[2008年03月31日(月) ]
今日から朝日、読売両紙の文字が大きくなった。
中心的な読者である高年齢層のための配慮だという。
つまり、若い人達が新聞を読まなくなったということ。
新聞を読まなくともニュースはわかる。
なるほど、一面のトップ記事はテレビニュースと同じ。
特に読まなければならない理由はない。
だから、一面という包み紙をはがして新聞の中身を読もう。
政治・経済の解説記事。
教科書的な建前がいかに現実と違うか、そろそろ知っておいたほうがいい。
高校生にぜひ読んで欲しいと思うのは科学・文化面。
新聞の科学記事は用語の解説も丁寧で読みやすい。
署名入りの評論は大学入試の素材としてうってつけである。
社会面には喜怒哀楽がある。
天災もある。事件・事故もある。
ほのぼのとした街の話題もある。
すべてひっくるめて私たちが生きる現代の姿だ。
実際、高校生の新聞離れは深刻なようだ。
だからこそ、新聞を読む高校生の優位が際立つ。
[2008年03月28日(金) ]
25日に高校教科書の検定結果が公表された。
いろいろな検定意見が付き、教科書の記述が修正されたらしい。
梶井基次郎の名作「檸檬」に添えられた写真、
丸善の看板が目立つのがいけないのだという。
でも、文中の丸善という表記は問題視されない。
それは、そうだろう。
「檸檬」の文章から丸善という固有名詞を消したら読解不可能になる。
丸善はただの本屋ではない。
西洋の文化に触れることのできる特異な場所であったはずだ。
丸善、その後にある西洋の文化への複雑な感情、
それが今の高校生に実感できるのだろうか。
丸善の看板がどうこうより、そのほうが問題のような気がするのだが‥‥。
[2008年03月27日(木) ]
妻と次女は高校入学準備で忙しい。
制服、靴、鞄、その他もろもろ買い揃えるために出かけている。
学校指定の電子辞書も買わなければという。
もちろん、学校指定の紙の辞書でもかまわない。
ただし、そうなると、英和、国語、漢和、古語の各辞典を揃えなければならない。
持ち運びの便を考えても電子辞書のほうが良いのだという。
長女は高2から電子辞書を使っているが、発音も確認できて便利だと言っている。
私も電子辞書を否定するつもりはない。
しかし、紙の辞書には捨てがたい使用感があった。
書店の棚にあるときは、四角ばった紙の箱にきっちり納まり、
まったくよそよそしい表情だった。
しばらく一緒に過ごすうちに、箱の角がとれる。
使うにしたがってページをめくりやすくなり、まさに手になじむ。
そして、しだいに手垢にまみれるが、それが愛おしくもある。
時にページが破れ、テープで補修したりする。
ついには表紙がとれかかり、労わるように使わなければならなくなる。
使い尽くしたという誇らしい思い、そして苦労をともにしたことへの感謝。
高校時代にはそんな感覚を愛用の英和辞典に抱いた。
電子辞書も娘たちの良き学習の伴侶になってくれるだろうか。
[2008年03月26日(水) ]
次女の入学ガイダンス資料を読んで、
ああ、やっぱりやそうかと思った。
公民では現代社会以外に選択の余地がないのだ。
文系であろうと理系であろうと。
そうした高校が多いらしいことは知っていた。
毎年夏、社会科教員の研究会に参加させてもらっていて、
各校のカリキュラムや教材を知る機会があるからだ。
週休二日制になり時間割が厳しくなっていること、
学校が受験対応を強化していることが原因のようだ。
昔の公立進学校は受験対策なんてやろうとしなかった。
学校は受験がどうであろうと、必要な授業を行なう。
受験対策は生徒がやるものという姿勢だった。
私が高校生だった時代はもう30年も昔だから、
学校が変わるのもやむをえない。
しかし、受験にかかわりがなくても受けていて良かったという授業があった。
倫理の授業である。
といっても、その倫理の先生はまったく手抜きだった。
哲学者・思想家の一覧を配り、一人選べという。
そして、選んだ哲学者・思想家の著作を一冊読んで、
その内容を報告しろという。
1年間、授業はほぼその報告と質疑応答に費やされた。
教師はただ聞いているだけ。ほとんどコメントもしない。
でも、高校生時代に哲学書を一冊読みきって、報告するという
のは貴重な経験だったと思う。
そして、テストは授業とはあまり関係なく、
「愛国心について思うところを記せ」という大雑把なものだった。
[2008年03月25日(火) ]
サクラのサは穀霊を意味しており、花見は秋の収穫の予祝であったのです。
これは、私が受けた日本史概論の最初の講義であった。
サクラサク
かつて、合格発表を見に行けない受験生は、
この電報が届くのをドキドキしながら待った。
高知大学の合格電報は「クジラガツレタ」だったそうだが‥‥。
今はもう、ネットで合格発表を確認できる時代だ。
電報で合否を知る人は少ないだろう。
でも、このサクラサクという表現が消えるのは惜しい。
桜の開花は日々の気温の累積具合を根拠に予測するという。
日々の学習を重ねていって大学合格が果たせる。
そうした比喩でもある。
サクラサク
自らを予祝する言葉として呟いてみてもよいだろう。
[2008年03月24日(月) ]
土日は家族で私の故郷を訪れた。
父母が眠る墓に花と線香を手向け、
次女の高校進学を報告。
父母に二人の将来を見守ってくれるよう祈る。
過去碑には祖父母、曽祖父母の名も見える。
(祖母は存命であるため朱で名が刻まれている。)
そこはわが一族の墓地である。
比較的珍しい姓のはずだが、同姓の墓碑が並んでいる。
古い墓碑銘は判読しずらいが、丹念に見ていけば
祖先の名をさらに数代遡って知ることができるだろう。
六地蔵には寛政の年号がある。
墓地ができたころのものかも知れない。
103歳の祖母を病院に見舞い、近くの温泉に一泊。
帰りに「ライオンキング」を観た。
小学生でも十分楽しめる内容の劇だが、無論、大人の鑑賞にも堪える。
動物の動きの表現がすばらしい。
ただ、疑問がない訳ではない。
ライオンの王の子が
王位を簒奪した叔父を倒して王国を継承する
という物語。
直系による正しい王権、それが王国を幸福にし、
傍系による邪な王権、それが王国を不幸にする、
そんなイデオロギーが透けて見える。
娘達にどう思うと問うてみたが、回答はなし。
私は系図上、分家の分家に生まれた末弟である。
それでも祖先から連綿と続く繋がりの中にいると自覚している。
[2008年03月21日(金) ]
高校の合格を確認した次女は、宿題と提出書類一式を持ち帰った。
宿題の量はかなりある。
学力試験を経て合格したわけだが、それで十分というわけではないらしい。
しっかり、中学履修範囲の復習をしておきなさい。
高校からのメッセージなのだろう。
市販のものではなく、学校オリジナルの問題集である。
先生方の意気込みが感じられる。
提出書類の量も多い。
保護者の書く書類もかなりある。
キーボード入力に慣れてしまい、めっきりペンを持たなくなった妻が悲鳴をあげる。
住所は県から書くのかどうか聞かれたが、「どっちでもいいだろう」と答える。
では、自宅から学校までの距離と時間は?
「適当でいいのではないか」というのが私の答。
極めてふまじめであると叱られてしまった。
しかたなく、インターネットで地図を検索し、おおよその距離を確認。
次女に聞いても時速何キロぐらいで自転車を走らせられるのかわからない。
歩きなら時速4〜5キロ、自転車なら時速10キロぐらいかなあ。
そのほうが計算しやすいし‥‥。
おおよその距離を計算しやすい時速で割って所要時間を算出。
「適当に」とたいして変わらない気がする。
まあ、それで妻も納得。
入学準備に本人も保護者も忙しい。
[2008年03月18日(火) ]
今日は次女の卒業式である。
竣工したばかりの体育館で行なわれた。
中学校の体育館は、いざというとき、地域住民の避難所になる。
その体育館が耐震基準を満たしていなかったのだから、
建替えは遅すぎたぐらいだ。
しかし、次女たちの思い出は古い体育館にある。
入学式も、合唱コンクールも、全学集会も、
床に傷が目立ち、壁に染みが浮き出た体育館で行なわれた。
解体を少し延ばせないだろうか。
できれば古い体育館で卒業式をやりたい。
そう要望したが叶えられなかった。
真新しい体育館で行なわれる、かしこまった式典。
居心地の悪さを感じたとしても、それでいいではないか。
もう、ここは自分の居場所ではない。
そう思い定めるのが卒業式なのだから。
[2008年03月17日(月) ]
中学生までは38万円。
高校生・大学生は68万円。
いったい何のことだと思う?
扶養控除の額である。
ちなみに配偶者控除は中学生以下の扶養控除と同じ38万円。
所得税が68万円安くなる訳ではない。
所得から68万円引いて税額を計算するということだ。
税率が10%なら6.8万円、20%なら13.6万円
本来の所得税より少なくて済む計算である。
所得税上、自分がいくらに換算されるか考えたことのある高校生は少ないだろう。
昨日は確定申告書の作成のため一日潰れた。
今日が確定申告の最終日。
宿題をぎりぎりまでやらないようなものともいえる。
[2008年03月14日(金) ]
今日は次女の公立高校合格発表の日。
次女は今朝、いつもより少し寝坊をした。
よく寝つかれなかったのかもしれない。
特に合否を話題にすることもなく送り出す。
昼休み、会社近くの店で食事を始めるや否や携帯がなった。
「受かったよ」「おめでとう」
短い会話だった。
Z会員全員合格の祈願の成果だろうか。
ならば、他の会員からも多数吉報が届くだろうか。