「徳川18代目担がれて東京行列」という記事がアサヒコムに掲載された。
http://www.asahi.com/life/update/0402/TKY200804020163.html
明治大学で開かれる小栗上野介の企画展を盛り上げるため、
徳川18代当主と旗本の子孫らが御茶ノ水を行列するのだという。
明治大学と小栗上野介の関係はよくわからないが、
おそらく、神田駿河台に生まれたという地縁があるからだろう。
昨日は勘定奉行荻原重秀に触れた。
今日も懲りずに勘定奉行をつとめた小栗上野介忠順について書く。
忠順が活躍した時代は幕末である。
勘定奉行として長州征伐幕府財政の立て直しに奔走したりしている。
しかし、ただの経済官僚ではない。
外国奉行、軍艦奉行、陸軍奉行、海軍奉行などを歴任している。
ロシアの対馬占拠事件の際には粘り強い交渉を行った。
日米修好条約批准のための使節に加わりアメリカで多くの知見を得た。
財政難の中、横須賀に近代的な造船所を建設した。
これは明治政府に引き継がれ海軍創設の基礎となったという。
鳥羽伏見の戦いに敗れ逃げ帰った徳川慶喜。
忠順はその慶喜に徹底抗戦を主張したがいれられず、江戸を去る。
そのとき、幕府の軍資金を密かにはこんだのではないか。
そんな憶測から赤城山の埋蔵金伝説が生まれる。
知行地である上野国権田村に住んだが、官軍に捕えられ斬首される。
勝海舟に匹敵する人材であったはずなのだが、
どうも大河ドラマなどでは軽く扱われている。
「篤姫」ではどうだろうか。