NHKの大河ドラマ「篤姫」が高視聴率を記録している。
大河ドラマでは幕末がよく舞台になるが、今回ほど小松帯刀が個性的に描かれたことはなかった。
どの幕末ものの大河ドラマでも、西郷隆盛、大久保利通は大きく扱われた。
小松帯刀も大河ドラマに出てはいたのだが、西郷、大久保の扱いに比べれば小さい。
家老という地位ゆえに省くことができなかったという印象だ。
明治3年に早世したためだろうか。
いや、明治維新前に倒れた坂本龍馬、高杉晋作と比べても存在感が弱い。
記録があまりなく具体的に描くことができないのだろうか。
そこで、東京大学史料編纂所の維新史料綱要データベースで検索してみる。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller
小松帯刀80件、小松清廉57件がヒットする。(肝付尚五郎は0件)
最初の記事は文久1年10月、島津久光に側近として登用されたという記事である。
「二十日、鹿児島藩藩士小松清廉(帯刀)ヲ改革方内用掛ト為ス」
文久2年3月には、島津久光が千名の兵を率い、勅使を奉じて江戸にのぼり、幕政の改革を迫ったときの記事がある。
「十六日、鹿児島藩主島津茂久生父久光側役小松清廉(帯刀)小納戸役大久保利済(利通)中山実善(尚之助)以下士卒壱千余人ヲ従ヘ参府ノ途ニ就ク」とある。
小松帯刀は松平慶永(春嶽)と時局を語り、また、徳川慶喜の家士と会談して「慶喜の広く諸賢侯と国事を議せんことを」説いている。
この結果、元治1年4月、幕府は小松帯刀らを「国事周旋に依り賞す」。
以下、在京の鹿児島藩家老として各勢力と連絡・調整の任にあたった。
元治1年11月、第一次長州征伐に関し、長州のために斡旋を申し出たという記事もある。
「鹿児島藩家老小松帯刀・高崎兵部、書を萩藩支族吉川経幹に寄せ、萩藩主毛利敬親父子以下の恭順を欣び、なほ斡旋する所あるべきを告ぐ。」
慶応1年7月には、長州藩の士井上聞多(馨)・同伊藤俊輔(博文)が長崎で、英商グラバーより銃砲を購入するのを海援隊士とともに仲介している。このとき、
「聞多、帯刀と共に鹿児島に赴き、同藩家老桂右衛門(久武)・同側役大久保一蔵(利通)等と会し、両藩の融和を商る。」ともある。
そして、ついに慶応2年1月。
「萩藩士木戸貫治(孝允)、屡々鹿児島藩家老小松帯刀・同藩士西郷吉之助等と会談するも、未だ薩長合従の議整はず。会々浪士坂本龍馬、入京して其間に斡旋す。是日、貫治・帯刀・吉之助及龍馬、意見を交換し、遂に合従の盟約六ヶ条を結ぶ。」の記事を見る。
やはり、薩長同盟の成立に関しては小松帯刀の役割が大きかったようだ。
長くなったので、引用はしないが、薩土同盟に関しても同じだ。
維新史料綱要データベースでの検索結果は以下の通り。
西郷隆盛65件(隆永25件、吉之助124件、三助1件、吉兵衛23件、菊池源吾1件、大島三右衛門6件)
大久保利通82件(一蔵115件、利済14件、正助7件)
坂本龍馬47件(直柔28件、才谷梅太郎9件)
木戸孝允79件(桂小五郎39件、貫治14件、準一郎66件)
高杉晋作34件(春風21件、東行5件、和助12件、谷潜蔵15件、宍戸刑馬2件)
勝海舟1件(麟太郎35件、安房1件、義邦121件、安芳3件)
*坂本龍馬(直柔)というように表記された場合、龍馬、直柔にダブルカウントされている。
小松帯刀について書く材料が少ないということはなさそうだ。
しかし、昔の人は名前がいろいろあってややこしい。