[2008年04月30日(水) ]
私は妻より半年早く生まれている。
40歳代も残りわずかとなった今、半年の差はたいしたことなかろう。
しかし、妻は断固として抗う。
見た目は全然違うといいはる。
実際、妻は嬉々として高校生の娘たちと服を交換している。
体格はほぼ同じだから、まあ、よいのだが、
娘たちは内心どう思っているのだろう。
娘のためにと買ったはずの服。
もっぱら妻が着てきていたりする。
謀られたと思わないでもない。
[2008年04月29日(火) ]
今日は昭和の日。
昭和とは元号であり、おくりなである。
昭和という時代は昭和天皇が即位してから崩御するまでの期間だ。
私はむろん昭和生まれだが、私の父母も昭和生まれだ。
父母の生まれた昭和は終戦前、すなわち大日本帝国憲法の時代だった。
天皇は「神聖ニシテ侵スベカラズ」とされ、
「元首ニシテ統治権ヲ総覧」し、「陸海軍ヲ統帥」する主権者であった。
私の生まれた昭和は戦後、すなわち日本国憲法の時代だ。
天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であって、主権者ではない。
私は象徴天皇を見つづけて育った。
国会開会、国賓の応接、地方巡幸、外遊。
天皇の動静はテレビ・新聞で伝えられる。
「あっ、そう」
高い声と丸い眼がねに親しみを感じていた。
崩御の報に接したとき、やはり感慨があった。
私が生まれた昭和が終わったと。
古くはデービッド・バーガミニ「天皇ヒロヒト」
近くはハーバート・ヒックス「昭和天皇」
外国人の手になる評伝は多い。
しかし、どちらも予断が過ぎるように感じられ、首肯しがたい。
寺崎英成「昭和天皇独白録」が数年前に公表され、
最近、また「富田メモ」「卜部亮吾侍従日記」など新資料が相次いでいる。
原武史「昭和天皇」、松本健一「畏るべき昭和天皇」など新刊があいつぎ、
これから本格的に歴史的な位置付けがされることになるのだろう。
昭和天皇も、そして「戦後」といわれる昭和20年から昭和末年までの時代も。
平成生まれの高校生たちにとっては昭和も過去の一時代にすぎない。
昭和の日という祝日。
昭和が旧世代であるということを思いしらされる。
[2008年04月28日(月) ]
妻と東京国立近代美術館で東山魁夷展を見た。
http://higashiyama-kaii.com/index.html
途中、東御苑を散策、三の丸尚蔵館も見たい、
そう思っていたのだが、あいにく金曜日は休園とのこと。
http://www.kunaicho.go.jp/11/d11-03.html
やむなく、東西線で竹橋まで行った。
竹橋には、かつて近衛師団が置かれていた。
その師団司令部の建物が東京国立近代美術館の工芸館になっている。
そのぐらいの説明でやめておけばよかった。
しかし、竹橋事件まで語ってしまうのが私の悪い癖だ。
竹橋事件とは、近衛砲兵による反乱である。
西南戦争後の処遇が不満であったらしい。
もちろん、すぐに鎮圧され、反乱を起こした兵は処刑された。
天皇に最も近く、最も忠実でなければならないはずの近衛兵。
その反乱である。当時の政府・軍部が受けた衝撃は大きい。
竹橋事件の詳細は極力隠蔽された。
その一方、軍人訓戒・軍人勅諭が発せられた。
皇軍、すなわち天皇の軍隊という意識を強調することで軍の統制を保とうとしたわけだ。
妻が興味をもつような話ではない。
「で、お昼はどうするの?」
問題は、昔の反乱ではなく、今の空腹である。
洗濯を済ませてからでかけたため、
近代美術館についたときにはもう昼になっていた。
テラスでカレーを食した後、ようやく東山魁夷展を見る。
大きな絵が多い。「道」もでかかった。迫力がある。
見たままをスケッチしても、最終的には心象風景が描かれる。
木立の中の滝も、湖面に写る森も画伯の心の内なる世界だ。
妻も堪能してくれたのではないかと思う。
ただ、一点残念だったのは、
額にガラスがはめられていたことだ。
細部を見ようと近づけば、自分の顔が写る。
「緑響く」の中に自分の顔など見たくない。
[2008年04月24日(木) ]
小学校入学以前のことはほとんど憶えていない。
そう人にいうと驚かれる。
幼稚園に大きな藤の木があって、
よく登っては叱られたという記憶はある。
その幼稚園は家のすぐ近くで、
小学生になってからもたびたび遊んでいる。
藤の木を見るたび思い出したため、
特別に記憶として留められているのかもしれない。
時期を特定できる明確な記憶のはじめは、
東京オリンピックの聖火リレーを見たことだ。
http://www.bunzo.jp/archives/category/011seika.html
当時、5歳だった私は、
オリンピックの意味もわからずに大勢の人々とともに国道脇にいた。
歓声が湧き、聖火ランナーの近いことを知った。
日の丸の小旗を振ったとは思うのだが、
人ごみで、白い煙の尾しか見えなかった。
いったい、何のために自分はここに連れてこられたのだろう?
それが不思議だった。
東京オリンピックの競技もテレビで見たはずだが、ほとんど記憶にない。
マラソン金メダルのアベベ選手も銅メダルの円谷選手も
後に見た映像の記憶が上書きされてしまっている。
長野で北京オリンピックの聖火リレーがある。
混乱が予想されるため、厳重な警戒のもとで行なわれる。
後年、人々にどのように記憶されるのだろうか。
[2008年04月23日(水) ]
もうすぐ誕生日なのだが、
この年齢になるとうれしくない。
しかし、Z会には誕生日休暇という制度がある。
誕生日前後に有給休暇を1日取ることができるという制度だ。
あまり利用したこともなかったが、
今年は取ろうと思う。
平日に仕事を休んで何をしよう。
子どもたちは当然学校に行く。
妻を誘ってみた。
東山魁夷展でも見に行かないか?
生誕100年を記念して、今、東京国立近代美術館で開催中である。
http://higashiyama-kaii.com/index.html
一人で行くなら国立西洋美術館の「ウルビーノのヴィーナス」なのだが、妻同伴ならそうもいくまい。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/current.html#mainClm
妻は「仕事があるから」と口ではいうが、意外に乗り気だ。
そろそろいいのかもしれない。
子どものためでなく、夫婦の楽しみのための外出。
子どもが親離れの準備をするのと同様に
親も子離れの準備をすべきであろう。
[2008年04月22日(火) ]
子どもは穴があると何も考えずに指を入れる。
回転遊具のボルトが抜けた穴であれば、大けがのもととなるのだが‥‥。
このように、形や色、材質などものの属性が何らかの行動を誘発する、
つまり、特定の意味をもつことをアフォーダンスというのだそうだ。
アフォーダンスに行動を誘発されるのは人間ばかりではないだろう。
猫は戸棚の扉が開いていれば用がなくても入る。
テーブルの上からコードが垂れ下がっていれば前脚で幾度となく揺らす。
朝、起きて二つ折りにしたベッドの上掛け(まだ、ぬくもりが残る)、
柔軟剤を使って洗濯し、春の日にさらして乾かしたタオル、
クリーニングにだす前にホコリをはらっておいたカシミヤのコート、
それらは、猫にとって寝場所というアフォーダンスであろう。
ふわふわと柔らかく温かい。
でも、なぜ、私のものの上でばかり寝たがるのだろう。
私は猫アレルギーである。
[2008年04月21日(月) ]
高3の長女は悩んでいる。
大学にはいきたい。
でも、大学にいって何をしたいのか?
そう問われると明確に答えることができない。
そもそも「したいこと」で大学・学部を選んでいいのか?
職業も考えて大学・学部を選ぶべきではないか?
だからといって、どんな職業につきたいのか考えているわけではないのだが‥‥。
医者になりたいのなら医学部をめざすしかない。
薬剤師なら薬学部だ。
弁護士・裁判官・検察官なら法学部。
教師なら教育学部。
法学部以外から法科大学院へ進むことも可能だし、
教育学部以外でも教職資格を取得することはできる。
それでも、職業と学部の対応関係が明確ならば、
めざす職業のために学部を選ぶ必然性はある。
しかし、将来の職業を定めがたいのなら、
「したいこと」で大学・学部をもう少ししっかり考えるしかなかろう。
すぐに「したいこと」を明確にできなくても、
おおまかに方向だけ決められないだろうか。
入学後、専攻と関心のある分野が違うと気づいたとしても、
方向がまったく違うのでなければ、関連づけて学ぶことができるはずだ。
私は日本史を学びたくて大学にいったが、
入学時に日本史専攻と決まっていたわけではない。
民俗学・宗教学・国際関係学などもおもしろいと思ったが、
結局、日本史を専攻した。
日本史を専攻して職業はどうするのか?
まあ、何とかなるだろうと思っていた。
教職の単位は取っていなかった。
大学院に行って研究者という道もあるなあと思いつつ、
学部4年で卒業し就職することに決めた。
結局、Z会で教材編集に携わることになったが、その期間はごく短い。
入社後、数年して部署が変わり、日本史に関わる仕事ではなくなった。
それでも、日本史を学んだことの意味は失せない。
恩師はこういった。
史料は拾い読みするな。全て読め。自説に都合の悪い史料を黙殺するな。
史料は誰が何のために書いたものか、そして、なぜ残されたか考えよ。
人の記憶は置き換わる、しかも自分に都合のいいように。
過去のできごとは人によって見え方が違う。
全部、生かせる。仕事でもそれ以外でも。
ただ、生かしきれていないことを恥じるばかりだ。
[2008年04月18日(金) ]
高1の次女は毎日はりきって登校している。
宿題が多いのに、クラブ活動や委員会などにも積極的に参加。
「高校の先輩ってやさしいんだよ。特に男の先輩が。」
それは良かった。
中学時代、男子の粗暴な振る舞いに憤慨することが多かった次女。
高校では先輩男子が皆、親切にしてくれる。
それが意外でもあり、うれしいらしい。
「これからますます男がやさしくなるからね。でも、気をつけないとね。」
妻はニヤニヤして、そうアドバイスする。
何をどう気をつけるのか私にはわからないが‥‥。
中学は高校と違い給食がない。
長女の高校に食堂はないが、次女の高校にはある。
ただ、たいへんに混むらしい。
だから、長女・次女ともに弁当持参。
妻は長女の弁当をこれまで作ってきたのだから
一つ増えてもそう手間は変わらないだろうと思うが、
つめる手間が問題なのだという。
女の子のお弁当は見た目が大事。
それが妻のポリシーである。
早く家を出たくて焦れる娘と
納得のいくまでおかずのレイアウトにこだわる妻。
そばにいる私まで緊張してしまう。
[2008年04月17日(木) ]
私鉄駅前の小さな商店街を抜け、
神社の前を通って帰る。
神社の隣には保育園がある。
日中は子ども達の遊び場になっていて、とてもにぎやかだ。
しかし、夜になると、人通りは絶え、深い闇に覆われる。
急ぎ足で通り過ぎようとするが、
境内の闇に、ぼんやりと首から上だけ浮かんでいるのを見る。
不自然に青白く、伏し目がち。
高校生らしい若者の顔だ。
皆さん、暗いところでの携帯操作はやめましょうね。
下からの光に照らされた顔って、急に出会うと恐いから。
[2008年04月16日(水) ]
長女に、ようやく受験生という自覚が芽生えたようだ。
日曜日に家族で外食した。
料理がくるまでの時間、英単語集を広げている。
妻が「単語のテストがあるの?」と聞くと、
心外だという顔で、「テストはないけど」と答える。
さて、その長女だが、志望校についてはまだ迷いがあるようだ。
学校の先生にも相談したらしい。
もう少し併願校の幅を広げるように、というアドバイスを受けたそうだ。
つまり、第一・第二志望の大学は今の学力では厳しいということだろう。
「なぜ行きたい大学は難しいのだろう。」
長女の素朴な疑問である。
それは、長女が行きたいと思う大学は、
多くの人が行きたいと思う魅力のある大学だからだ。
買いたいと思う人が多ければ価格が高くなる。
大学の場合は学費が高くなるのではなく、入試難易度が高くなる。
人気に比例して学費が高くなれば難易度は平準化されるかもしれない。
しかし、それでは人気の大元である大学としての質を維持できない。
だから、自分が志望する大学に人気があり、難関であることを嘆いてはいけない。
しっかり勉強して志望大学に合格して欲しい。
それが親の願いである。