清水義範著「身もフタもない日本文学史」(PHP新書)をおもしろく読んだ。
著者は大学受験の国語で「『源氏物語』について、思うところを記せ」という問題に遭遇し、
「一人のプレイボーイが、次から次へと女性にモテまくった、というような話に、大した価値などあるだろうか。人間にはもっと大切なことだってあるだろうに」
と解答して、不合格になったそうだ。
実はこのとき、筆者は「源氏物語」を読んだことがなかったという。
読んでもいないのに「源氏物語」の内容を知り、偉そうなことがいえてしまう。
それが、古典のすごさだと主張している。
(どの大学の問題かは明記されていない。話としておもしろいだけに、本当かどうかは疑わしい。)
もちろん、現在の筆者は「源氏物語」自体を「世界の文学史の観点からも、あのやけに長い小説は奇跡的な名作なのだ。」と評価する。
光源氏は父帝の后に恋する。そして、后は源氏の子を産む。この子はやがて即位し、源氏も栄華を極めるが、若い妻が産んだ子は実の子ではなかった。
「この、小説の基本構造が畏れいっちゃうぐらいすごい。」
というのが理由だ。
「源氏物語」では、歌のやりとりが多い。795首もあるのだそうだ。
平安貴族の歌のやりとりは、メールの交換だと思えばいい。
ここらあたりの見立ては著者の真骨頂である。
「枕草子」は清少納言が美的センスを自慢したもの。それが許せるのは、清少納言が落ち目になってから書いたものだから。
吉田兼好の「徒然草」はジジイが世の中への文句を並べたもの。
紀貫之の「土佐日記」、松尾芭蕉の「奥の細道」など紀行文の特色は田舎の悪口を書くこと、その伝統を引きついでいるのが、夏目漱石の「坊ちゃん」だそうだ。
式亭三馬の「浮世風呂」は町人のおしゃべりをそのまま書いたもの。現代でいえばケータイ小説だという。
こんな感じで、卓見と思う部分もあれば、ちょっとはずし過ぎと思う部分もある。
近代文学については駆け足だが、ノーベル賞作家を変態よばわりしたりもする。
この本で、文学史に興味がわけば何よりだ。