磯田道史著「殿様の通信簿」(新潮文庫)読了。
名君といわれた徳川光圀。
水戸黄門の諸国漫遊はフィクションだが、
光圀が彰考館を設立し、「大日本史」の編纂に着手したことは史実だ。
幕末の尊王攘夷思想に大きな影響を与えた水戸学は、徳川光圀に始まるといってよい。
光圀は兄を差し置いて水戸藩主となったことに負い目を感じ、
実子があるにもかかわらず、兄の子を養子に迎え、水戸藩を継がせている。
では、儒教的倫理観を貫く、清廉潔白の名君と思えば、そうともいえないらしい。
本書によれば、「女色にふけり、悪所(遊廓)に通い、酒宴遊興がはなはだしい。」とある。
光圀の素行を調査した記録があるのだという。
それが、「土芥寇讎記」だ。
おそらくは、公儀隠密の探索が記録されたものだというから驚く。
光圀ばかりではなく、元禄ころの大名243人の人物評を載せている。
しかし、本書で取り上げたのは、その内7人。
徳川光圀、浅野長矩(浅野内匠頭)、池田綱政、前田利家、前田利常、内藤家長、本多作左衛門である。
(前田利家は戦国の武将である。史料も「土芥寇讎記」ではなく、「利家夜話」のようだ。)
現存する「土芥寇讎記」は東京大学史料編纂所所蔵の一冊だけだという。
そうか、東京大学史料編纂所か。
ならば、東京大学史料編纂所のデータベースで調べられるかもしれない。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller
さっそく、所蔵史料目録データベースで「土芥寇讎記」を検索。
1967年の人物往来社、1985年の新人物往来社の刊本とともに、写本がヒット。
しかも、イメージまで見られる。
確かに「水戸中納言源光國卿」について「女色にふけり……」という部分がある。
ただ、「世上のくちさがなければ、虚実を知らず」とフォローはしている。
では、「殿様の通信簿」にはとりあげられていない徳川光貞は「土芥寇讎記」にどう評されているだろう。
徳川光貞は御三家紀州徳川家の2代目で、8代将軍徳川吉宗の父にあたる。
「土芥寇讎記」は冒頭に記す。
「光貞卿は文学(学問)をあまり好まれず、もっぱら武芸を家人に奨励している。」
光圀とは対照的なようだが、後になると、また、フォローが入る。
「本文には、文学の沙汰なしとあるが、誤りだろう。学問をみせびらかさないだけである。」
ちなみに「曽て好色の沙汰なし」だそうで、こちらも光圀とは対照的である。
でも、本当だろうか。
湯殿で吉宗の母に手をつけたという話を聞いたことがあるが……。
やはり、御三家には気を使わざるをえないようだ。