今日、7月7日は七夕。
平安時代、宮中では、中国伝来の乞巧奠(きつこうてん)が行われた。
そこで、大日本史料総合データベースで「乞巧奠」を検索。
最初の記事は、寛平元年(889年)7月7日「乞巧奠」という「日本紀略」の記事である。
寛平は菅原道真を登用した宇多天皇の時代である。
寛平2年には「公宴、賦七夕秋意詩」とある。当時、七夕と乞巧奠がどう区別されていたのかはわからない。
延喜17年(917年)の「東宮年中行事」によると、乞巧奠では、庭にむしろ3枚を敷いてその上に机を立てて、供え物をしたという。
寛弘6年(1010年)の乞巧奠は華やかであったようだ。
「織女理容色」という題の作文が作られている。
また、中宮彰子に琵琶と琴とが奉られたという。もちろん、藤原道長も参内している。
「枕草子」「源氏物語」という王朝文学の傑作が生まれた一条天皇の時代である。
室町時代にも乞巧奠の記事はある。
応永6年(1399年)7月7日、足利義満は花の御所とよばれた北山第で乞巧奠を催す。
「七瓶花合也」とあるので、七個の花瓶に立花を飾ったのだろう。
「小袖各持参、有鬮云々」ともある。
それぞれ持ち寄った小袖(着物)を賞品にくじ引きをしたということなのだろう。
青蓮院宮や聖護院宮といった法親王が招かれている。
ちなみに、この応永6年の10月には応永の乱が起きている。
有力な守護大名の大内義弘が足利義満に対立し、鎌倉公方や他の守護大名も巻き込んで大きな争乱となったものである。
まとまりのない文章となってしまったが、季節の話題ということでご勘弁を。