「二・二六事件で襲撃された岡田啓介首相って、どんな人だったの?」
日本史を勉強していた高3の長女が質問する。
教科書を読んでもイメージがわかないのだという。
五・一五事件で犬養毅首相が亡くなり、海軍出身の斎藤実が首相となる。
斎藤実のあとを引き継いだのが、同じ海軍出身の岡田啓介である。
斎藤も岡田も穏健派であり、元老の西園寺公望が首相に推薦している。
二・二六事件のとき岡田首相は官邸にいたが、
義弟が間違われて殺害され、本人は無事だった。
同じく海軍出身で侍従長をつとめていた鈴木貫太郎も二・ニ六事件で銃弾を浴びた。
重傷を負ったが、とどめをさされなかったため生きのびることができた。
鈴木貫太郎は後に総理大臣となり、ポツダム宣言を受け入れ終戦を実現している。
戦争継続にこだわる東條英機内閣を打倒し、鈴木貫太郎内閣の終戦実現をバックアップしたのは岡田啓介である。
二・二六事件で辛くも生きのびた岡田・鈴木コンビが終戦に果たした役割は大きい。
「では、陸軍と海軍の対立が二・ニ六事件の原因なの?」
二・二六事件では、海軍の斎藤実内大臣、政友会の高橋是清大蔵大臣とともに陸軍の渡辺錠太郎教育総監も殺害されている。
陸軍と海軍は対立することも多かったが、それが直接の原因とはいえない。
むしろ、陸軍の内部対立に原因がある。
陸軍内に皇道派とよばれる過激なグループが生まれた。
しかし、陸軍内にも皇道派を危険視するグループが形成される。統制派である。
そして、統制派は皇道派を押さえこみつつあった。
だから、二・ニ六事件は、皇道派青年将校が一気に局面を打開するために暴発したものという側面もある。
「皇道派の青年将校たちは何をしようとしたの?」
皇道派の青年将校たちは、当時の日本の状況を憂えていた。
兵士のふるさとである農村が疲弊し、社会に不正が横行していた。
これを天皇側近のせいだと考えていた。
だから、天皇側近を「君側の奸」と呼び、排除しようとしたのだ。
そして、天皇親政の名のもとに、皇道派のリーダー、真崎甚三郎首相を期待した。
しかし、天皇は青年将校たちの主張を認めなかった。
事件後、統制派が陸軍内で勢力を拡大する。
統制派の首領として陸軍を掌握し、政治的な発言力を強めたのが東條英機である。
まだ、北一輝と青年将校との関係など説明していない。
次の質問を期待していたのだが、いささか聞きくたびれたようで、
長女は恩田陸著「ねじの回転」を抱えて二階に行ってしまった。