先週、祖母の葬儀のため帰省した。
通夜の席で、喪主をつとめた兄が祖母の晩年を物語る資料を披露してくれた。
ノートがあった。
最初の数ページは贈答の記録のようであった。
裏表紙側からめくると、
百人一首や斉藤茂吉、窪田空穂などの短歌が書き写してあった。
一同が顔を見合わせたのは、数通の封筒の中身が取りだされた時である。
祖母の短歌に指導の朱字が施されたものが出てきたのだ。
(当然、Z会の通信添削ではない。放送局主催の短歌講座を受講していたようだ。)
祖母の文字にかつての流麗さはない。
むしろ、一画一画を大切に書いたことがうかがわれる文字だ。
短歌は30首ほどあったが、娘に伝えたいと思い数首を手帳に書きとめた。
控え目に控え目にと心して寡黙の吾を読書が救う
祖母の原句は上の句が字足らずであるため、添削されて次の形に改められている。
控え目にせむ控え目にと心せる寡黙の吾を読書が救う
祖母は、孫の目にも、控え目というタイプには映らなかった。
多趣味で外出好きで友人がたくさんいた。
しかし、高齢になり友人を見送ることが多くなり寂しかったようだ。
話題が豊富な祖母も耳が遠くなると会話に参加しないことが多くなった。
そんな気持ちを詠んだものなのだろう。
年齢欄をみれば、91歳とある。
「控え目に」といいながら、90歳を超えて、自分で添削講座を選び受講手続きをする。
向上しようという意思を実行に移すのにためらったりしないのが祖母だ。
最後の3年は寝たきりになってしまったが、
密度の濃い103年間を生きたのだと思う。