次女の高校に教育実習生が来ている。
感想を聞いてみたが、まだ、授業をうけていないのでわからないとのこと。
そこで、教育実習生を迎える高校生の心得を伝授する。
ある国立大学附属高校の先生に教えてもらったものだ。
「教育実習生を迎える高校生には、実習生を鍛えるという使命がある。徹底的に予習をし、実習生がたじろぐ高度な質問を用意せよ。」
かの附属高校は指折りの進学校である。
だから、実習生が何をどう教えようが、生徒は自分なりの勉強をする。
つまり、実習生の授業から多くを学ぼうとは期待していない。
放っておけば、なごやかに教育実習がおわる。
実習生は「すばらしい思い出」を持って帰るだろう。
しかし、附属校の先生は、それを不幸なことだと考える。
生徒になめられたことに気づかずに、授業をなめた教師が生まれてしまうからだ。
徹底した予習をいうのは、もちろん生徒のためである。
「教師の力量不足を補うために、予習を確実にせよ。」
というようないい方では生徒に響かない。
「教師を上回る教科理解をもって教師に立ち向かえ。」
攻撃的な言い方だからこそ、生徒の気持ちに火がつく。
教師練達の技といえよう。
生徒の高度な質問にたじろぐ教育実習生は、教材研究の重要さを痛感させられる。
きちんとした教材研究を経て、きちんとした授業を行なうことができる。
痛みをもってそう気づくことが、教師の原点になる。
しかし、この心得を伝授されたわが家の次女は眉をひそめる。
「そんなの無理!」
今だって宿題と予習がやりきれていない。
教育実習生がたじろぐような高度な質問なんて望みようがない。