「日本で最も有名な大学」、フランシスコ・ザビエルはそう呼んだ。
足利学校のことである。
http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/01_kakuka-page/10_kyouiku/06_ashikagagakou/gakko.html
室町時代の中期には、そう呼ばれるだけの内実を備えていたのだろう。
足利学校は室町以前からあったようだが、上杉憲実が中興し、隆盛をもたらした。
足利学校と上杉憲実については、日本史の教科書(山川出版「日本史B」)にも記述がある。
上杉憲実はもう一箇所、教科書に登場する。
永享の乱についての注の部分だ。
永享の乱とは、鎌倉公方足利持氏と関東管領上杉憲実の対立が争乱に発展したものである。
関東管領とは鎌倉公方の補佐役ではあるが、任命は京都の将軍が行なう。
だから、関東管領は将軍と鎌倉公方の間を取り持つ役割を担うことになる。
室町幕府6代将軍はくじ引きで、足利義教が選ばれた。
初代足利尊氏の血をひく持氏としてはおもしろくない。
だから、義教が富士山見物に駿河国にきても挨拶もしない。
息子の元服の際、将軍から名をもらうという慣習も無視する。
憲実は持氏を諌めるのだが、しだいに将軍寄りと疑われるようなる。
身の危険を感じて鎌倉を逃れた憲実を、持氏軍が追い、争乱となる。
これが永享の乱だ。
無論、将軍は憲実を支援し、持氏追討を命じる。
憲実は持氏の助命を将軍に乞うが、いれられない。
持氏は殺され、憲実は出家する。
憲実が出家したという国清寺は次女の通う高校のすぐそばにある。
長女の高校からもそう遠くはない。
私の家の周辺は上杉氏の領地であったようだ。
この時代をすでに学習しているはずの長女に上杉憲実について知っているか聞いた。
足利学校は聞いたことがあるが、永享の乱については知らないという。
注を見落としたのだろう。
永享の乱と憲実のかかわりを注で説明するというのはあんまりだ。
しかし、日本史の入試問題を見ると、教科書の注も見落とさないようしておいたほうがいいと思う。