国立公文書館の今月のアーカイブは「『新制国立大学』の誕生」。
http://www.archives.go.jp/
戦後の教育改革で、一府県一大学の原則が立てられた。
しかし、まったく新しく大学が作られたわけではない。
同一府県内の大学、高等学校、専門学校、師範学校が統合された。
たとえば、前橋医科大学・前橋医学専門学校・桐生工業専門学校・群馬師範学校・群馬青年師範学校が統合されて新制国立大学としての群馬大学が成立している。
しかし、その結果、キャンパスは分散し、タコ足になってしまった。
こうして各府県にできた新制国立大学を大宅壮一は駅弁大学と評した。
この国立大学設置法案を見ると、東京文教大学の文教の二文字が抹消され、教育と書き換えられているのがわかる。
東京教育大学は、旧制の東京文理科大学・東京高等師範学校・東京農業教育専門学校・東京体育専門学校を統合して成立したが、統合の際、文理科大側と高等師範側が新大学の名称をめぐって激しく争っている。
文理科大学の名を残すか、東京高等師範以来の伝統を引き継いで校名に教育を掲げるか。
両者が折り合わない中、文部省は東京文教大学を当初の案とした。
結局、名称は東京教育大学と決まり、高等師範側が勝利したように見える。
しかし、初代学長は文理科大側をなだめるため、運営の主導権を文理科大側に認めた。
その東京教育大学も今はない。
筑波大学の新設とともに廃校となっている。