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[2008年09月23日(火) ]
長女がセンター型模試を受けた。
得意のはずの英語で点が取れなかったとがっかりしていた。
英語の問題がそんなに難しかったわけではない。
「最後の長文問題を始めたとき、時間がないのに気づいてあせった。しかも、最初のほうは配点が2点なのに、終わりのほうに6点の問題をずらっと並べてあるんだよ。これって卑怯だよね。」
実際のセンター試験の配点がそうなのだからしかたない。
センター試験の英語の解答時間は80分だ。
2008年度の場合、大問数は6、解答箇所51。
大問1題あたり13.33分、1マークあたり1.56分という計算になる。
最後の第6問は解答箇所が7ある。
では、13.33分、あるいは1.56×7=10.92分あれば十分か?
そう単純ではなさそうだ。
最後の長文問題のword数は1000以上だ。
センター試験のword数は全体で4000ぐらいなので、全体の4分の1ほどになる。
配点からいっても、200点中42点、5分の1を超える。
最後の問題は他より大きくて、重い。
それを見込んで時間配分を考えておくことが必要だ。
これからもセンター型模試を受ける機会はあるだろう。
どの問題にどれだけ時間をかけるべきか、
その感覚をつかむためにも模試を活用したい。
[2008年09月22日(月) ]
高3の長女は「国民の祝日」のあり方について疑問をもっている。
ハッピーマンデー制度というのだそうだが、月曜日に国民の祝日が多い。
成人の日(1月第2月曜日)
海の日(7月第3月曜日)
敬老の日(9月第3月曜日)
体育の日(10月第2月曜日)
それに加えて、国民の祝日と日曜日が重なった場合も月曜日が振替休日になる。
月曜日の授業が圧倒的に他の曜日よりも少なくなるというのだ。
月曜日には体育の授業がある。
高3になり、選択で受験科目の授業時間が増える中、
受験に関係がなく、気分転換ができる体育の授業は貴重なのだそうだ。
(月曜日が休日なら、自分で思い切り運動すれば良いようにも思うのだが‥‥)
秋分の日は天文学的な計算に基づいて決められることになっており、
今年は明日9月23日、火曜日である。
今日、月曜日、長女は曇り空を気にしながらも、元気に学校へ行った。
[2008年09月18日(木) ]
おもしろい記事を見つけた。
高級料理店を格付するミシュラン。
その京都版の調査が行き詰まっているのだという。
京都の「一見さんお断り」文化が背景にあると記者は説明している。
http://www.asahi.com/national/update/0917/OSK200809170038.html
「もてなしの文化」は星の数で評価されるべきではない。
この考えに賛否はあろう。
世界基準で勝負すべきという声も紹介されている。
世界基準とは気になる言葉である。
グローバルスタンダード。
いったい、誰がグローバルスタンダードを決めるのか。
ミシュランの基準が何故にグローバルスタンダードとされるのか。
少し疑ってみてもよいのではないか。
[2008年09月17日(水) ]
高3の長女は来年1月のセンター試験を受験する。
センター試験の出願手続きは学校が行なってくれるので安心だ。
長女は3教科以上の受験で成績開示を望むので、
検定料18,000円と成績開示手数料800円、計18,800円。
これを金融機関で払込み、検定料受付証明書を受け取り、
志願票に貼り付けなければならない。
ATMは使えない。
営業時間内に金融機関の窓口に行かなければならないというのが面倒だ。
妻に大丈夫かと確認したところ、
もうすでに検定料受付証明書を受け取り長女に渡してあるとのこと。
一応これで親の責任は果たしたことになる。
各大学の出願手続きは受験生が各自で行なう必要がある。
募集要項(願書)をまず取り寄せねば。
試験会場によっては宿泊が必要になる場合もあるだろう。
ホテルの予約は早くしておかないと、
とんでもなく高いところか、不便なところしか取れなくなる。
「いつ、何をしなければならないか、わかっているよね。」
長女に、念を押すと、
「たぶん、学校が教えてくれると思うけど、これから確認する。」
いささか、心もとない答え。
あまり先回りしてあれこれ指示したくはないが、
気がもめる。
[2008年09月16日(火) ]
日曜日、新約聖書を読んだ。
長女が高校から帰る途中にもらったと、持ち帰ったものだ。
(奥付に日本国際ギデオン協会贈呈とある)
もらったがいいが、どうしようと困っている。
ならばと、私がもらうことにしたのだ。
岡田温司著「マグダラのマリア」(中公新書)を読んでおもしろかった。
ダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード」(角川文庫)
を読んで、やっぱり、まず聖書を読んでおかなければと思った。
それは、国立西洋美術館でラ・トゥール展を見たときにも感じた。
これまでも、聖書を読む機会はあった。
出張でホテルに泊まり、
何も読むものがなくて備え付けの聖書を開く。
しかし、たいがいの場合、数ページで夢の中へ。
今回、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書を読んだが、何となく、「日本書紀」に「一書に曰く」とあるのに似ているなと思った。
聖書を古典として読むべきだといったら、敬虔なキリスト教徒の方達に失礼なのだろうか。
小説も絵画も聖書を知っていてはじめてわかることが多い。
[2008年09月12日(金) ]
オビが秀逸だったので買ってしまった。
「『薩長土肥』の雄藩のなかで最も軽視される佐賀藩から明治維新を問い直す。」
毛利敏彦著「幕末維新と佐賀藩」(中公新書)である。
本文もなかなかのもの。
「さて、黒船来航から和親条約にいたる日本開国の過程は、それなりに目配りの利いた老中阿部正弘の老練な政治指導のもとで、概して無難に執り行われた。ところが世の攘夷風潮に加えて、阿部急死(安政4年6月)後の幕閣が、軽率にも冬眠中の朝廷(天皇)という厄介な妖怪を目覚めさせたので、日本の政情は一気に激動期に入ることになる。」
NHKの大河ドラマ「篤姫」を見ている人には、具体的に何をさすかわかるだろう。
しかし、大胆な表現をしたものである。
藤田覚著「幕末の天皇」(講談社選書メチエ)によれば、孝明天皇より前の光格天皇のころから朝廷は権威の回復に意欲的であり、冬眠中という比喩が妥当とも思えない。
本書は幕末・維新の佐賀藩がテーマだから、
鍋島閑叟、江藤新平を中心に幕末・維新が叙述されるのは当然である。
実際、藩主の鍋島閑叟は長崎警護の役目がら海防に対する意欲が高く、
藩政改革を断行し、いち早く近代化をなしとげた名君といっていいだろう。
また、佐賀藩出身の江藤新平には教育制度に卓見があり、
司法制度の確立に大きな役割を果たしている。
さて、岩倉使節団が帰国したころ、
西郷隆盛は朝鮮に自分を使者として派遣するように主張していた。
朝鮮で自分が殺されれば、朝鮮を攻める大義名分が立つというのである。
これを征韓論という。
岩倉具視・大久保利通らは征韓論に反対し、
征韓派の西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎・副島種臣・江藤新平らは参議を辞任した。
これを明治6年の政変という。
しかし、西郷は自分が朝鮮で本当に殺されると考えていたわけではない。
著者はそう主張する。
「自分が殺されれば」というのは武力による開国を主張する板垣を味方につけるため。
交渉による朝鮮の開国が本心であり、征韓論というのは誤りだというのだ。
「西郷の征韓論」によって大変なことになっている。そう帰国したばかりの岩倉や大久保に吹聴したのは長州藩の不振にあせった伊藤博文なのだそうだ。
下野した江藤新平らは民撰議員設立建白を提出する。
武力による政府転覆など全然考えてはいなかった。
しかし、佐賀の乱が起こり、その首謀者とされた江藤新平は処刑される。
自らが作り上げた司法制度による弁明の機会を与えられることもないまま。
それは大久保利通の強い意向であったといわれている。
「ではなぜ大久保は、国家権力を私物化し、敵味方多数の若者の命を犠牲にしてまで、江藤抹殺に狂奔したのだろうか。その答えは容易には得られないが、あえて大胆な想像を許していただけるなら、私は、大久保が江藤に対する強烈な嫉妬心に囚われていたからであるように思われてならない。江藤の溢れるばかりに華麗な才能は、気力実践力に富むが凡才を自覚している大久保の劣等感をかきたてずにはおかなかっただろう。権力者の嫉妬心ほど怖いものはない。」
確かに、佐賀の乱は大久保の謀略の可能性が高い。
江藤らを思えば、大久保に対する評価は厳しくなって当然だろう。
でも、学者の筆にしては走りすぎでは‥‥
[2008年09月11日(木) ]
今、読んでいるのは、「パソコンは日本語をどう変えたか」
YOMIURI PC編集部著(講談社ブルーバックス)である。
アメリカ生まれのコンピュータは当然、日本語に対応していない。
技術者がいかに苦労して日本語を機械に載せていったか、それが本書の主題だ。
今、当たり前のようにキーボードで日本語を入力しているが、
私が大学生のころ、パソコンもワープロも持っている仲間はいなかった。
(英文科の人間は英文タイプライターを持っていた。)
どうやって、文章を書いたか。
当然手書きである。
卒論も手書きした。
卒論のために、史料や参考文献から必要事項を書き取ったカードは数百枚。
必要なものとそうでないものを仕分けしながら構想を練る。
カードを見ながらどの史料を引用して何を書くかをメモ書きしていく。
大まかに章立てを決め、下書きを始める。
書いては破り、書いては破り、ようやく終章に至る。
通読すれば、やっぱり気に入らず最初からやり直し。
1か月間は、ずっと下書き原稿を書き続けた。
卒論提出締切日3日前、もうこれで清書をしようと決断をする。
書き込みでぐちゃぐちゃの下書きを清書し続けるという作業も辛い。
自分の書いた下書きなのに読めない。
時間との勝負、朦朧とした頭で清書をすると書き損じの頻度が高まり、
あせりといらいらが募る。
手首の痛いのをこらえて、ようやく卒論提出日の未明に謝辞を書き終えた。
完成した卒論は後輩に読んでもらい、誤字・脱字を修正して製本し提出した。
卒論は註も入れて400字詰原稿用紙150枚。
書き損じ・メモ・下書きはその数倍はあっただろう。
すべて手書き。
今はとてもできないと思う。
パソコンで卒論が書けたらどんなに楽だったろうと思う。
パソコンで日本語入力を可能にしてくれたパソコン、プリンター、ソフト開発の技術者に感謝!
[2008年09月10日(水) ]
わが家のリビングの窓を覆う緑のカーテン。
カマキリが住みついている。
ゴーヤのツルと葉にまぎれて、みつけにくいのだが、
ここかそこ。だいたい居場所の見当がつくようになった。
初対面のころよりだいぶ大きくなっている。
目があう。
三角頭を傾げることもあれば、カマをかざすこともある。
よく見ると、前翅の一部がちぎれ、後翅がはみ出してしまっている。
人知れず傷ついてきたのだろう。
朱夏から白秋へ。
「お互い、もう少しだからがんばろう」
ふと、そんなふうに語りかけたくなった。
[2008年09月09日(火) ]
文芸春秋9月号には芥川賞受賞作ばかりでなく、
いろいろな記事や読み物が掲載されている。
「特集日本の師弟89人」もその一つである。
多くは弟子が師を語っているが、逆もある。
ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏は、弟子の戸塚洋二氏への追悼文を載せた。
「思えば一期生で電子陽電子衝突実験を引き継いでくれた折戸周治君が早世したとき、なんとむごいことかと嘆いたのに、今度また二期生で神岡地下実験を引き継いでくれた君がさきだってゆくとは。特に君の場合はあと十八ケ月元気でいてくれれば日本人みんな大喜びさせてくれる可能性も多分にあったと思われるのでことさら残念の極みです。」
ちょうど、佐藤勝彦著「宇宙96%の謎」を読み終えたばかりだった。
この本には、ニュートリノ検出時のエピソードが語られている。
1989年2月24日、大マゼラン星雲に超新星出現を知った著者。
急ぎ電話をした先は、カミオカンデの研究を推進していた戸塚洋二氏だった。
超新星からのニュートリノをカミオカンデが捉えているはず、そう考えたからだ。
しかし、ニュートリノ検出一番乗りをめざしているのはカミオカンデだけではない。
一刻も早く確認したいと著者はやきもきするのだが、
データは宅急便で送られるという悠長さであった。
2月27日には東大で小柴教授の最終講義が行なわれ、著者も出席した。
その後のパーティーでようやく解析が始まったことを知る。
翌日、昼ごろ電話で問合せるとまだ「解析中」との返事。
本当はこの時、すでにニュートリノを検出していたのだが、
小柴氏から論文を発表するまではと緘口令が敷かれていたのだという。
実は、ニュートリノの検出がどれほどすごいことなのか、よく理解できていない。
それでも、著者のもどかしい気持ちが伝わってわくわくする。
私が、よく理解できないくせに量子論やゲノムの本を好んで読むのは、
研究の最先端にいる科学者たちのわくわく感に共感したいからかもしれない。
戸塚氏は、1998年にはスーパーカミオカンデでニュートリノの質量観測にも成功している。
「あと十八ケ月元気でいてくれれば」
来年こそノーベル賞受賞のタイミングだったのだろうか。
惜しまれながら、今年7月、戸塚洋二氏は生涯を閉じた。
[2008年09月08日(月) ]
「文芸春秋9月特別号」を購入。定価は790円。
お目当ては芥川受賞作、楊逸著「時が滲む朝」である。
文芸春秋は私がふだん買う雑誌ではないし、
芥川賞も別に気にしているわけではないのだが、
「天安門事件に挫折した学生の物語」
と聞けば、読まずにはおれない気持ちになった。
1989年6月4日の天安門事件、あれはショックなできごとだった。
中国の学生が民主化を要求し、共産党の一党独裁を批判する。
毛沢東の文革時代を知るものにとって、大きな驚きだった。
しかも、趙紫陽総書記は学生の主張に一定の理解を示していると報じられた。
今、中国は民主化に向かって大きく舵をきろうとしている、
そうした歴史的な瞬間に立ち会っているのだという感慨があった。
ところが、中国共産党の保守派が巻き返し、戒厳令が敷かれ、
天安門前に集結した学生たちは武力鎮圧された。
学生の群に容赦なく突っ込んでいく戦車。
とても現実のできごととは思えなかった。
中国の人が、今、天安門事件について何を語ろうとしているのか。
そうした興味で読んだ。
がっかりした。
天安門事件に対する評価はないに等しい。
主人公が中国の民主化のためにしたことといえば、
「I LOVE YOU」というTシャツを作っただけである。
だから、日本に来ても、尾崎豊の「I LOVE YOU」をカラオケで歌い、
感傷にひたるだけ‥‥。