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板倉勝静と山田方谷

[2008年07月16日(水) ]

恩師と同窓生20数名で毎年夏に泊まり込みで研究会を行っている。
参加者は高校・中学の日本史・社会科教員が多い。
大学教授、博物館職員、文科省職員もいるが、私企業に属しているのは私だけだ。
立場はそれぞれだが、同窓生という信頼があって率直に議論できるのがうれしい。

開催地は毎年変わる。
今年は鳥取県の米子市ということで楽しみにしていた。
空路、羽田から米子に飛ぶのが一番早い。
でも、新幹線で三島から岡山まで行き、岡山から伯備線で米子に行くほうが安い。
それなら、備中高梁駅で途中下車し、備中松山城を見たいと思った。

幕末、備中松山城の主は板倉勝静だった。松平定信の孫にあたる。
勝静は山田方谷という陽明学者を登用して藩政改革にあたらせる。
この山田方谷という学者はただものではない。
(長岡藩の河合継之助も方谷に教えを乞うたという。)
大坂商人に藩の収支を説明し、借金の返済猶予を認めさせる。
信用の低下した藩札を回収して公衆の面前で焼き払う。
産業を興し、窮民救済策を実施し、農兵を組織するなど、豪腕を発揮する。
こうして、破綻寸前の藩財政の立て直しに成功するのだが、
その結果、板倉勝静は、老中に任じられ、幕政の立て直しを託されることになる。
勝静は当然、方谷をブレーンとして期待するのだが、
方谷はすでに幕府の衰退を見通していて、逆に老中を辞して領地に帰るよう勝静に勧める。
しかし、徳川吉宗・松平定信の末裔という自負がそれを許さない。
結局、勝静は幕府の最後を見届けることになる。
慶喜の意をうけて大政奉還に尽力するが、戊辰戦争を避けられず、旧幕府軍とともに奥羽で戦い、箱館にまで行ってしまうのだ。
一方、備中松山城にあった方谷は新政府軍に降伏し、新藩主を擁立する。
それしか領民と主家を守る方法はなかったのだろう。
結局、勝静は箱館から家臣に連れ戻され、新藩主を認め隠居する。
方谷の言を用いなかったことを悔やんでも、方谷を恨んだりはしなかったようだ。

祖母の法事と重なり研究会への参加がかなわず、本当に残念だ。
板倉勝静と山田方谷ゆかりの備中松山城探訪、次の機会があるだろうか?

参考:矢吹邦彦著「炎の陽明学−山田方谷伝」(明徳出版社)