「愚管抄は慈円でよかった?」
風呂あがりの私に長女が尋ねる。
「そうだよ。愚管抄は、摂関家出身で天台座主になった慈円の史論だ。」
用語集か日本史事典で調べなさいというべきところ、
出会い頭に問われたため、つい答えてしまう。
「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや、だよね。」
長女は、眼を輝かせて問いを重ねる。
「それは歎異抄、慈円じゃなくて親鸞だよ。」
つい、不正確ないい方をしてしまった。
歎異抄は、親鸞の著作ではない。
親鸞の弟子唯円が、「親鸞の正しい教えはこうだ!」と主張した本が歎異抄である。
親鸞の教えとは異なる説が流布していることを歎いたから歎異抄という。
長女が受けた日本史の実力テスト。
愚管抄について正しく説明した文を選べという問題でひっかかったらしい。
「愚管抄に歎異抄?ああ、紛らわしい!」
確かに、慈円も親鸞も同時代人であるし、書名も似ている。
まあ、一度悔しい思いをしておけば記憶が鮮明になる、と慰める。
長女は日本史の教科書を読んでもちっともイメージが湧かないという。
「日本史の教科書の登場人物はキャラが立ってない!」
いちいちキャラを立てたら、何ページになると思う?
「いっそ、歴史小説を片っ端から読もうかな。」
それはいい考えだ。
倉田百三の「出家とその弟子」を読めば、親鸞と歎異抄は強烈に結びつくだろう。
しかし、危険だ。
長女は本を読み出したら止まらない。
日本史以外はどうするつもりだ?