直な気持ちというのは、言語に整理する前の混沌をいうのだろう。
揺れ動く気持ちを言葉にするのは難しいと知った。
中学のとき、女の子と文通をした。
必ず返事をくれる男の子。
そう見込まれて紹介されたのだ。
少し気取った手紙を書いた。
少し気取った返事が届いた。
共通の話題は少なく、お互い自分のことばかり書いていた。
一度も会ったことのない相手だったから、
いつか会おうねと約束して、ついに会うことはなかった。
高校のころ、よく投稿をした。
新聞、雑誌の読者欄に数百字の文章を投稿すると、
掲載のお知らせと謝礼が送られてくる。
音信が途絶えていた友人から「見たよ」という連絡がうれしかった。
掲載されるコツがわかるとつまらなくなった。
コツは、
最初にとがったいい方をすること
具体例(実体験)を少し誇張して書くこと
少しひねった結びを用意すること。
今、ブログを書いている。
読んでくれる人のことを考えたり考えなかったりしながら、
問わず語りに綴っていこうと思うのだが、
それでいいのだろうか?
[2008年06月24日(火) ]
部活を引退した長女。
受験モードに突入したはずなのだが、今一つ集中しきれていないようだ。
宮城谷昌光「長城のかげ」や桐野夏生「光源」を読んでいる。
いずれも私の書架にある本だ。
宮城谷昌光は古代中国に題材をとった作品が多く、
漢文的な世界に親しむためには有益だろう。
ただし、作品数が多いだけにのめりこまないようにしてほしい。
問題は、桐野夏生だ。
「OUT」や「グロテスク」が入試問題に出ることはあるまい。
描かれているのは救いのない世界なのだが、作品には病みつきになる魅力がある。
入試が終わるまで隠してしまおうかと思う。
私も受験生時代、読書欲求を抑えるのに苦労した。
まったく本を読まないということには耐えられない。
だから、できるだけ一気に読み進めるのが難しい本を選んだ。
文学史上の作品を読むことにしたのである。
泉鏡花「高野聖」
島崎藤村「夜明け前」
森鴎外「舞姫」
夏目漱石「こころ」
この辺までは意図したとおり、少しずつ抑制的に読むことができた。
やはりスラスラとは読めない。
谷崎潤一郎「痴人の愛」
これは、狙いがはずれた。読み始めたらとまらない。
主人公同様、ナオミの魅力を振り切ることはできなかったのだろう。
芥川龍之介「羅生門・鼻」「蜘蛛の糸・杜子春」「藪の中」「朱儒の言葉」
読みやすく、おもしろい。とまらなくなりそうだったので芥川は封印することにした。
川端康成「伊豆の踊り子」「雪国」
へー!これがノーベル賞なんだと思いながら淡々と読み進めた。
安倍公房「砂の女」
へー!これがノーベル賞候補なのか、奇妙な話だなあ!と思いながら読んだ。
三島由紀夫「仮面の告白」「金閣寺」
自衛隊で割腹自殺した三島由紀夫という先入観があって読まず嫌いだったが、
さすがに心理的な葛藤がみごとに描かれた傑作だと思った。
(三島は今でもときどき読む)
文学史上の名作で読書欲求を抑えるという目論見はあまり成功したとはいえない。
思わず一気読みしてしまうような作品もかなりあった。
名作だからといって読みにくい、つまらないとは限らない。
受験勉強には差し支えたが、読むべき本を読んだのだからよしとしよう。
娘の読書もほどほどであって欲しい。
[2008年06月23日(月) ]
高3の長女は今、学校の日本史の授業で第一次世界大戦あたりをやっている。
「日本史も第一次世界大戦までくると、世界史と同じだね。」
高1で必修の世界史を学んだ長女の感想である。
その通りだと思う。
でも、日本史と世界史が不可分になる時期は第一次世界大戦だろうか。
日露戦争をとりまく国際関係も相当ややこしい。
日露戦争を前になぜ日英同盟が結ばれたか。
日露戦争終結をなぜアメリカが仲介したか。
イギリス・アメリカそれぞれに思惑があってのことだ。
日清戦争だって、日本と清の朝鮮をめぐる争いという理解だけでは足りない。
虎視眈々と見守る列強がいたことを忘れてはならない。
三国干渉、そして列強の中国分割。
そこまで見ると日清戦争の世界史的な意味がわかる。
日本は欧米諸国に迫られて開国した。
開国後、攘夷派と開国派の対立が生じ、
攘夷派が尊皇を経て倒幕に質的な転換をはかるというわかりにくい道筋を歩む。
欧米列強に対する攘夷が反転してしまい、
アジアの隣国に欧米列強をまねて接したのが日本の近代である。
つらいことだが、直視しなければならない。
世界史は必修だ。
教科書は持っているはず。
日本史の近代を学習するとき、世界史教科書の対応するページを合わせ読むとよい。
日本が外国に対するとき国内の事情が影響しているのと同様に、
諸外国もそれぞれの国内事情・国際関係があって他国と争ったり協調したりしている。
遠い過去の話ではない。
現代社会が複雑な利害関係の中で揺れ動いているのは、
各国の利害を剥き出しにして争った近代の歴史を克服できないでいるからだ。
[2008年06月20日(金) ]
長女が「内閣総理大臣の名前って全部覚えないとだめ?」と聞くから、
「戦前は全部覚えないとだめ!!」と答える。
初代の伊藤博文から終戦時の鈴木貫太郎まで順番に覚えておくと、
歴史の縦糸ができて何かと便利だ。
いくやまいまいおやいかさかさ
かやおてはたかやきかわたはわい
さおひはこひあよことこす
昔から受験生は歴代総理の名前の最初の一文字を
呪文のように唱えて無理やり覚えた。
「行くやマイマイ、親イカ逆さ」
伊藤博文から西園寺公望まで明治時代の総理大臣である。
まず、マイマイ=カタツムリが先頭を行くという絵柄を思い浮かべる。
続くのは親イカで三角の頭を下にして脚を上のほうでビラビラさせている。
意味ではなく絵柄で覚える。
「蚊帳(かや)折って裸や、気変わった、ハワイ!」
憲政擁護運動で内閣を倒された桂太郎から五・一五事件で命を落とした犬養毅までである。
蚊帳というのは若い人にはなじみがないかもしれない。
風は通すが蚊は通れないほどの網状のものを蚊帳といい、夏、寝床の上に吊った。
蚊帳の中なら裸でも蚊に刺されない。
仲間はずれの意味で「蚊帳の外」というのを、聞いたことがあるだろう。
蚊帳を折って外に出たら裸だった。気が変わってハワイに行こうと思いつく。
そんな場面を想像してみればいい。
国内では政党が力を持ち、やがて憲政の常道が確立するが、
軍部の抑えがきかなくなり、世界の中で孤立していくという時代である。
ハワイの真珠湾攻撃=日米開戦は東条英機内閣だが、なかなか暗示的ではないか。
「棹(さお)火運び、アヨコと越す」
斉藤実から鈴木貫太郎まで戦争の泥沼に陥り敗戦を迎えるまでの総理大臣である。
暗い時代である。
棹に火つけて運び、アヨコという女性の手を引き死線を越す。
バカバカしくてもいいではないか。
覚えたもん勝ちである。
[2008年06月19日(木) ]
西側の窓の下にゴーヤを植えた。
窓を覆うようにネットを吊った。
ゴーヤがうまくネットを這えば、緑のカーテンが完成する。
ゴーヤはツルを伸ばしてネットをつかむ。
ツルは1本のゴーヤから何本も出ている。
お仕着せのネットが気に入らないのか、反対方向にグンと伸びたツルもあるが、
その挙句に、空をつかんでバネ状に固まってしまったりする。
タンポポの綿毛をつかんではなさないツルもある。
ツル同士でこんがらがったものもある。
出勤前にゴーヤのツルを見るのは楽しい。
[2008年06月18日(水) ]
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
この有名なユネスコ憲章の冒頭部分をエキサイトのサイトで自動翻訳(日→英)してみた。
http://www.excite.co.jp/world/english/
でてきた訳は以下の通り。
Because the war arises in person's mind, it is necessary to build the fort of peace in
person's mind.
それをまた自動翻訳(英→日)
戦争が起こる、気にしてください、建てるためには、自分で平和のとりでによる心であることが必要であるという自分でことです。
日本語になっていない。
自分で英訳したものが理解不能とは情けない。
原文は以下のとおり。
Since wars begin in the minds of men, it is in the minds of men that the defenses of peace must be constructed.
これを自動翻訳(英→日)すると
戦争が男性の心で始まるので、男性の心では、平和のディフェンスを構成しなければなりません。
「平和のディフェンスを構成しなければなりません」はもっと自然な訳を心がけたい。
「人の心」ではなく「男性の心」と敢えていいたい気持ちはわかる。
[2008年06月17日(火) ]
矢野恒太記念会編「日本国勢図会2008/09」を買ってしまった。
「日本国勢図会」には、中学社会の教材編集をしていたころ大変にお世話になった。
主要な統計データがコンパクトにまとめられており、わかりやすく解説されている。
高校入試の地理・公民の問題に使われる統計データは、ほとんどが「日本国勢図会」にあった。
Z会オリジナルの問題を出題する際にも、常に参照した。
大学入試ではもっと多様な統計データが使われると思うが、
「日本国勢図会」で十分基礎固めができるはずだ。
地理で受験する人にはもちろんだが、現代社会を選択する人にも薦めたい。
「日本国勢図会」に現代日本の実情と課題が見える。
たとえば、県民1人あたり平均個人所得(2005年)というデータがある。
1位東京3,453千円、2位神奈川2,938千円、3位愛知2,864千円である。
47都道府県の真中の23位は福井2,340千円、47位は沖縄1,758千円である。
では全国平均はどれくらいかというと、
10位大阪2,571千円より下の2,553千円で、栃木2,538千円より上である。
全国平均が10位の大阪とほぼ同じとはどういうことだろう。
平均以上10都府県に対して平均以下38道県。
平均以下のほうがかなり多い。
1位の東京と47位の沖縄とでは2.4倍の差がある。
地域間格差は大きい。
財政データを見よう。
2007年度の歳出額は一般会計82,909十億円に対して特別会計361,880十億円。
特別会計が圧倒的に大きい。
特別会計には国有林野事業、年金、社会資本整備(道路)などいろいろある。
しかし、この特別会計の中身は見えない。
特別会計が管轄官庁の財布として好き勝手に使われるのを放置したままでは、
財政再建はおぼつかない。
もっと生活に密着した統計もある。
固定電話契約数は2000年は52,258千件だったが、2007年は45,808千件に減っている。
これに対して携帯電話契約数は急増した。
2000年60,942千件が、2007年102,725千件になっている。
携帯電話契約数は固定電話契約数の倍以上である。
通信時間はどうだろう。
固定系端末2000年5,573百万分が2005年2,268百万分と半減。
移動系端末は2000年1,453百万分が2005年1,883百万分と増えてはいるが、
固定系端末の減ほどではない。
直接話すよりメールでのやり取りが多くなっているのだろう。
そうして、公衆電話が街頭から消えつつある。
データを見て、その意味を考える。
そうした訓練をしておくことは、大学でも社会に出てからも絶対役に立つ。