有光友学著「今川義元」(吉川弘文館)を読む。
人物叢書という伝記シリーズの最新刊である。
今川義元は、桶狭間の戦いで織田信長に敗れ、首を奪われた。
それが、今川義元について最も有名なできごとだろう。
信長の覇業の第一歩に位置付けられている。
徳川家康について語るとすれば、
幼年時代、今川義元のもとで人質として過ごしたというエピソードをはずすことはできない。
家康は今川家に人質とされるべきところを織田家に奪われたが、
義元軍が織田信長の兄を捕らえ、人質交換して取り戻したのである。
武田信玄絡みでは、甲斐から追放した父親を受け入れるという役割を演じている。
義元の妻は武田信虎(信玄の父)の娘、つまり信玄の姉にあたる。
義元は歴史を題材とした物語の中では、脇役に甘んじることが多いようだ。
あっけなく首をとられたという最後が災いしているのであろう。
でも、主人公に据えてもなかなか面白い人物ではないかと思う。
今川氏輝は24歳の若さで急死する。弟の彦五郎も一緒に亡くなっている。
なぜなのかは史料がなくてわからない。
家督は、共に僧籍に入っていた玄広恵探と梅岳承芳兄弟の間で争われることになった。
これを花蔵の乱という。
病弱であった氏輝にかわって母寿桂尼に実権があったようだが、
寿桂尼は実子の梅岳承芳ではなく、玄広恵探側を支持していたのだそうだ。
前掲書では、そういう史料があると指摘している。
しかし、結局、梅岳承芳が家督争いに勝利する。
梅岳承芳は還俗して今川義元となる。
ときに義元18歳。
とても本人の力とはいえまい。
師僧の太原雪斎の力が大きかったようだ。
雪斎は僧籍にありながら一軍を率い、また、外交に手腕を発揮する。
敵対関係にあった武田氏と同盟関係を結んだのも雪斎の働きといわれている。
もし、雪斎が存命であれば、義元は桶狭間で討ち死にすることはなかったろう……。
やっぱり、そうなると主役は義元ではなくて雪斎ということになるのだろうか。