「岩佐又兵衛 浮世絵をつくった男の謎」(文春新書)を読んだ。
著者は辻惟雄、美術史研究の第一人者である。
近年、岩佐又兵衛、伊藤若冲、曾我蕭白、歌川国芳らの人気は高い。
そのきっかけは辻惟雄「奇想の系譜」であったといわれている。
辻惟雄を知ったのは、芸術新潮2004年10月号「岩佐又兵衛の逆襲」だったと思う。
山下裕二との対談が面白く、たまらず「奇想の系譜」(ちくま学芸文庫)を買い求めた。
そして、翌年、熱海のMOA美術館で又兵衛展を観た。
館所蔵の浄瑠璃物語絵巻、山中常盤物語絵巻が一挙に公開されたものだ。
まさに圧巻。
金泥をふんだんに使い、青や朱も色鮮やかだ。
大胆な構図だが、細部まで描ききっている。
そして、凄惨な場面は血の匂いがするような生なましさ。
優美ではない。まさに「奇想」であると感じた。
岩佐又兵衛の生涯を知れば、なるほどと思う。
戦国の武将、荒木村重の子として生まれた。
村重は織田信長に叛き、一族・郎党を皆殺しにされた。
しかし、村重本人は城を抜け出し、生きのびている。
又兵衛も乳母に助けられたのだが、
父は母を見殺しにしたと知って何を思っただろう。
又兵衛は母方の岩佐姓を名乗る。
絵師又兵衛を庇護した松平忠直も不運の影が濃い。
妻の父である将軍秀忠に乱行を咎められ、隠居を命じられている。
忠直の父秀康は秀忠の兄である。
将軍職が家康−秀康−忠直と継承されることだって、ありえたはずだ。
ともかく、越前藩主忠直・忠昌兄弟のもとで、
又兵衛は画業に励み名声をえる。
山中常盤物語絵巻などは弟子たちとともに描いたようだ。
あれだけ長大な作品である。当然だと思う。
やがて、招かれて江戸に出て、川越東照宮に三十六歌仙図などを残している。
又兵衛は当世の風俗を描くことが巧みであったが、
又兵衛作と確認できる浮世絵はほとんどないようだ。
それでも、伝説化され、浮世絵の祖と称されたのはどうしてだろう。
大名や将軍の求めに応じて描いた絵でも、
矜持として俗な部分を保ちつづけたからだろうか?
謎は完全には解明されていないようだが、それでも十分面白く読めた。